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欲しいのは毛布と君――朝焼け図書館の生徒会クーデター  作者: 乾為天女


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8/12

第8話 朝焼けの聞き取り

 月曜の朝、あすなろの影は書架の下へ伸びた。


 東窓から差した光が、床板の上をゆっくり進み、古い大型書架の脚へ重なる。


 「ここです」


 智がしゃがみ込んだ。


 「重い書架は動かさない」


 私は、彼が安全注意の一項目目を自分で破る前に止めた。


 「分かっています。位置だけ記録します」


 智は床板へ小さな紙テープを貼り、時刻を書いた。


 真鍮の鍵が何を開けるかは、まだ分からない。書架の下には、指一本入る隙間しかない。床板に鍵穴も見えなかった。


 「大型書架を動かせるのは、専門業者が入るときだけです」


 尚久さんが言った。


 「今は手紙の内容と、必要な機能の調査を優先しましょう」


 母の手紙は開いたまま、まだ読んでいない。


 封筒は鍵付きの引き出しへ保管した。私が読むのをためらったというより、今読めば、母へ答えを聞きに行ってしまいそうだった。


 母が黎明館を知っていたこと。


 花柄毛布を知っていたこと。


 それでも解体資料を作っていること。


 先に、今ここを使っている人の話を聞こうと思った。


 十一月十三日までに、一次資料を出さなければならない。


 私たちは二十三人の利用者へ、一人ずつ短い聞き取りを始めた。


 家庭事情は聞かない。


 なぜ早く来るかを説明したくない人には、説明させない。


 質問は三つだけにした。


 黎明館で使っているもの。


 なくなると困るもの。


 代わりの場所に必要なもの。


 最初の相手は、毎朝窓際で数学の課題をしている三年生だった。


 「暖房と机」


 「静けさは?」


 「欲しい。でも無音でなくていい。麦茶を注ぐ音とか、紙をめくる音は平気」


 「人がいる気配は必要?」


 「必要。話しかけられない方がいいけど、一人ではない方がいい」


 私は、その答えをほとんどそのまま書いた。


 二人目は、始発列車で通う一年生。


 「充電です。家を出るとき四十パーセントでも、寒いと減ります」


 「暖かい席は」


 「必要です。でもストーブの真横は眠くなるので困ります」


 「注文が細かい」


 「なくなると困るので真剣です」


 三人目は、家業の弁当店の車で来る二年生だった。


 「衝立」


 「寝るため?」


 「二十分だけ。顔を見られたくない日があるから」


 「体調不良のときは、誰かを呼べた方がいい?」


 「呼びたい。でも、教員室まで行って説明するのは無理かもしれない」


 「ボタンや内線なら」


 「押すだけならできる」


 要望欄へ、『大人が常駐しなくても助けを呼べる方法』と書いた。


 「大人が常駐しなくていい、ではないですよ」


 智が横から訂正する。


 「担当者が一時的に別の場所へ動いても、すぐ連絡できる方法です」


 「分かってる」


 「文章は誤読されないことが重要です」


 「今の説明を全部書くと、用紙が埋まる」


 「注釈を」


 「要約します」


 四人目は瑚大だった。


 「録音図書。文字を大きくできる端末。短くまとめたカード。それから魚柄毛布」


 「最後は必要機能ではない」


 「柄で集中力が変わります」


 「本当に?」


 「虎柄は登場人物が強そうに聞こえます」


 「前にも聞いた」


 「再現性があります」


 瑚大は真顔で言った。


 「あと、読めないと思われない場所が必要です」


 私は鉛筆を止めた。


 「どういう意味」


 「教室で教科書を音声で聞くと、読めないのかって聞かれます。読めないところもあります。でも、聞けば分かるところもある。黎明館では、斎木さんが方法を変えればいいと言ってくれたので」


 「その言葉、資料へ載せていい?」


 「名前を出さなければ」


 「録音してもいい?」


 瑚大は少し考えた。


 「次は、自分で説明してみたいです」


 私は、用紙へ書きかけた要約を消した。


 「じゃあ、あなたの言葉で話して」


 聞き取りは一週間続いた。


 集まったのは、暖かい席や充電、静けさ、録音図書、顔を隠して眠れる衝立を求める声だった。具合が悪いとき、事情を何度も説明せず助けを呼べること。早く来た理由を聞かれず、それでも一人で放っておかれないこと。二十三人の答えは重なるところがありながら、少しずつ違っていた。


