第16話 合法的なクーデター
十一月二十七日。体育館の壇上に反旗はなかった。明日香に没収されたからである。
智は代わりに、誤植ポスターを筒へ入れて持ってきた。
「それも振らないでください」
「資料として提示するだけです」
「棒状に丸める必要は」
「折り目を付けたくありません」
「広報事故記録を大切にしすぎです」
明日香は議長席へ向かった。
臨時生徒総会の出席確認が終わり、選挙管理委員長が定足数を満たしたと報告する。新聞部は後方の記録席。教員は壁際に並び、校長と教頭も来ていた。
私は壇上脇の発言者席へ座った。
手の中には、意見集計の要約があった。毛布と麦茶、静かな机、録音図書。そして、話したくない理由を聞かれないこと。数字へ置き換えられた言葉の中に、私の一票も混ざっている。
「これより、臨時生徒総会を開会します」
明日香の声はいつもどおりだった。
大型画面に議題が表示される。
『早朝に登校する生徒のための、理由を求めず安全に滞在できる場所と支援機能の継続について』
その下へ、通称『朝の居場所を残す』。
さらに画面の右上には、学校の校章が出た。
あすなろの枝と、海を飛ぶカモメ。
明日香の声が止まった。
目を閉じた。
「会長」
智が小声で呼ぶ。
「議事を継続します」
「画面は見なくて大丈夫ですか」
「議題は記憶しています」
選挙管理委員が校章を消そうとして、誤って全画面表示にした。
巨大なカモメが体育館を支配した。
明日香の指が議長用机をつかむ。
瑚大が発言者席から立ち、画面の前へ両手を広げた。
「会長は本日不在です」
体育館に笑いが起きた。
「海東くん、着席してください」
「交渉は失敗しました」
画面が議題へ戻る。
明日香は目を開け、何もなかったように進行を再開した。
「第一号動議。生徒会執行部が十月六日付で提出した『黎明館の早朝利用終了へ異議なし』との回答に対する不信任について。提出者、相良智副会長兼書記」
智が壇上へ立つ。
「この動議は、鳥羽会長個人への不信任ではありません」
最初に、はっきり言った。
「利用者へ聞き取りをせず、代替機能を検討せず、建物閉鎖と早朝支援終了を同じものとして扱った執行部回答への不信任です。私も回答作成へ関わりました。責任は提出者にもあります」
体育館が静かになる。
「私たちは、黎明館を無条件に使い続けるよう求めていません。生徒総会が決められるのは、生徒会の回答を撤回し、学校へ条件付き継続を要請することまでです。施設を開ける決定は、校長と学校側の安全運用会議が行います」
智は、できることと、できないことを分けた。
強い言葉を使いながら、権限を大きく見せなかった。
次に、明日香が執行部代表として答弁した。
「当時の回答は、安全上の懸念を優先したものでした。その懸念自体は現在もあります。しかし、利用者への聞き取りをせず、機能移転を検討せずに『異議なし』とした手続きは不十分でした」
議長席ではなく、答弁席から話している。
「不信任が可決された場合、執行部は回答を撤回し、条件付きの試行運用を学校へ要請します。否決された場合も、少数意見と利用実態は議事録へ残します」
反対意見の発言へ移った。
三年生の男子が、早朝勤務を誰が担うのかと聞いた。
智は、一般教員の持ち回りにしないこと、実証期間は尚久さんの時差勤務を正式に命じる案であること、責任者が欠勤した日は閉室することを説明した。
一年生の女子が、名前を書きたくない人は利用できないのかと聞いた。
私は発言者席へ立った。
「避難確認のため、氏名と入退室時刻は必要です。でも、利用理由は集めません。相談内容は、本人が希望したときだけ養護教諭が別に扱います」
「理由を書かないと、必要性が証明できないのでは」
別の生徒が聞いた。
手の中の要約が少し震えた。
私は紙を置いた。
「人数と必要な機能は記録できます。家庭の事情を公開しなくても、二十三人が朝に来て、毛布や静かな席や録音図書を使っている事実は残せます」
一度、息を吸う。
「それから、私も必要です」
