80話 ワルツととろける視線
小さすぎる。
我の腰ほどの背丈、剣を持てるか怪しいほどの腕、恐る恐る触れられる手。
幼い娘と手を握り、ワルツに挑む。
貴族どもも、使用人たちも我らを見ている。
ディアーナは、わずかに震えていた。
見たこともない緊張の表情、我と一切目を合わせない挙動。
ディアーナと踊るのは初めてだ。
普段から、我を恐ろしいという娘だ、おかしいことではない。
覚えていないだろうが、生まれたばかりのディアーナを手にかけたのは確かなのだから。
「もっと背筋を伸ばせ、姿勢が悪い」
「ご、ごめんなさい」
「それでいい。アンナが見ている前で無礼をするな」
「はいお父様」
小さな体の強張り、おぼつかないステップ。
アンナも含め、社交の場で女と踊ったことは多い。
我の体の半分ほどの体は、弱弱しいが下は向かない。
リードしづらいことこの上ないが、気概は充分だ。
一瞬、アンナのほうを向く。
気位が高い彼女のことだ、座ることなどしない。
腕を組み、我々に表現しがたい視線を向ける。
強情な。
諸侯に面倒なあいさつ回りをするだけで、消耗していることに誰も気がつかない。
王妃として、アンナはこの上ない女だろう。
これが、続かないことだけが欠点だ。
「きゃっ」
小さな悲鳴と、足先に伝わる重さ。
視線を下げれば、ディアーナの足が、我の足先を踏んでいた。
顔色が悪い、先ほどまでの気丈さはどうした。
浅い呼吸、緊張で失敗したか。
いや、それにしては様子がおかしい。
踊りに合わせたワルツは、少しずつ終わりに近づいている。
さしたる失敗ではない。
このまま踊り切れば、後はアンナを休ませることもできるだろう。
だが、その時小さな笑い声が聞こえた。
我のリードで動く、小さなディアーナから。
息をつめたような緊張から、安堵の吐息。
「あはっ」と明るい声が、妙に耳につく。
「いきなりなんだ、笑うなど」
「アッ、なんでもないわお父様。さっき足を踏んでごめんなさい」
ディアーナが素直に謝った。
珍しい、いつも我に委縮しながらも近寄り、最近は素直に謝れなかったというのに。
七歳は、王族にとって明確に一員となったと言える年齢。
これは成長だろうか。
いや、成長というよりも何かが変化したというべきか……?
今は、どうでもいいことだ。
何よりも、このパーティーを、このダンスをつつがなく終えることを優先させろ。
アンナが、待っている。
「些事だ、どうでもいい。……最後まで油断するな。曲の終わりの礼まで終えたらすぐ戻る」
「もちろんですわ」
曲が終わる。
礼をしたあと、ディアーナはすぐにアンナに駆け寄っていた。
子供らしいとは、あの事をいうのだろう。
頬を赤くして、母親に出来栄えを聞く子供。
アンナが、とろけそうな笑顔でディアーナを見るその瞳。
踊ることは好きではない。
だが、あの笑顔が見られるのであれば。
値千金の価値がある。
まだ見ていたかったが、側近共がやってきた。
煌びやかな場でも、黒い布を全身で被るこいつらは不釣り合いなカラスだ。
「陛下。新たな交易品の話がしたいと申し出が」
「後にしろ、祝いの場だ」
「いえ、ここは社交の場です」
「待たせておけ、もうすぐ終わる」
「いえいえ。次の遠征や属国の火種もございます、それに援助をしてくださるとのことですので」
「貴様ら一族で話をつけろ」
「なぜお話をされないのです?いつもであればすぐの済ませようとなさるでしょう」
目ざといやつが、今日の側近らしい。
面倒な。
アンナの体調について、側近たちに漏れるわけにはいかない。
喜んで次の王妃を調達するだろうお前らに、我の言動の違和感が元でアンナを危機に晒せるか。
舌打ちをして、その場を離れる。
頃合いになればパーティーは終わるだろう。
それまでに話の決着をつければいい。
今日はアンナをいち早く休ませるために。
王族としての仕事は、すべて我がすればいい。
そう考えれば考えるほどに、時間は伸びていく。
我を呼び出した不遜者は、イラつきと笑顔を両立させた気分の悪い成金だった。
「いやはや実におかしい、この額で手を打とうというのですよ?不服ですか?ずっと陛下は睨みを利かせている」
「言いたいことは、それだけか」
「……っ、か、金を出すのはこちらなのです!!相応の態度というものがあるでしょう!?」
「我に頭を垂れろというのか」
「せ、誠意をですね」
「誠意。我は『早く話を終わらせろ』といったまで、貴様が面倒を言わなければ、とうに終わっていた話」
応接間にて、我をここに召還した命知らずは「金を出すのだから」と何度も繰り返し、我を拘束させるだけの害虫に等しい。
大きな時計を見れば、あと一時間ほどで日付が変わる。
遅くまでいるこやつのために、使用人が宿泊の部屋を整えているのだろう。
無駄の極みだ。
このような男、早く消えればいい。
第一、そのようであれば金はいらないから帰れと何度言っても帰らないのがおかしい。
大きくため息をつけば、男は飛び上がった。
気が大きいのか小さいのか、相手にするだけ無駄だ。
「側近、話をまとめておけ。我から言うことはない」
「よろしいので?」
「初めから我の答えは変わらん。はした金の援助で気が大きくなった小物だ、好きにしろ」
「陛下はどちらへ?」
「アンナのもとへ」
「それはいい。ぜひその調子で二人目を」
なぜ仕事を側近に頼むだけでここまで疲弊しなければならない。
アンナの側にいるようにと思えば思うほど、障害が増える。
すべてにおいて時期が悪い。
この時間、アンナは眠っているだろうか。
寝る前に茶を一杯飲んでから眠るのがお決まりだ、今から行けば間に合うだろう。
足早にアンナの部屋に向かう。
角を曲がろうとして、人とぶつかった。
黒衣を頭から被った、アンナと同じほどの背丈の人間。
側近一族の者だろうか。
「ごめんあそばせ、失礼いたします」
「おい、待て」
妙に高く留まった言葉遣いは、側近一族のやつらがしないもの。
呼び止めたのも聞かずに、そいつは走っていった。
奴が来たのは、アンナの部屋があった方向から。
まさか、アンナの病が側近一族にバレたのか?
足早になる己を押さえることはできない。
我は、勢いそのままアンナの部屋の扉を開いた。
「ヒュー……ヒュー……げほ」
そこには、微かな呼吸がある
そこには、水音がある。
アンナの顔から布の上に降る水は、蝋燭の灯りに照らされて赤黒い。
ソーサーとカップが割れていて、茶が滴り落ちていた。
喉を押さえ、口からおびただしい量の血を吐き、それでも。
アンナは、生きていた。
「アンナ!!!!」
寝台に駆け寄った我が見えたのだろう。
アンナは、ディアーナを見たのと同じ視線で、我に向かって微笑んでいた。




