表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
欲しいのは毛布と君――朝焼け図書館の生徒会クーデター  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/32

第17話 司書がいない春

 実証運用開始を翌日に控えた十一月三十日の朝、黎明館のカウンターには、毛布より先にファイルが積まれていた。


 青、黄、緑、赤。


 背表紙には、それぞれ『開室』『閉室』『緊急』『引継ぎ』と書かれている。


 「色で分けたんですね」


 私は花柄毛布を膝へかけながら言った。


 「暗い時間でも取り違えにくいようにしました」


 尚久さんは、青いファイルへ午前五時三十分からの手順を差し込んだ。


 「まず警備員と鍵を確かめます。それから室温と天井、非常口、暖房器具を見て、最後に利用票と麦茶と毛布をそろえる。どこか一つでもおかしければ、その朝は開けません」


 「一冊で済みませんか」


 智が聞いた。


 「一冊にすると、緊急時に目次から探すことになります」


 「検索性の問題ですね」


 「相良くんは、停電中でも目次を読むつもりですか」


 智は黙って赤いファイルを手前へ寄せた。


 十二月一日から三月三十一日までの実証運用。


 昨日まで、その終わりはただの期限だった。尚久さんの契約も同じ日に終わると知ってから、日付の見え方が変わった。


 黎明館が残ったとしても、尚久さんはいない。


 その事実を口にすると、本当にいなくなる気がして、私は朝から一度も言えずにいた。


 「斎木さん」


 「はい」


 「四月から、誰が麦茶を作るんですか」


 最初に出たのがそれだった。


 もっと別れらしい質問があるはずなのに、口から出たのは麦茶だった。


 「良い質問です」


 尚久さんは笑わなかった。


 「麦茶は誰でも作れます。ただし、誰が作るか決まっていない麦茶は、たいてい誰か一人が作り続けます」


 緑のファイルを開く。


 頁をめくると、仕事ごとに担当者と代わりの人、そして中止する条件が書かれていた。鍵を開け、室内の安全を確かめ、具合の悪い人を養護教諭へつなぐところまでは、必ず校内の大人が担う。録音図書の扱いなら市立図書館へ画面越しに相談できるが、転んだ人へ手を伸ばす役まで遠くの司書へ預けることはできない。


 「市立図書館の人が朝から来るんですか」


 瑚大が録音端末を止めた。


 「毎日は来ません。機器の相談や選書は遠隔で支援してもらえます。転んだ人を起こすのは、画面の向こうの司書にはできません」


 「音声で『立ってください』とは言えます」


 「それで立てない人を助ける話です」


 「なるほど。人間には手があります」


 「海東くんにもあります」


 瑚大は両手を見た。初めて支給されたような顔をしていた。


 智は業務一覧を上から下まで読み、すぐに質問を始めた。


 「欠勤連絡の最終時刻は。警備員が先に体調不良になった場合は。管理職へつながらない場合は。暖房だけ故障した場合の閉室基準は」


 「順番に書きます」


 「質問は三十二件あります」


 「順番に減らしてください」


 明日香が入ってきた。


 手には実証運用の腕章が四本ある。窓辺に鳥がいないことを確認してから、腕章を机へ置いた。


 「生徒ができるのは、毛布の返却確認、人数集計、録音図書の案内、机の整頓。鍵、暖房、安全点検、緊急連絡は成人担当者です」


 「分かっています」


 智が答える。


 「分かっている人ほど、忙しいと越境します」


 明日香は智の前から赤いファイルを取り上げ、尚久さんの側へ戻した。


 「これは大人の仕事。あなたは議事録」


 「議事録も大人になれば書けます」


 「今は生徒でしょ」


 短いやり取りだった。


 けれど、明日香が止めたのは智の作業ではなく、智が全部を持とうとする癖だった。


 私は、緑のファイルの空欄へ目を戻した。


 「残してほしい知識って、何ですか」


 尚久さんがペンを止める。


 「全部です、では困ります」


 「そうですね」


 「毛布を何枚出すか。麦茶を何時に作るか。録音図書が止まったら誰へ聞くか。眠っている人を何時に起こすか。話したくない人へ何を聞かないか。斎木さんが今、頭の中で決めていることを教えてください」


