87話 跳躍した防護策
社交界当日。
何の感慨もない、ただ貴族たちが集まり、踊り、談笑する。
パーティーと何ら変わらないが、ここでの話題、振る舞い、すべてが何に影響するかわからない、大人の舞台。
何度経験しようが、くだらない見栄と意地、虚栄の笑みばかりが満たす社交界は好きになれない。
「陛下、こちらへ。本日のお召し物は、赤と黒をメインに、緑を差し色に加えております。陛下とディアーナ様、アンナ様の絆を表した意匠で」
「興味がない、好きにしろ」
「……はい。申し訳ございません」
「ディアーナとエラはどうなっている」
「ディアーナ様は、仕立てた深紅のドレスをお選びでした。エラは、貴族の女性のおさがりを」
「なぜ新しく用意しない」
「時間が、ありませんでしたので」
王宮入りした我を迅速に着飾る使用人たちは、考えることがあるのだろう。
色、形状、意匠、すべて我には些末なこと。
だが、ここまでエラを軽んじられていると、いっそすがすがしい。
お前たちが尊ぶ、我の血を継いだ娘であると知れたらどうなるか。
何十着だろうと、媚びるようにドレスを用意するだろう。
時間になり、入場の時。
今日は仮面を着用し、人の顔を隠す社交界だという。
ディアーナの提案だというが、妙なことを考える。
大きな扉の前、立つ我の傍らに、小さな影ができる。
仮面をつけたまま、視線を向ければディアーナはそこにいた。
王族としてガーネットを賜った身にふさわしい、深紅のドレス。
赤銅色の髪は、美しく整えられていた。
ガーネットとエメラルドの、アンナが我に作らせた髪飾りを身に着けて。
「おおっ、やはりお美しい」
「陛下も王女様も、堂々とされている」
「やっぱり、陛下ってかっこいいわよね」
「後妻はまだなの?」
ディアーナと会場入りすれば、囁かれるのは利己の声。
貴族どもの、こちらを値踏みする視線。
反吐が出る。
お前たちの存在など、目に入れたくもない。
ディアーナとエラがいなければ、この会を王宮でやる意味もない。
「この度、王宮に滞在を許した者を紹介する。我の装身具を持った娘だ」
エラが入ってくる。
一か月前に、庶民から突然王宮住まいになった娘が。
心配事は一つもない。
我の隣に立つディアーナが、仮面越しでもわかるほどに得意げな表情をしているのだ。
我が言うことは、何もない。
だが、言葉を失った。
呼吸が、喉が閉まり、胸に何か突き立てる痛みが走る。
「紹介いたしますわ…彼女はエラ。お父様の判断でこの王宮に住み、わたくしが庇護する者。わたくしの、お気に入りですわ」
「ご紹介にあずかりました、エラと申します。皆様にご挨拶ができ、光栄です。ディアーナ様の良き日に立ち会わせていただき、恐悦至極に存じます」
美しいを、初めて鮮烈に感じたのはいつだったか。
アンナが、ドレスを纏っていた時だ。
我の心は、アンナにある。
だというのに、この感情はなんなのか。
アンナの遺品はすべて覚えている。
あれは、青空色のドレスは、その一つだ。
それを、ツキの特徴を受け継ぐエラが着るのか。
それが、どうして、痛みを伴うのか。
娘二人が並び、社交の場に出ていく姿。
なぜ声も出せないほどに、目が離せないのだろう。
空のような二人のドレスは、母は違えど姉妹そのもの。
胸に詰まる感情で、吐き気がした。
「陛下、陛下。聞こえておりますか」
「……なんだ側近。目障りだ」
「立ったまま、どなたが話しかけても生返事でしたので。それよりも陛下、一曲踊っていただきませんと」
「時間の無駄だ」
「いいえ。ただでさえ後妻のことで、貴族たちは焦っています」
「その話題を出すとは、よほど命がいらないと見える」
「誰でもいいのです。角が立つのであれば、王女様でも。この社交界の頂点であるあなた様が踊れば、皆が納得いたします」
感情を待つものは誰もいない。
この痛みを、話せるものはもういない。
慣れなかったステップも習得し、不機嫌な我を見て楽しそうに手をとる王妃は、いない。
我が女と踊る意味を、まだ生き残っている側近はよくわかっているはずだ。
身内以外の女と踊れば、気があるのだと思われる。
ここでディアーナ以外の女を選ぶのは、悪手だ。
後妻など、欲しくもない。
だが、そうか。
ああ、そうか。
その手があったか。
なぜ忘れていたのか。
守る方法は、簡単にある。
周囲がどう感じようと、とれる強硬手段はある。
何のための王権か。
苦しめられたのだから、ただ一人、娘を守るために。
罪滅ぼしのために、己が欲のために使って何が悪い。
「素晴らしいじゃないか」
「今の身のこなし、庶民とは思えない」
「それにあの美貌、さては陛下は先王のように」
「やめろ、縁起でもない」
「そうよ。庶民の女を王妃になんて」
中央で踊るのは、エラ。
ツキには一度も着せてやれなかった、美しいドレス。
傷つけ、汚して、一人で子を産ませて、死んでしまったかつての人よ。
謝るとすれば、君だけだ。
ツキ、すまない。
子供でなくなってしまった我には、このような方法で守ることしかできない。
踊り終わったエラに近づき、手を差し伸べる。
周囲の視線は、突き刺さらんばかりだ。
「我と、踊れ。エラ」
庶民の出であるエラの後ろ盾が必要だ。
子供であるディアーナはまだ不足、王宮で守るには頼れる人物はいない。
それであれば、形式だけの後妻とすればいい。
できるだろう、あの先王の横暴を許したのだから。
一人の女を飼い殺しにして、我という子を産ませた過去があるのだから。




