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欲しいのは毛布と君――朝焼け図書館の生徒会クーデター  作者: 乾為天女


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第27話 大人が一人いなくても

 尚久さんの鍵束は、十一本あった。


 「多すぎませんか」


 二月三日の午前六時二十分。


 仮設早朝受入室の受付を終えたあと、私たちは管理室で鍵の引継ぎ表を作っていた。


 「黎明館だけの鍵ではありません。図書準備室、書庫、返却箱、録音端末保管庫、毛布庫、薬品を置かない清掃庫」


 「最後の説明が不自然です」


 智が言った。


 「昔、洗剤庫と呼んだら、洗剤を入れてよいと思った人がいたので」


 「表示は具体的にすべきですね」


 「あなたの辞任届も、『辞任届・再発防止策を含まない』と表示しますか」


 明日香が鍵付き箱から三枚を出した。


 智の辞任届だった。


 「返却します」


 「受理では」


 「していません。自分で処理して」


 智は三枚を受け取った。


 しばらく見てから、事務室の裁断機へ入れる。


 一枚目。


 二枚目。


 三枚目。


 細い紙片が透明な箱へ落ちた。


 「辞任しないという理解でいい?」


 私が聞いた。


 「同じ判断を一人で背負わない、という理解です」


 「長い」


 「辞任届よりは短いです」


 明日香が裁断箱を確認した。


 「四枚目は?」


 「作っていません」


 「よろしい」


 辞任届が紙屑になっても、暴風雪の映像は消えない。


 智が自分を責めた事実も消えない。


 でも、消さずに持ち続けることと、役職を降りることは同じではなかった。


 私たちは空白だった早朝責任者欄へ戻った。


 県には、登録型校務支援員の名簿がある。


 教員免許の有無ではなく、校内安全、守秘、応急対応の研修を受け、短時間勤務へ登録した成人の一覧だった。


 事務長が候補者の勤務可能時間を読み上げる。


 「平日午前五時三十分から七時三十分。主担当を二名。曜日を分けます。代替要員を一名」


 「三人とも毎日ではないんですね」


 瑚大が聞く。


 「一人へ毎朝を集中させないためです」


 尚久さんが答えた。


 主担当が前日までに欠勤を申し出た場合、午後八時までに代替要員へ交代する。


 当日の急病で交代が間に合わない場合、管理職が当番電話で、閉室か、新校舎の別室を使った限定受入かを判断する。


 警備員は午前五時二十分に開錠し、非常時の第二対応を担う。


 市立図書館は録音資料の更新と、週二回、午前六時三十分からの読書相談。


 生徒補助は二名まで。受付、毛布の受渡し、人数記録、案内だけ。


 開室判断、急病対応、家庭相談を専門窓口へつなぐ判断、暴風雪や設備異常時の閉室判断は、大人が行う。


 「私たちは、善意の早起き係ではありません」


 明日香が役割表へ線を引いた。


 「生徒が休んでも開く。生徒が全員休むべき天候なら、大人が閉める」


 私は四つの連絡先を一枚へまとめた。


 体調不良、家庭相談、暴風雪、設備異常。それぞれの連絡先を分け、誰か一人の携帯電話だけに責任が集まらないようにした。


 「私がいなくても、大丈夫になります」


 尚久さんが言った。


 青いファイルを閉じる音が、いつもより大きく聞こえた。


 四月から、尚久さんはここにいない。


 それは前から決まっていた。


 引継ぎを作るほど、いなくなる日が具体的になる。


 「寂しくないですか」


 瑚大が率直に聞いた。


 尚久さんは鍵束を見た。


 「寂しいですよ」


 笑ってごまかさなかった。


 「二十六年続けた朝です。自分の手を離れたら、誰も困らないようにするのが仕事だと分かっています。でも、私がいなくても同じ時刻に扉が開くのを、うれしいだけで見られるほど立派ではありません」


 私は、何を言えば励ましになるか分からなかった。


 必要とされなくなることを、成功と呼ばなければならない人へ、簡単に「よかった」とは言えない。


 「同じにはなりません」


 私が言うと、尚久さんが顔を上げた。


 「斎木さんの朝と同じにはならない。でも、教えてもらったことが残る朝にします」


 「それで十分です」


 尚久さんは、少しだけ目を細めた。


 その直後、大庭教頭が聞いた。


 「では、朝焼け文庫の鍵は、開室時にどこから受け取りますか」


 全員が黙った。


 警備室。


 事務室。


 管理室。


 誰も確信がない。


 「私がいなくても大丈夫では?」


 明日香が言った。


 「鍵はどこですか」


 智が尚久さんへ聞く。


 「鍵管理簿の一ページ目を読んでください」


 尚久さんは、壁を指した。


 鍵管理簿に、大きな文字で書いてあった。


 『早朝利用室鍵は警備室保管。受領者、時刻、返却時刻を記録する』


 「人ではなく、記録を見てください」


 全員が笑った。


 尚久さんも笑ったが、鍵束を握る指はすぐには緩まなかった。


 鍵を渡すことは、場所を渡すことより難しいのかもしれない。


 午後、登録型校務支援員の候補者三名へ勤務条件を送った。


 正式な確定は、県の承認後、二月十二日の面談を経て行う。


 今は、主担当二名と代替一名を置く人員案として申請へ添付する。


 大庭教頭は空白だった欄へ書いた。


 『県登録型校務支援員。主担当二名、代替要員一名。承認後に確定』


 人の名前ではなく、交代できる仕組みが入った。


 最後に、生徒会の会則改正案を確認する。


 会則改正案には、朝焼け文庫への協力、生徒が担える範囲、建物が使えなくなったときは必要な機能の移転も審議することを盛り込んだ。


 二月五日の午前、生徒総会。


 同日の午後、学校運営協議会公開協議。


 そこで可決と推薦を得ても、施設改修と予算はまだ動かない。校長が県教育委員会へ最終申請し、設置者の承認を待つ。


 「明後日です」


 智が腕時計を見た。


 「三分進んでいても明後日です」


 「分かっています」


 議案書の最後に、公開協議で話す人の名前が並んだ。


 相良智。


 斎木尚久。


 三島瑚大。


 桐生明日香。


 木崎奏。


 私の名前の横には、『利用者の必要』と書かれていた。


 他人の匿名票ではなく、自分のことを、自分の名前で話す欄だった。



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