第10話 鳥羽会長、鳩に敗れる
鳩は、窓の外から黎明館を見ていた。
正確には、窓枠に止まり、首を前後させながら室内をのぞいていた。
明日香は大型書架の陰から動かなかった。
「鳥羽会長」
「静かにしてください」
「鳩は人の会話を理解しないと思う」
「理解するかもしれません」
「さっき瑚大が、おはようございますって挨拶したけど無視された」
「油断させています」
彼女は片手に安全確認表、もう片方に筆記具を握っている。顔だけが書架から少し出ていたが、鳩がこちらを向くたびに引っ込んだ。
昨日まで、生徒会長は何が起きても机の前から動かず、必要事項を順番に片づける人だと思っていた。
今は書架の陰で、鳩との長期戦に入っている。
「窓は閉まってます」
智が確認した。
「入ってきません」
「ガラスの存在を鳥が尊重する保証はありません」
「物理的にはあります」
「想像力が足りません」
「僕は発想が豊かだと言われます」
「今はいりません」
瑚大が窓へ近づいた。
「鳩さん」
「話しかけないで」
「会長は本日不在です」
鳩は首を傾げた。
「交渉が通じました」
「こちらを見ただけ」
私は笑いそうになったが、明日香の手が白くなるほど確認表を握っているのを見て、やめた。
苦手、という言葉では足りないらしい。
「外が見えなければ動ける?」
「たぶん」
「目を閉じて歩くのは危ない」
「分かっています」
私は毛布棚から、威厳ある虎と会議後の虎を取った。
「毛布を何に使うんですか」
「壁」
智と瑚大に端を持ってもらい、書架の陰から廊下側の出入口まで、窓を視界へ入れずに歩ける短い導線を作る。
「前だけ見て」
「虎が二頭います」
「鳩よりいいでしょ」
「比較対象としては」
明日香は虎柄の間を歩いた。
瑚大が後ろから、反省中のパンダを追加する。
「後方も守ります」
「何から」
「鳩の増援です」
窓の外には一羽しかいない。
それでも明日香は振り返らず、出入口までたどり着いた。
廊下へ出て扉を閉めると、肩から息を吐いた。
「ありがとう」
短い声だった。
「誰にも言わない」
私が言うと、明日香は眼鏡の位置を直した。
「別に秘密ではありません。鳥類を避けて行動しているだけです」
「校内放送のカモメで机の下へ入ったことも?」
「音響設備の下を点検しました」
「机の裏側を?」
「念入りに」
明日香は話を終わらせるように確認表を開いた。
もう一度黎明館へ入るとき、智が窓へ段ボールを立てた。鳩はいつの間にか飛び去っていたが、明日香は段ボールが外されるまで書架の陰を通った。
安全確認は容赦がなかった。明日香は重い東窓を何度も動かし、非常口前の折り畳み机をずらした。延長コードは一本ずつ床へ固定させ、暖房器具の周囲から毛布を遠ざける。補修済みの天井板には毎朝目を向け、最後に「責任者が不在なら開室しない」と太い線を引いた。
「最後は困ります」
智が言った。
「尚久さんか道貴さんのどちらかが急に来られないだけで、二十三人が使えなくなる」
「責任者がいないのに開ける方が困ります」
「代替責任者の制度を」
「先に学校が任命し、勤務として扱うなら可能です。生徒が勝手に代役を決めるのは不可」
明日香は線を引いた。
「善意の人が来られるときだけ開く場所は、続く仕組みとは言えません」
言い方は厳しいが、閉めるためではない。
続ける条件を示している。
私は確認表の余白へ、さっきの毛布導線を描いた。
「これは?」
「窓を見ずに歩ける道」
「鳥対策を正式な安全表へ入れないでください」
「視界を遮る必要がある人の誘導には使える。体調が悪くて光を避けたいときとか」
明日香は図を見た。
「毛布を人が持つ方法では、両手がふさがります。衝立か、壁面の誘導幕に変更してください。通路幅も最低限確保すること」
赤いペンで、私の図を直す。
否定ではなく、使える形へ変えていた。
「鳥羽会長」
「何ですか」
「反対するために来たんじゃなかった?」
「危険な運用には反対です」
「安全なら?」
明日香のペンが止まった。
「必要性と費用を見ます」
すぐ賛成とは言わない。
でも、最初から結論を決めているわけでもない。
確認を終え、朝の利用者が教室へ向かった後、智が明日香を生徒会室まで送った。私も記録紙を持ってついて行く。
廊下の窓へ雀が二羽いたので、明日香は内側を歩いた。
生徒会室へ着くと、彼女は扉を閉め、智へ向き直った。
「一つ、確認します」
「何でしょう」
「なぜ、会長を通さず始めたの」
智は答えなかった。
黎明館を手伝い始めたのは、私が声をかけ、彼が規則の中で方法を探したからだ。
けれど、智は生徒会副会長だった。
会長へ相談せずに、会長が撤回を求められる側へ回る流れを作った。
明日香の問いは、手続きの話だけではないように聞こえた。
「私が反対すると決めていたから?」
智の三分進んだ腕時計が、静かな室内で小さく秒を刻んでいた。




