↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
欲しいのは毛布と君――朝焼け図書館の生徒会クーデター  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/32

第29話 最後の朝焼け図書館

 午前五時四十分、生成りの毛布は新校舎一階の多目的室に二十二枚並んだ。


 花柄毛布だけは、透明な保存袋に入れられ、受付の後ろに立ててある。日常貸出は終わっている。けれど、今日だけは黎明館から見える位置へ置きたいと、尚久さんが学校の許可を取った。


 二月八日。


 黎明館から備品を救出できる、最初で最後の朝だった。


 「開室します」


 尚久さんが宣言した。


 三月三十一日までは、実証運用で組み替えた早朝勤務を担当する。警備員が西玄関を開け、大庭教頭が管理職当番電話を持つ。生徒は受付と案内だけ。


 役割を声に出して確認してから、扉を開ける。


 最初に入ってきた二年生は、受付台の横に置かれた紙札を見て足を止めた。


 『黎明館へ残したい言葉があれば、一枚だけ。名前は書かなくて構いません』


 「一枚だけなんですか」


 彼女が聞いた。


 「短い方が、毛布へ結びやすいので」


 私が答えると、智が横から付け足した。


 「一人一枚に制限することで、全員分の保管容量と読み取り可能性を確保します」


 「朝から長い」


 「まだ二十三文字です」


 「数えないで」


 彼女は笑い、毛布を受け取って窓際へ座った。


 多目的室の窓から、黎明館は校庭越しに見えた。


 建物の周囲には黄色い安全柵が二重に置かれ、専門業者の車両が三台停まっている。屋根付き渡り廊下の途中には白い線が引かれ、その先へ生徒は進めない。


 黎明館の東窓は暗かった。


 十月五日、初めて入った朝には、あの窓からあすなろの影が床へ伸びていた。今日は館内に誰もいない。暖房もついていない。花柄毛布を貸す人も、麦茶を置く人もいない。


 それでも、窓は朝を待っていた。


 午前六時。


 作業責任者が、屋根付き渡り廊下の見送り線まで来た。


 「仮設支保工、天井材、床、搬出経路を確認しました。館内へ入るのは登録済み作業員六名だけです。生徒と教職員は安全柵の外。受取区域へ出た備品には、こちらが移動完了の札を付けます。それまでは触れないでください」


 「重量物は」


 明日香が聞く。


 「すべて台車と車両で運びます。皆さんは照合と記録だけです」


 「鳥が搬出経路へ入った場合は」


 「人の安全を優先し、作業を止めます」


 「鳥を追い払う担当は」


 「設けません」


 明日香は真剣に頷いた。


 「正しい判断です」


 作業責任者は、何が正しかったのか分からない顔で館へ戻った。


 最初に運び出されたのは、小型の録音端末だった。


 透明ケースに入れられ、一台ずつ番号札が付いている。瑚大は受取区域の外から番号を読み上げ、私が一覧へ印をつける。


 「録音端末一番」


 「確認」


 「二番」


 「確認」


 「三番」


 「確認」


 「四番」


 「画面に魚のシールがあります」


 「備品番号を読んで」


 「私の目印です」


 「勝手に貼ったの?」


 「剥がせる素材です。返却時に尚久さんへ申告しました」


 尚久さんが台帳を見た。


 「申告欄に『鯖』とだけ書かれています」


 「鯖です」


 「備品管理としては、もう少し説明してください」


 瑚大は音声メモへ録音した。


 『端末四番。背面右下に、剥離可能な鯖型識別シールあり』


 「これで伝わります」


 「伝わるけど、鯖である必要はない」


 皆が笑った。


 笑いながらも、瑚大は端末から目を離さなかった。


 黎明館で初めて、自分に合う読み方を見つけた機械だった。


 次に、台帳の箱が出た。


 尚久さんが箱の封印番号を読み、受取記録へ署名する。個人名を含む現行の利用記録は、施錠できる金属箱へ入れられている。校庭で開かず、そのまま事務室へ運ぶ。


 「一冊ずつ見なくていいんですか」


 保存活動に参加していた一年生が聞いた。


 「今は内容より、箱の番号と封印が合っていることを確認します」


 私が答えた。


 「大事だから、ここで見たいです」


 「大事だから、ここでは開けない」


 風のある校庭で個人情報を広げない。


 黎明館を守りたいと思ったころの私は、残したい物へ触れることばかり考えていた。今は、触れないことも守り方だと分かる。


 午前六時四十分。


 利用者が一人ずつ、借りていた毛布を仮設返却台へ置き始めた。


 返却台は安全柵の外、黎明館から見える場所にある。洗濯前の毛布へ直接紙を結ぶことはできないため、番号札のついた木製輪へ、短い言葉を書いた札を結ぶ。輪はあとで消毒し、記録写真と一緒に朝焼け文庫へ飾る。