 別れを止めることはできない。


 なら、いなくなる人の手をつかんで、ここに縛るのではなく、その手がしてきたことを受け取る。


 尚久さんは、少しだけ目を細めた。


 「木崎さん。今の質問を、引継ぎファイルの最初に入れてもいいですか」


 「私の名前は入れないでください」


 「理由は」


 「支える人を英雄にしないためです」


 自分で言ってから、透明なメッセージドームを見た。


 カウンター奥の鍵付き棚に置かれた、液体のないスノードーム。中には、まだ開けていない封筒が六通ある。


 最初の手紙には、寒い理由を言えない人から先に温めること。


 二通目には、東窓へあすなろの影が届く朝。


 実証運用が始まった今日、尚久さんは三通目以降も読む時期だと言った。


 「誰が開けますか」


 瑚大が聞く。


 「封筒には『次の毛布係は開封可』とあります」


 尚久さんが答える。


 「今の毛布係は四人です」


 「会長もいます」


 明日香が言った。


 「会長は毛布係ですか」


 「安全表を直した時点で、かなり毛布係です」


 「では五人です」


 瑚大は多数決の準備を始めたが、誰も反対しなかった。


 三通目を、私が開いた。


 『鍵は未来へ渡す人が持つ。』


 短い一文だった。


 道貴さんが、作業手袋の上から胸ポケットへ触れた。そこには、二十六年前の司書から渡された真鍮の小鍵がある。


 「私は、未来へ渡す人なんでしょうか」


 「渡すまでは」


 尚久さんが言った。


 「誰に渡すかは、鍵が決めるんじゃありません」


 道貴さんはうなずいたが、鍵が何を開けるのかは、やはり知らなかった。


 四通目を智が読む。


 『数えるのは人数と物。事情ではない。』


 五通目を明日香が読む。


 『壊れたら、人より先に仕組みを直す。』


 六通目を瑚大が読む。


 『声を出せない人のため、静かな席を一つ残す。』


 瑚大は、いつもの競り口調にしなかった。


 七通目を尚久さんが読む。


 『支える人を英雄にして、一人へ背負わせない。』


 開けた手紙は、一枚ずつ透明袋へ入れた。


 智は四つの文を、そのまま写さなかった。


 人数と物だけを数え、事情までは記録しない。事故が起きたときは、誰かを責める前に手順を直す。静かに過ごせる席を必ず一つ残し、朝を開ける大人は一人に背負わせない。


 昔の短い言葉を、今ここで動く約束へ訳していった。


 「手紙を書いた人、制度設計が好きだったんですね」


 智が言った。


 「相良くんほどではありません」


 私は答えた。


 「なぜ比較対象が私なんですか」


 「手紙の人は一通が一行で終わってるから」


 瑚大が納得した顔でうなずいた。


 「相良先輩なら、封筒に入らないですね」


 「折れば入ります」


 「先輩をですか」


 「文章をです」


 笑いが起きたところで、尚久さんが緑のファイルを持ち上げた。


 「では、今日はここまでにします」


 「まだ書棚整理が残っています」


 智が言う。


 「このファイルを入れる場所を作りましょう」


 尚久さんは、カウンター脇の小さな書棚へ分厚いファイルを立てた。


 棚板が、乾いた音を立てた。


 一秒遅れて、片側が外れた。


 青、黄、緑、赤のファイルが、きれいに斜めへ滑り落ちる。


 尚久さんは無言で全部を受け止めた。


 「引継ぎが重すぎます」


 私は言った。


 「物理的にも確認できました」


 尚久さんは壊れた棚板を測り、台帳へ書き込んだ。


 『引継ぎ用書棚修繕費』


 その文字を見て、私は笑った。


 笑いながら、春の空欄を見た。


 司書がいない春をなくすことはできない。


 でも、司書がいなくなった瞬間に、ここでしてきたことまで消える春にはしない。


 八通目の封筒だけが、メッセージドームに残っていた。


 朝顔の透かしが入った便箋。


 末尾には、まだ見ていない「W・W」の文字があるはずだった。


 その手紙を開く前に、瑚大のスマートフォンが鳴った。


 「父からです」


 画面を見た瑚大が、嬉しそうに顔を上げる。


 「明日の朝、魚を二十三人分持っていっていいか、だそうです」


 尚久さんが、壊れた棚板より深刻な顔をした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