第11話 欲しいのは毛布と君
「会長を通さなかったのは、僕の判断です」
智は、生徒会室の中央で答えた。
「理由は」
「最初に相談すれば、施設利用の手続きが整うまで何も始められないと思いました」
「私が止めると?」
「止めます」
「正解です」
明日香は即答した。
智の眉が少し動いた。
「ただし」
明日香は確認表を机へ置く。
「安全確認も責任者の整理もない状態なら、です。必要性の聞き取りまで止めたかは分かりません」
「相談すべきでした」
「そうです」
智は頭を下げた。
言い訳をしなかった。
明日香はそれ以上責めず、臨時生徒総会までの掲示物作成を指示した。
翌日の放課後、智は生徒会室の印刷機に敗れかけていた。
「何枚目?」
「百十二枚目です」
「一枚目で気づかなかったの」
「文字校正は三回しました」
「じゃあ大丈夫でしょ」
「印刷機が『居』を薄く出します」
掲示文の見出しは、私たちが聞き取りで集めた言葉から決めた。
『欲しいのは毛布と居場所』
建物を守るだけではない。
朝、理由を説明せずにいられる場所を残す。
その意味を一番短く伝える言葉だった。
智は印刷機のふたを開け、紙粉を取り除いた。
「これで直ります」
百十三枚目が出てくる。
『欲しいのは毛布と君』
私は紙を見た。
智も見た。
「居場所の『居』と『場所』が消えています」
「見れば分かる」
「君だけが残りました」
「それも分かる」
後ろで結束作業をしていた瑚大が紙をのぞいた。
「意味が変わりました」
「説明しなくていい」
「誰が誰を欲しいんですか」
「誰も欲しがってない」
言った瞬間、智がこちらを見た。
私は印刷機の音が急に大きくなった気がした。
「掲示しなければ問題ありません」
智は紙を取り上げ、失敗用の箱へ入れた。
そのとき、生徒会室の扉が開いた。
一年生の書記が、完成した束を運び出そうと入ってくる。失敗箱の一番上にある紙を見た。
「あ」
「違います」
智が言った。
「まだ何も聞いてません」
「この紙は印刷不良です」
「木崎先輩へですか」
「なぜ私になるの」
「横にいますから」
書記は口元を押さえ、完成束を抱えて出て行った。
三分後、校内の生徒向け交流掲示板に写真が載った。
『副会長、臨時総会前に公開告白か』
写真には、誤植ポスターと、その横で智を見ている私が写っていた。
「誰が撮ったの」
「書記でしょうか」
「聞きに行く」
「待ってください。削除依頼は会則に沿って」
「自分の告白扱いなのに秩序を守るの」
「告白ではありません」
「分かってる!」
分かっているのに、顔が熱かった。
廊下へ出ると、すれ違った二年生が私へ親指を立てた。
教室へ戻るまでに、三人から「おめでとう」と言われた。
何も起きていないのに祝われるのは、試験に落ちた日に誕生日ケーキを出されるくらい居心地が悪い。
私は昼休みまで智を避けた。
放送室の前で彼を見つけたときも、階段を一段戻ろうとした。
「木崎さん」
呼び止められる。
「何」
「訂正放送をします」
「やめた方がいい」
「誤解で利用者がからかわれています。掲示内容まで恋愛企画だと思われるのは困ります」
自分が笑われることより、利用者への影響を先に言った。
私は戻った一段を上がった。
「文章は?」
「作りました」
紙を見る。
『本日、生徒会室で印刷された「欲しいのは毛布と君」という掲示物は、正しくは「欲しいのは毛布と居場所」です。特定の個人に対する意思表示ではありません。』
「特定の個人、で止めて」
「なぜですか」
「その後に名前を入れてるでしょ」
下には追記があった。
『なお、木崎奏さん個人が欲しいという意味ではありません。』
「絶対に読まないで」
「誤解の中心を明示した方が」
「悪化する」
放送委員が扉を開けた。
「時間です」
智は放送室へ入った。
私は外からガラスをたたいたが、彼は原稿を持ってマイクの前へ座った。
校内放送の開始音が鳴る。
『生徒会から、掲示物の訂正です。本日――』
最初の二行は予定どおりだった。
私はガラス越しに、下の追記へ大きく指でばつを作った。
智はうなずいた。
『なお、木崎奏さん個人が欲しい意味ではありません』
読んだ。
廊下の向こうから、歓声が聞こえた。
放送委員が机へ突っ伏した。
智はマイクを切り、こちらへ出てきた。
「なぜ読んだの」
「ばつではなく、強調の合図かと」
「放送で強調の合図を出す人はいない」
「今後の手順へ追加します」
「二度目がある前提にしないで」
その日の校内交流掲示板は、訂正放送の話で埋まった。
ただ、元の掲示内容も読まれるようになった。
早朝利用者の証言、必要な機能、臨時総会の日程。
誤植が入口になったことは認めたくないが、公開ページの閲覧数は三倍になった。
放課後、生徒会室で失敗紙を処分する。
智は誤植ポスターを一枚だけ折り、資料箱へ入れた。
「捨てないの」
「広報上の事故記録です」
「黒歴史の保存?」
「同じ誤植を防ぐためです」
私は裁断前の紙束から、「君」の一文字が残った細い部分を拾った。
なぜ拾ったのか、自分でも説明できない。
智が後ろを向いている間に、ノートの間へ挟んだ。
事故記録ではない。
たぶん、今日の自分が恥ずかしかったことを、後で笑えるか確認するためだ。
生徒会室の電話が鳴った。
智が取る。
「はい、生徒会室です」
少し聞いた後、こちらを見る。
「新聞部の三科さんです。誤植と臨時総会について、独占取材をしたいそうです」
「誤植は取材しなくていい」
受話器の向こうから、結衣の声が漏れた。
『では、生徒会クーデターの方を中心にします』
私はノートを閉じた。
君の一文字が、紙の間で小さく鳴った。