 『眠れた』


 『試験前に泣けた』


 『理由を聞かれなかった』


 『魚の匂いがしても追い出されなかった』


 最後の札を書いたのは瑚大だった。


 「実際に魚の匂いがしていたの?」


 「家業です」


 「毛布へ移ってない?」


 「衛生確認は受けています」


 尚久さんが、すぐに洗濯記録を開いた。


 「十二月十四日、上着から鰤の匂い。毛布への付着なし」


 「記録されてる」


 「物資を守るためです」


 笑い声が起きた。


 札が増えるほど、木製輪は重くなった。


 午前七時十分。


 縮小受入を閉室する。


 利用者たちは教室へ向かう前に、屋根付き渡り廊下の見送り線へ並んだ。今日は月曜日だった。午前八時二十五分から授業がある。別れの歌を終えた利用者は教室へ移り、搬出記録へ残るのは、校長の許可と保護者の同意を得た生徒会、新聞部、利用者代表だけだった。授業を離れる時間は担任と教科担当が把握し、学習内容は後日補う。


 魚柄毛布は、黎明館から前日に救出した物ではない。暴風雪より前から新校舎の補助毛布として保管されていた一枚だ。瑚大は洗濯済みのそれを保存袋越しに見て、紙を一枚取り出した。


 「別れの歌を作りました」


 「いつ」


 「今朝、端末番号を待っている間です」


 「作業中に?」


 「音声確認もしていました」


 瑚大は胸を張った。


 「題名は『魚柄毛布は海へ帰らない』です」


 「学校備品だからね」


 歌詞は四行だった。


 魚柄毛布は海へ帰らない。


 洗濯袋へ帰っていく。


 朝日が来たら棚へ戻る。


 次に寒い人を待っている。


 「二行目で現実へ戻されます」


 智が言った。


 「洗濯は大切です」


 「曲は?」


 「今から決めます」


 瑚大が最初の音を外した。


 結衣が笑いながら録音機を向ける。明日香は歌わないと言っていたのに、二行目から入った。智は音程を規則で直そうとして、三行目だけ全員より遅れた。


 私は最後まで歌った。


 上手ではなかった。


 建物との別れに似合う歌でもなかった。


 でも、誰か一人が立派な言葉を読むより、私たちらしかった。


 歌い終わるころ、雲の切れ間から朝日が差した。


 黎明館の東窓が、短い間だけ橙色になる。


 館内では作業員が大型書棚の固定具を外していた。遠くから、人の影がゆっくり動くのが見える。


 私は白い線の手前に立った。


 「ありがとう」


 声は、風に持っていかれた。


 建物へ届いたかは分からない。


 それでも、言わないままよりよかった。


 午前七時四十五分、最初の大型書棚が搬出された。


 あすなろ材の濃い色。傷のついた側板。高校三年生だった道貴さんが、地域実習で運び入れた書棚だ。


 台車が受取区域へ入ると、保存派だった生徒たちが布を持った。


 移動完了札を作業員が付けるまで、誰も触れない。


 札が付いたあと、尚久さんの指示で乾いた布だけを使い、表面の埃を払う。薬剤は使わない。木の状態は専門業者が後で確認する。


 「ここ、傷があります」


 一年生が側板を指した。


 「二十六年前からあります」


 道貴さんが言った。


 「搬入した高校生が、廊下の角へぶつけました」


 「誰ですか」


 「覚えていません」


 「御影さんでは」


 「人は過去を正確に記録できないことがあります」


 「台帳には?」


 「その日の作業記録に、『男子生徒一名、書棚を角へ接触』とあります」


 「御影さんですね」


 「個人名がないので断定できません」


 道貴さんは神秘的な顔で逃げた。


 午前八時十五分。


 作業員が二台目の大型書棚を外し始めた。


 東窓の前にあった、背の高い棚だ。


 固定金具を切る音が、閉じた窓を通してかすかに聞こえる。棚が台車へ載せられ、ゆっくり横へ動いた。


 その向こうに、今まで隠れていた床が現れる。


 午前八時二十五分。


 智が腕時計を見た。


 「八時二十八分」


 「本当は八時二十五分」


 私が言ったとき、朝日が雲から出た。


 校庭のあすなろから伸びた影が、黎明館の東窓を通り、書棚のなくなった床へ届く。


 窓ガラス越しでも、枝の形が見えた。


 影の先だけ、床板の色が違う。


 正方形の継ぎ目。


 「御影さん」


 私は呼んだ。


 道貴さんは、白い線の手前まで来た。


 私が指した床を見て、胸元へ手を当てる。


 作業用の小さな袋から、真鍮の鍵を出した。


 二十六年間、対象物も位置も分からないまま保管してきた鍵だった。


 「当時の司書から、言われたことがあります」


 道貴さんは鍵を掌へ置いた。


 「引き継ぐ朝、東窓の影が鍵穴を示す、と」


 「どうして今まで言わなかったんですか」


 智が聞く。


 「影が示す場所を知りませんでした。書棚があり、床も見えなかった。推測で床を開けることはできません」


 「今日が開封条件だった」


 「建物から物を引き継ぐ朝です」


 道貴さんは安全柵を越えなかった。


 作業責任者を呼び、鍵の保管経緯を説明する。鍵の受渡し時刻、受取者、目的を、尚久さんが臨時台帳へ記録した。


 真鍮鍵は、道貴さんの手から作業責任者の手へ渡った。


 私は白い線のこちら側から、それを見た。


 触れられない建物へ別れを言い、安全区域を越えないまま、最後の謎へたどり着いた。


 作業責任者が館内へ戻る。


 床の正方形へ、作業員二人が近づく。


 私の制服の内ポケットには、まだ何も書いていない便箋が一枚あった。


 次の毛布係へ渡す言葉を、私はまだ決められていなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。