 智は結果を自動集計する表を作った。


 「完成しました」


 土曜の午後、生徒会室でノートパソコンをこちらへ向ける。


 画面には、色鮮やかな棒が並んでいた。


 一位、魚柄。


 二位、花柄。


 三位、反省中のパンダ。


 四位、威厳ある虎。


 「何の集計?」


 「毛布柄別の利用回数です」


 「必要機能は」


 「別シートの参照範囲がずれています」


 「一番どうでもいいところだけ完璧」


 「柄はどうでもよくありません」


 瑚大が魚柄一位の画面を写真に撮った。


 「店に貼ります」


 「何の宣伝になるの」


 「魚は朝に強い」


 智は数式を直し始めた。私は記号の並ぶ画面を閉じ、聞き取り用紙を机へ広げた。


 「数えられる答えだけにしない方がいい」


 「必要人数と費用を示すには、件数が要ります」


 「件数は出す。でも、『人がいる気配は必要だけど、話しかけられない方がいい』は、静かな席一件では足りない」


 智は手を止めた。


 「引用を入れますか」


 「本人が許可したものだけ」


 「では、数字の横へ短い証言を」


 「それがいい」


 私は自分の用紙を最後に書いた。


 黎明館で使っているものには、花柄毛布と静かな席、麦茶と書いた。なくなると困るものは、朝、誰にも説明しなくていい時間。代わりの場所に必要なものは、帰りたくない朝に始業までいられること。


 書いた後で、しばらく見つめた。


 「木崎さん、それを資料へ入れますか」


 智が尋ねた。


 「匿名なら」


 「あなた自身の証言だと、明かさなくていいんですか」


 「今は」


 言いかけて、最初に作った利用票を思い出した。


 今は話したくない。


 それは、永遠に話さないという意味ではない。


 「一次資料では匿名にする。必要になったら、自分で言う」


 「分かりました」


 智はそれ以上聞かなかった。


 翌週、私たちは聞き取り結果を持って、教頭と県教育施設課の公開説明へ出た。


 母は会議室の端に座っていた。娘が関わっていると分かった時点で、審査や採点からは外れたと最初に説明した。


 「私は、公開済みの図面、安全基準、概算費用だけを説明します」


 仕事の声だった。


 私たちは二十三人の利用、必要機能、現状の勤務体制を示した。


 智の表は、今度は毛布柄ではなく、暖かい席、静かな席、充電、録音図書、衝立、緊急呼出の順に正しく集計されている。端には、小さく魚柄人気一位の表も残っていた。


 「消してないの」


 「参考資料です」


 「何の」


 「親しみやすさの」


 教頭が眼鏡の奥で笑いをこらえたように見えた。


 説明が終わると、母は資料を閉じた。


 「必要性は分かりました」


 私は背筋を伸ばした。


 「それでも、黎明館は残せません」


 会議室の空気が止まる。


 瑚大が膝の上で手を握った。智はすぐに反論せず、母の次の言葉を待っている。


 「耐震補強だけでなく、天井材、電気設備、避難経路の全面改修が必要です。継続利用に一億二千万円前後かかる可能性があります。学校の居場所支援として認められる規模ではありません」


 「じゃあ、調べた意味はなかった?」


 私の声が少し尖った。


 「建物を残す資料にはなりません」


 母は答えた。


 「機能を残す資料にはなります」


 机の上へ、一枚の図面を置く。


 新校舎一階。今は倉庫に使われている旧食堂区画が、赤い線で囲まれていた。


 「木崎さん」


 智が小声で言った。


 「お母さんは、移すことを否定していません」


 分かっていた。


 それでも私は、東窓の朝焼けと、書架の下へ伸びるあすなろの影を思った。


 場所を守ることと、そこにあったものを守ることは、同じではない。


 私たちは次に、その違いを決めなければならなかった。



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