体育館の後ろまで届くように言った。
「母と二人の部屋を、夜明け前に出たい日があります。母が嫌いだからではありません。うまく話せない自分を、朝まで見せたくない日があるからです」
智は私を見なかった。
無記名箱でそうしたように、私の言葉を私のまま置いてくれた。
「今の理由を、全員に言わなければ使えない場所なら、私はたぶん使いません。だから、理由を言わなくても利用できる仕組みを残してほしいです」
席へ戻ると、膝が少し震えた。
明日香が議長席から、次の発言者を指名した。
特別な顔をしなかった。
それがありがたかった。
質疑は一時間近く続いた。
費用が高い。
古い建物へ愛着があるだけではないか。
朝に学校が家庭の役割まで負うのか。
逆に、駅の待合室で十分ではないか。
賛成だけではない声が、議事録へ一つずつ入った。
智は途中から、反論するより記録を確認する回数が増えた。
すべての意見を消して勝つのではなく、反対が残った状態で決める。
投票用紙が配られた。
明日香は議長として投票せず、壇上で待った。
開票結果を、選挙管理委員長が読み上げる。
「第一号動議は、賛成多数で可決されました」
拍手が起きた。
智は立ち上がりかけ、すぐ座った。
明日香が木槌を一度鳴らす。
「続いて、執行部回答の撤回と、早朝支援機能の条件付き継続を学校へ要請する決議案を採決します」
こちらも可決された。
合法的なクーデターは、会長を追い出さなかった。
代わりに、会長を一人で責任を負う席から降ろした。
総会が終わると、結衣が号外用の写真を撮った。
「見出しは『反乱成功、政権存続』で」
「意味が分からない」
「そこが読ませる力です」
「本文で説明して」
私はもう止めるのを半分諦めた。
同日午後、会議室で校内安全運用会議が開かれた。
今度は、生徒の拍手だけでは決まらない。
校長、教頭、養護教諭、事務長、尚久さん、道貴さん、生徒会代表として明日香と智、利用者代表として私が出席した。
校長は最初に言った。
「午前の決議は、学校へ検討を求める生徒側の意思です。施設管理と勤務命令の責任は、私が負います」
ホワイトボードへ、条件が一つずつ書かれた。
十二月一日から翌年三月三十一日まで。
尚久さんの勤務は午前五時三十分開始へ組み替える。
大人の責任者が常駐する。
出入りの記録と緊急連絡票を使う。
責任者が欠勤し、正式な代替者がいない日は閉室。
暴風雪警報時は黎明館を開けず、新校舎西玄関から校長指定の部屋へ直接誘導。
旧館が使用不能になった場合は、代替室で毛布、麦茶、入退室確認だけを行う。
天井、暖房、非常口は毎朝点検し、異常があれば即時閉室。
明日香が一項目ずつ読み返し、智が文言を整える。
私は、毛布導線を衝立と誘導幕へ変えた図を添えた。
道貴さんは最後に、緊急時の連絡先を黒板へ書いた。
「番号は覚えなくていい。目立つ場所に置く。ただし、目立ちすぎて誰でも持ち出せる場所には置かない」
「目立つけど隠すんですか」
瑚大がいないのに、私は同じ質問をしそうになった。
午後六時を過ぎたころ、校長が書類へ署名した。
「条件付き試行運用を承認します」
十二月一日から、黎明館の早朝利用は、善意ではなく学校の決定として続く。
会議室を出た後、智は廊下のベンチへ誤植ポスターを広げた。
『欲しいのは毛布と君』
「まだ使うの」
「意味を修正します」
細い付箋へ書く。
『毛布と、ここを必要とする君を残す。』
誤植の「君」が、初めて誰か一人ではなくなった。
私はノートに挟んだ紙片へ触れた。
こちらの君は、まだ意味を決めない。
尚久さんが会議室から出てきた。
「皆さんへ、今のうちに伝えておくことがあります」
智がポスターを巻く。
「試行運用の準備ですか」
「それもあります」
尚久さんは、校長の署名が入った期間を指した。
「試行運用の終了日は、三月三十一日です」
「はい」
「私の契約終了日も、同じです」
廊下の時計は、午後六時十二分。
智の腕時計だけが、三分先の春を示していた。




