84話 形をとった過去
天気が悪かった。
遠征を終え、ディオメシア別邸で体を休めていると、窓の外はすぐに大雨になる。
もうすぐ夏至だ、いや、今日だっただろうか。
アンナが死に、遠征を繰り返していると日付の感覚は即座に消え去っていった。
だが、すでに二年近くの時が経っていることは自覚している。
今が何月何日かは興味がない。
それよりも空模様や空気の温度、降雪の有無など、戦いに重要な要素ばかりが気になる。
雨の日は、外で剣が振れない。
アンナも、同じ理由で悪天候は苦手だったはずだ。
無理矢理に剣を振り、床を傷つけて慌てていたことがあった。
あれは、我がヴァルカンティアの宰相邸に世話になっていた頃か。
目を閉じ、雨音を聞いているとノックの音がした。
別邸の私室だろうが、王宮と同じ音がする。
どうせ側近だろう。
大臣は、あまりこの別邸に近寄らないのだ。
「失礼いたします陛下。至急でございます」
「なんだ。くだらない案件であれば、貴様の首を飛ばす」
「陛下の機嫌を損なうであろうことは承知の上。我々側近の命をあげて申し上げます、陛下……その、お子様のことで」
今日の側近は、若い女。
アンナの死後、口のなっていない側近を何人も殺したことで認識を改め始めたのだろう。
年若いものは素直だ。
我に子を、王妃をとしか言わないのは老害が多かった。
だが、久しぶりに話題に出された子供のこと。
ディアーナを指しているのではないと、すぐにわかる。
十代後半に見える側近は、雨に打たれただろう黒衣のまま頭を垂れた。
「その話題を我が好かんと、わからぬわけではないらしい」
「もちろんです。ですが、これはお耳に入れなければならないと当主の考えで」
「気に食わないが、貴様の態度に免じて許す。申せ」
「はっ。……その、これはまだ確定ではございませんが」
言いづらそうな顔をする。
当主に命じられたのだろうが、性根が悪い。
我が殺した側近が、老いている者ばかりだからとこの女に報告させることにしたのだろう。
若ければ手を下さないと思ったのか。
礼が尽くせるものは殺さない、それだけの話だ。
「陛下、あの、ツキという女性をご存じでしょうか。私の父がいたころ、陛下の幼少期そばにいた使用人の」
「忘れると思うのか。お前たち側近一族の罪、我とツキにしたこと、忘れたとは言わせん」
「はい、代わってお詫びいたします。その、ツキなのですが、足取りがつかめたと」
「知っている。アンナが生前、ツキは死んだと突き止めた」
「その続きがあったのです。お手数ですが、今すぐ王宮へ向かうご準備をお願いいたします。馬は、用意しておりますれば」
「はっきり言え。貴様は礼節をわきまえている、一度の不快な発言であれば、許してやると言っているのだ」
顔が青くなっている側近は、ずっと下を向いていた。
ツキが死んだことは、我がどうにかできるものではない。
当時側近の奴らは、ツキがどうなろうと構わないと、探すことさえしなかった。
今更、なんだというのか。
「陛下、現れたのです。陛下が渡したという王族紋の装身具を持った女が」
「……ツキか?」
「いえ。本人が言うには……ツキの娘だと。ですが一族の中では、彼女の年齢や生まれた月齢的に、陛下のお子ではないかとのことです」
全身が、瞬時に熱を帯びる。
心臓が跳ねている、脳が沸き立つ。
自分がそんな顔をしているか知らないが、側近の女の悲鳴が小さく聞こえた。
外出のための外套を掴み、外に出る。
馬は、我と共に戦場を駆け巡った駿馬。
突然の乗馬でも、強く鞭を打てば雨をものともせず駆け出す。
風の音しか聞こえない。
いや、風と心臓の鼓動だけが世界を満たしている。
信じられない、信じたくはない。
まさか、あの罪悪の日、あの一度でツキは孕んでしまったというのか。
吐き気がする、怖気が走る!!
我の血が、ディアーナ以外にも受け継がれてしまったというのか!!
この、おぞましい不死の血脈が!!
「走れ、走れ!!」
これほど強く鞭打ったことは、かつてない。
早く、側近たちに触れられる前に向かわねば。
どう利用されるか、奴らは倫理観がないのだ。
ディアーナは王族だ、専属の使用人もいれば、頭も切れる。
だが、ただの庶子だ。
あの事件があったのは、約15年前。
その時の子であれば、女であれば、すでに手籠めにできる年齢。
「アンナ、許せ、許してくれ」
君とディアーナ以外の女のために、死力を尽くすことを許せ。
これ以上、ここまで築き上げた野望への道に邪魔が入るわけにはいかない。
それが、守れなかったツキへの罪滅ぼしだったとしても。
「へ、陛下!?そんな、別邸にいたのでは。なぜお一人で」
「例の娘はどこだ」
「例の、エラのことでしょうか。今しがた、ディアーナ様が面倒を見て応接間へ」
「そうか」
「お待ちください!!不審者の可能性が」
「我が授けた王族紋の装身具があると聞いた。我の客人だ」
王宮内に入れば、慌てふためく使用人。
だがそれもどうでもいい。
早く手を打たねばならないのだ。
後ろ盾を作ろう、いや、我がなったほうが早いか。
何の名目で守ればいい、側近に利用されれば人生は地獄を見るぞ。
考えながら廊下を歩く。
邪魔者は無視をしていたが、小さな軽い足音と共にそれはやってきた。
「お父様、いきなりどうされたんですか。戻るなんて一言も」
「我が戻ったら何か不都合か?」
「いえ、お父様にお会いできてとてもうれしいですわ」
小さな、アンナ……いいや、灰色の目を持つ、ディアーナ。
両手を広げ、応接室へ向かわせないというような動きを見せる、娘。
久方ぶりに見る赤銅色の髪は、日光がなくとも眩しく見えた。
なぜだ、なぜおまえも邪魔をする。
我は、自覚している。
アンナの特徴によく似たお前を、無視などできないのだから。
「連絡があった。我の名の入った装身具を持った娘が王宮に来ると」
「あっ、ちょっと!!」
扉に手をかける。
力を込めて開けた部屋は、ディアーナの専属使用人が4人控えていた。
そして一人。
見たことのない少女がいた。
黒髪が美しく、目鼻立ちが整い、注目を集める顔立ち。
何よりも、その表情には懐かしいツキの面影。
決定的だったのは、瞳の色。
それは、王族の人間に共通する、灰色の瞳だった。
これは、罪なのか。
ツキを守れなかった、側近たちのさせるがままになった罪。
それが15年の時を超えて、形を成したのだ。




