第15話 大丈夫、あたしがいるよ
僕たちのユニット『Polaris Echo』が投稿した初動画『Rewrite』は、日を追うごとに再生数を伸ばし、ネットの海に確かな波紋を広げていた。
『ダチA』の圧倒的な映像美、『フユ』の魂を揺さぶる歌声、そして僕が紡いだ旋律。
それらが重なり合った結果は、僕の予想を遥かに超える熱狂を生み出している。
第一スタジオでの次回作の構想
――地声で張り上げるボーカルと歪んだギターの衝突――
も決まり、僕の頭の中は常に新しい音楽のアイデアで溢れていた。
才能に見切りをつけ、音楽を捨てたつもりだった僕の灰色の日常は、今や信じられないほど鮮やかに色づいている。
だが、その充実感の裏で、僕の心にはずっと一つの小さな棘が刺さったままだった。
それは、隣の家に住む幼馴染、花穂のことだ。
五月下旬の昼休み。
僕は中庭のベンチで、花穂と一緒に弁当を食べていた。
高校に入ってクラスは別になってしまったが、彼女はこうして頻繁に僕のところへやってきて、一緒にお昼を食べるのを日課にしている。
「ねえ、奏多、今日の卵焼き、ちょっと甘めになっちゃったんだけど食べる?」
花穂が自分の弁当箱から、綺麗に巻かれた黄色い卵焼きを箸でつまんで差し出してくる。
「サンキュー。……うん、美味いよ」
「でしょでしょ! あたしの特製だからね!」
春の陽射しを浴びて笑う彼女は、相変わらず《《太陽》》という言葉がよく似合う。
学年で三番目にかわいいと噂される彼女がこうして無防備に笑いかけてくるだけで、周囲の男子生徒からの嫉妬の視線が突き刺さってくるのがわかった。
「……そういえば、奏多って最近、なんか雰囲気変わったよね」
不意に、花穂が自分の弁当箱に視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。
「え? そうか?」
「うん。なんというか、前みたいに死んだ魚の目をしてないっていうか。どこか生き生きしてる。……ゴールデンウィークのあの日から、特に」
花穂の言葉に、僕は心臓がドクンと跳ねるのを感じた。
あの日、花穂が僕の家に冬峰さんと結城さんが入っていくのを目撃した日のことだ。
僕は誤魔化そうと視線を泳がせたが、同時にこれ以上、花穂に隠し事を続けることへの強い罪悪感が胸を締め付けた。
中学時代、僕がネットの誹謗中傷に心を壊され、音楽を辞めると宣言した時。
僕以上にボロボロ泣いて、一番近くで心を痛めてくれていたのは、他でもない花穂だったのだ。
彼女にだけは、僕が再び前を向いて歩き始めたこと、音楽を取り戻したことだけは、ちゃんと伝えておくべきではないだろうか。
「……花穂」
僕は箸を置き、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「ん? どうしたの? 顔に何かついてる?」
「いや、そういうのじゃなくて……ちょっと真面目な話だから聞いてほしい」
「あ、じゃあちょっと待ってね」
花穂はグッと口の中に含んでいた食べ物を飲み込む。
「いいよ」
「実は……また、少しずつなんだけど、曲を作り始めたんだ」
その言葉が口から出た瞬間、花穂の動きが完全に止まった。
彼女は持っていた箸を取り落としそうになり、ぱちぐりと何度か瞬きをした後、信じられないものを見るような目で僕を見つめた。
「え……? 曲を……作ったの? 奏多が?」
「うん。まだ本格的なものじゃないけど、リハビリみたいな感じで。……昔みたいに、また音楽をやってみようかと思って」
僕が照れ隠しに頭を掻きながらそう告げると、花穂の大きな瞳に、あっという間に涙が溢れ出した。
「ほ、ほんとに……? ほんとに奏多、また音楽やるの……!?」
「う、うん。だからそんなに泣くことじゃ……」
「だって、だってぇ……! あ゛た゛し゛、すっごく嬉しくて……!」
花穂は両手で顔を覆い、ポロポロと涙をこぼし始めた。
「奏多がもう二度と曲は作らないって言った時、あたし本当に悲しかったんだからぁ……! また奏多の曲が聴けるなんて、夢みたいだぁ……!」
「わ、わかったから! 周りの人が見てるから、とりあえず泣き止んでくれ!」
慌ててポケットからハンカチを取り出して手渡すと、花穂はそれをひったくるように受け取り、ぐずぐずと鼻をすすった。
彼女がこれほどまでに僕の再起を心から喜んでくれることが、本当にありがたくて、胸の奥が熱くなった。
しかし、だからこそ、僕はこの後に続く嘘を吐くことにひどい痛みを感じていた。
「……それでね、どんな曲作ってるの⁉ 聴かせて! どこかにアップしてるの⁉」
涙を拭い終わった花穂が、今度は目をキラキラと輝かせて身を乗り出してきた。
「いや、それは……まだ、無理なんだ」
「えー! なんで⁉」
「実は、一人でやってるわけじゃないんだ。ネットで知り合ったボーカルの人とか、動画を作ってくれる人と一緒に、細々とユニットみたいなことをやっててさ」
僕は慎重に言葉を選びながら、真実と嘘を織り交ぜて説明した。
本当は、そのボーカルは学年一の美少女である冬峰さんで、動画作成者はクラスで一番頼れる結城さんだ。
しかし、学校ではなるべく、会話を避けている以上、ここで花穂に真実を話すわけにはいかない。
「相手の人たちの都合もあるし、まだ具体的なことは内緒にしておきたいんだ。……それに、公開してまた叩かれたらと思うと、正直怖いし」
僕が過去のトラウマを引き合いに出すと、花穂の表情がすっと真剣なものに変わった。
彼女は少しだけ唇を噛み締め、僕の不安に寄り添うように優しく微笑んでくれた。
「……そっか。うん、わかった。奏多がまだ不安なら、無理に教えてとは言わないよ」
「ごめん、花穂」
「謝らないでよ。奏多がまた音楽を楽しめるようになったなら、あたしはそれだけで十分。……どんな人と一緒にやってるか知らないけど、その人たちに感謝しなきゃね」
「あ、ああ……そうだな」
僕が引きつった笑いを浮かべた瞬間、花穂の瞳の奥が、ほんの一瞬だけスッと冷たく細められたように見えた。
「……ネットの知り合い、ね」
花穂は小さく、誰にともなく呟いた。
その頭の中には、連休中に僕の家を訪れた冬峰さんの姿と、僕のスマホの画面にデカデカと表示された『フユ』という文字が、間違いなく結びついているはずだった。
恐らく……バレているんだろうな。
幼い頃からずっと僕の隣にいた、勘の良い彼女のことだ。
僕の言う『ネットの知り合い』が本当は誰なのか、すでに感づいているのかもしれない。
それでも、花穂はそれ以上深く問い詰めることはしなかった。
僕が隠したがっていることを察して、あえて踏み込まないでいてくれているのだろう。
その優しさが、余計に僕の罪悪感を刺激した。
いつか、きちんと言えるようにしなきゃな。
「よし! 決めた!」
花穂は急に明るい声を出して、立ち上がった。
「奏多の復活記念のお祝いに、今日の放課後はあたしとクレープデートね!」
「え? いや、デートって……」
「問答無用! 駅前に新しくできたあのお店、ずっと行きたかったんだから! お祝いのおごりはあたしがしてあげるから、放課後、絶対付き合ってよね!」
花穂の太陽のような笑顔と強引な提案に、僕は苦笑しながら頷くしかなかった。
「分かったよ。お前は本当に素直な奴だな」
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




