76話 王女の異変
太陽が傾いていた。
すれ違った側近の「後継者に何かあれば」という言葉を無視して、廊下を歩く。
その部屋の中では、アンナがドレスではなく動きやすい服に着替え、部屋の中を歩き回っていた。
久々に見る、ヴァルカンティア製の戦闘服姿だ。
「ルク、どうしよう。私が、私がもっと気を付ければよかったのか」
「なぜ焦る。何があった」
「病のことを聞かれて、正直に言ったら出て行ったんだ。ディアーナは、ディアーナは繊細な子だってわかってたのにどうして私は」
「事実を述べただけだ。どこに落ち度がある」
「あの子には、まだ、受け止め切らなかったんだ。それを、見誤ってしまった。だって、いきなり出ていくなんて」
視察から戻ったばかりの彼女は苦々し気な表情で頭をかいていた。
数年で身に着けた淑女らしい姿ではなく、彼女らしい仕草。
真に焦ったときの様相だ。
「落ち着け。体に障る、寝台へ」
「いや、これからすぐに出る予定なんだ。裏カジノで栽培されていた紫晶草が栽培されていると今日報告を受けたからそこへ」
「自分の体を考えろ。些末なことは我がやる、休め」
「ダメだ!!私は、もうすぐ死ぬんだぞ。ルクの、ディアーナの助けになれるうちに、こんな体使いつぶしてやる」
「馬鹿なことを言うな。冷静になれ」
「私は冷静だ!!ちゃんと考えている!!」
「ディアーナの動向はわかった。もうすぐ戻る」
冷静であるはずがない。
アンナは、ディアーナが戻ると知った瞬間に膝から崩れ落ちた。
すぐに抱きとめたが、腕に伝わる鼓動が早い。
たった一時間。
その時間ディアーナの動向がわからないだけでこの有様か。
大胆なことだ。
我の言葉を聞き、アンナが戻り次第説明を求めるとは。
そのあとに、勝手に出ていかなければアンナが気を揉むこともなかった。
ディアーナは、思い切りがある。
我か、アンナか、どちらに似たのだろう。
「はぁ、はぁ……すまない、胸が、痛い」
「医者を呼ぶか」
「大丈夫、大丈夫だ……はぁっ……ルク、重ね重ね出すまないが、お願いしてもいいか」
「アンナの願いだ。叶えない選択肢があるのか」
「心強い……訓練兵たちの、技術が落ちている……それに、あいつら戦術通りに動きやしない。実践不足がひどいんだ、これでは、いざというときに、機能しない」
「ここにきて、兵の心配か。殊勝なことだ」
「だって、大事だろう。ディアーナを、守るし、君の、剣になるんだぞ」
「自己犠牲もいい加減にしろ。王妃がいなくなれば、世は騒ぎになる。休め」
「だめだ、だめなんだ……そう、だな……属国や、ヴァルカンティアの軍と、軍事演習をしよう……頼むルク、すぐに」
「わかった。いい加減に休め」
ディオメシアを、ディアーナを、我を思う行動を、アンナを通して我は学んできた。
彼女の提案は、長期的に見ればディオメシアのためになるもの。
それはわかっている。
だか、先が短い己の身を投げ打っていいと許可した覚えはない。
なぜ苦しいと、辛いと、逃げ出したいと言わない。
その口から出る言葉は、母であり聡明な王妃としての言葉だけだ。
「茶、茶が欲しい。ルクの、あれがあれば痛くなくなるんだ」
「どこにある」
「机の上の、ティーポット。いつも、専属が、用意してて」
アンナを横抱きにしたまま、立ち上がってポットを手にする。
当然そのままで飲ませられず、手近なカップに注いでアンナの口元に近づけた。
だが、うまく飲めないのだろう。
口の端から流れて行ってしまう。
茶を口に含み、アンナに口づけて飲ませた。
抵抗もされず、何度か繰り返せば頬に赤みが差してくる。
元気そうに見えるだけだ。
動けることも嘘ではないだろう。
病魔がアンナを蝕んでいることは、変わりない。
「今日は休め。側近たちにも知られないように、別の部屋を用意させる。医者もつかせる、今日だけは」
「でも」
「そうしなければ、我はアンナを閉じ込めてしまう」
「何バカなことを言うんだ。やることが、ディアーナも」
「言うことを聞け。これ以上口答えするか?」
胸が詰まる。
どうするべきかなど、わかるはずもない。
ただ、アンナが零れ落ちる想像ばかりが、体を突き動かしていた。
無様だろう。
己の欲で、縋りつくなど。
これが国の頭か、世も末だ。
抱きしめるうち、疲れていたのだろう、アンナは眠った。
外出の準備を整えていたアンナの専属使用人に、休ませる準備を整えさせる。
寝台に横たえたアンナの体は、十年前よりも細く見えた。
アンナの部屋を出てしばらくすると、側近が近寄ってくる。
暑苦しい黒衣を着て、汗をぬぐう男。
人間の美醜にさほど興味はないが、側近一族の汗は見ることもおぞましい。
「へ、陛下!!王女様は戻られました。今しがた、お部屋に」
「そうか、寄るな」
「そういえば、王妃様はどちらにいるかご存じでしょうか?先ほどから姿が見えないのですが」
「数日、視察に出るらしい。一度荷を積んですぐに出た」
「そうなのですか?おかしいですね、そのような連絡は受けておりません」
「貴様らは信用できん、我が話をつけると言った。もう用はないな」
「へ、陛下……」
アンナの先が短いと知れば、奴らは殺しに来るだろう。
孕む可能性のない女を、排除するなど目に見えている。
休ませるのだ、できるだけ長く。
誰の目も気にしない部屋で、安らかに。
アンナのことだ、また体が動くようになれば、勝手に動く。
それは、止められない。
どれほどやめろと止めたところで、我に協力するだろう。
すべては、ディアーナのために。
「ったく、なんだあの高飛車女。今日はやけにしおらしくなかったか」
「アテナ、誰が聞いているかわかりません、口を慎んでください。メリー先ほどから上の空ですが、どうしました」
「あっ、ごめんねコマチちゃん。なんだか、王女様変だなって……」
使用人……まだ年若いメイドが3人、廊下の隅にいた。
我の姿を見て、急いで頭を下げる。
黒髪、赤銅色髪、金髪。
すべて民族が違うのだろう、この調和はアンナがもたらしたものか。
金髪のメイドが小さく悲鳴を上げていたが、興味はない。
一瞥して通り過ぎる。
一瞬、ディアーナの部屋が見えた。
扉が開いていたので、中の様子を見る。
昼間あったものと変わらない、幼い後姿がそこにある、
しかし部屋の中心に立つその姿は、不可思議な存在感を放っていた。




