86話 社交界デビューへの懸念
3週間ほど、別邸滞在と、近隣諸国への小遠征を繰り返す。
アンナが死んでから、数を増やした遠征の効果は絶大だ。
不満を垂れていた属国は沈静化し、近隣の国はこちらを伺うようにへりくだる。
兵たちのいい遊び相手を獲得したことは、大きい。
別邸の私室で、大臣たちが上げてきた資料や、決定の書簡を見る。
王としての政務もある中で、戦いのことも同時進行することは骨が折れた。
この国を一度破滅させたいが、派手なことをすれば即座に国民に見切られかねない。
その結果、ディアーナこそが王にふさわしいと、国民意識が王を変更したら目も当てられない。
面倒な。
いっそ根底から壊してしまいたい。
「失礼いたします。ディルクレウス様、次の遠征についてなのですが」
ノックの音と共に、扉が開かれた。
やってきたのは、側近一族の黒衣を纏った男。
年が近そうな、顔の印象が残りにくい者。
だが、違和感はそこにあった。
「誰だ貴様」
「誰、とは。側近一族の者です、今日は僕がおそばにいる役目で」
「お前は側近ではない」
「な、何をおっしゃいますか。この黒衣は、側近一族の証。確かに僕は若輩ですが、先日の陛下の粛清の影響で」
「奴らは王族の名を呼ばない、頑なに立場名で呼ぶ。どうやって侵入したかは問わん、剣を抜く前に消えるといい」
ディルクレウス様、などと側近から呼ばれた覚えはついぞない。
幼少の頃も踏まえ、側近一族は王族の誰も名前で呼びはしない。
奴らの顔など一人一人覚えてはいないが、それだけは記憶していた。
何より人間扱いしない側近どもの纏う空気は、どうあれわかるものだ。
黒衣の男は、深くため息をつく。
衣を脱ぎ、顔に手をかけて変装を解いたその下。
やはり、馴染みのジークがそこにいた。
「何の用だ」
「ディルクレウス王の偵察。ディアーナ様に頼まれて。今日はすぐ帰りますからね、教え子と一時的に別行動なんですけど、まさか正面突破したなんて知られたら今後どう思われることか。考えるだけで恐ろしすぎて」
「遊ぶ時間はない。目的はなんだ」
「手も止めてくれないんですね、わかりました。ハッキリ言ってしまうと、なんでエラ嬢を受け入れたんです?」
「話す義理はない」
「つれませんねぇ、ディアーナ様が必死になって社交界に彼女を間に合わせようとしてるのに。自分の政務も準備もあるのに、マナーから庶民に叩き込まなきゃいけない苦労も察せないとは、恐れ入りました」
「ディアーナ自身がやれと言った覚えはない」
「責任感が強いんでしょう。というか、エラ嬢のことはディアーナ様に任せると言ったのに、忘れたんですか?脳に血流を巡らせる方法、思い出して差し上げましょうか?」
「無駄口をたたくのであれば、帰れ。話すことはない」
ディアーナが、我を偵察するようにジークに命じたと。
教え子が何であるかはわからないが、おそらく専属使用人の一人。
ヴァルカンティア人の娘がいたはずだ。
その二人を差し向けたとすれば、ディアーナは相当に我を怪しんでいると見える。
弁解をすべきだろうか。
いいや、必要はないだろう。
エラの出生を、自分以外に王位継承者となるだろう人間を、ひいては不死の呪いに直面する必要は、ない。
ここまで我のもとに、ディアーナからの書簡は一つも来ていない。
つまり、問題はないのだろう。
「冷たいですね。アンナが死んでから、さらに王宮に居つかなくなりましたし」
「ディアーナはうまくやっているのだろう、我が行く意味はない」
「そうかもですけどね?確かにディアーナ様もあんたの前じゃ委縮するし、そんなに怖がらなくてもいいのにとは思いますけど。あ、これは俺が古馴染みだからですね失敬失敬」
「お前は、変わらない。偵察の意味が分かっているのか、なぜ堂々と我の前にいる」
「正面突破であんたが応えてくれなくなったら、俺たちの繋がりは終わりでしょう?一応は、義兄弟みたいなもんですし」
「繋がりなどない。今は王と、王女の専属使用人。あるいは、ヴァルカンティアのスパイか」
「全部正解ですけどね。面白いでしょう?同盟国随一のスパイが、こんなに友好的なのも。こうやって他国に取り入ればいいんですよ、余計な遠征繰り返すよりよっぽどいいと思いません?」
お前に何がわかる。
傍観ばかりで、我ら夫婦の思惑も、野望も、願いも何一つ知らないだろう。
エラをどうすればいいか、ディアーナをどうすれば守れるか。
不死の呪いを敢行しようとする側近一族の排除方法。
国民の感情を操作しながら、国政を動かす難しさ。
消えない痛み、感情の行き先、どれだけ薪を焚いてもぬくもりが得られない心臓。
いや、一つだけあった。
ジークとの共通項は、これをもって他にない。
「ジーク」
「はぁい?」
「呼びかけても、もう戻らないのだな」
「今更すぎません?」
「違いない。現在言えることはない、いずれ話す。ディアーナにはうまく伝えろ」
「それが、ディアーナ様の利益になると?」
「アンナの娘を、陥れる策は考えつかん」
「……わかりましたよ。嘘じゃなさそうですから」
ジークは、踵を返して部屋を出る。
途中でこちらをもう一度向くと「一つ確認いいですか」と問うてきた。
「アンナの部屋のもの、遺品全部詰め込んでありますけどどうするんです?」
「そのままにしろ、カギはあるだろう。ディアーナが持っているはずだ」
「意外ですねぇ、独り占めしてアンナの幻影に縋るもんだとばかり」
「いずれ、ディアーナが使う。管理は怠るな」
「いいんですか?」
「アンナも、そのほうが喜ぶ」
アンナは、ディオメシアに嫁いでからドレスを着ていた。
かわいらしいものが好きな彼女は、負担にならない範囲でドレスを集めていたものだ。
丁寧に扱っていたドレスは、まだ着られるものが多い。
9歳のディアーナには大きすぎるが、成長したディアーナがアンナのドレスを着たらどうなるか。
予想はできないが、絵に残してもいいだろう。
母親似のディアーナは、何を着ても似合うはずだ。
「ふぅん……えらいじゃないですか」
「帰れと言ったが」
「言われなくても。ちゃんと、社交界には参加してくださいよ」
「わかっている」
社交界まで、残るは数日。
ディアーナの正式社交界デビュー、エラのお披露目。
娘を二人、見届ける。
この感情は、悩ましさは、どう名付ければいい。
当日、我は何を考えるのだろうか。
忘れられない二人の面影を持つ娘たちを、前にして。




