73話 魔女
夜。
今日は夜が最も長い。
アンナとディアーナはすでに休んだ。
社交界の催しというものは、体力を使う。
ディアーナはまだ子供だ、だがアンナも休んでしまった。
確実に弱ってきている。
常人と同じように動き回っているが、時折動きがぎこちない。
ヴァルカンティア人の丈夫さと筋力がなければ、すでに寝たきりであってもおかしくないはずだ。
今日は無理をしただろう。
多くの貴族に挨拶をし、ディアーナを伴って動いた。
我ですら、気疲れがある。
だが、アンナはやると言って聞かなかったのだ。
専属使用人と、あの日診察をした医師以外にアンナの病状を知る者はいない。
何度か咳をしているのを見かけた、口を隠すようぬぐって、紅を引き直していた。
「なぜ、我ばかりが生きる」
部屋の中には暖炉の火。
薪のはぜる音が、何度も執務室に響く。
反対に、机上の蝋燭の火が小さく揺らめいた。
命を渡せる呪いであれば、歓迎しただろう。
始祖ディオメシウス、貴様さえいなければ。
その血族が、命あることに対して苦悩することもなかったというのに。
「アンナを生かしたいの?」
何の気配もなかった。
ただ、その声は突然に現れる。
聞くが早いか、剣を抜き立ち上がった。
ジークか?いや、奴は話しかける前にわずかに気配がする。
それにこの声は、女の声。
あいつは、理由もなく変装して話しかけることはない。
「おかしいな、何回も見ていたけれど、わたくしの知るあなたと違って、本当に大切に思ってるみたい」
声は、目の前から。
顔をあげれば、数歩先に黒い影。
側近の装束か?いや、奴らよりも粗末で、ただ黒い布を被ったような姿。
背は、アンナと近いか。
小さい男か、大きい女か、それすらも分からない。
丸腰で、顔すらも分からない。
明らかに不審人物だった。
「貴様、どうやって入った」
「ねぇ、なんで?わたくしの知るあなたは、そこまでアンナを愛していなかったと思うの」
「答えろ。何者だ」
「何者?……わかるわけもないわね。わたくし、何度かあなたと目が合っているのに」
「知らないな」
「小さいころにぶつかったり、武闘会でちょっと見たり……まぁ、どうでもいいわね。今日はあなたに聞きたいことがあったの。ただの個人的で、国も何もない話」
「衛兵を呼ぶぞ」
「呼んでもいいわよ?アンナが助からなくなるだけだもの」
「戯言を」
「そう思うならいいわ。わたくし、嘘はつかないから」
女、と思しき奴は、そう言って手を後ろに組む。
無防備だ、このまま2秒もあれば殺すのは訳ない。
剣を投擲するでも、一歩踏み込んで刺すでも、いっそ素手でも殺せるだろう。
だが、なぜだ。
なぜか、その気が起きない。
明らかに怪しいこの女を、害する気に少しもなれない。
剣を下ろした我に、女は笑った。
実におかしそうにする笑い声が、聞き覚えのあるような気がした。
「信じるの?わたくしはこんなに怪しいのに」
「3秒あれば殺せる。用だけ話して消えろ」
「そっけないわね。わたくしもそんなに時間はないから、手早く話すわ。アンナの痛みを取り除けるかもしれない薬、在処を知ったら取りに行く?」
「行く。迷う余地はない」
「……それが、簡単にできないとしても?たぶん、他国に侵攻することになっても?『嘘偽りなく答えなさい』」
女の声が、心臓に響く。
ただの声のはずだ、それが何よりも強い命令のように思える。
ひときわ大きく心臓が脈打つ。
その直後、我の口は勝手に言葉を紡ぎ始めた。
「……もうすぐ、ディオメシアの名のもとに他国へ侵攻をかける。同じことだ」
「どうして?だって、今もディオメシアは強い。そんなことしたら国民になんて思われるか」
「王を頂くから、そうなると早く国民が気づけばいい」
「それは、どういうこと?あなたは、何がしたいの」
「不死の呪いを根絶する。王さえいなくなれば、蘇生を知る者共が死に絶えてしまえば、誰も蘇生を知らずに魔法が消えればいい」
「そんなこと、本当にできるとでも!?」
「できなくとも、ディアーナに継がせるよりはマシだ。できないのであれば、この国ごと消えればいい」
何ということだ。
最大の秘密までが口から漏れ出ていく。
妙だが、女は不死の呪いについて聞く様子がない。
さては知っていたな。
やはり側近の手先か?
だが、それでも、それでも剣に手が伸びない。
先ほどの笑み、誰に似ていた。
ここまでの不審を重ね、なお殺意のかけらも出ないのはなぜだ。
「そう、そう……まさか、呪いがここまで事態を変えるなんて……それとも、わたくしが知らないだけでお父様はお母様のこと」
「はやく、教えろ。アンナは、どうすれば」
「あ、ああそうね。アンナの痛みを和らげる薬は、ここから北に行った小国でとれる作物たちを粉にしたお茶とかいいわよ」
「茶だと」
「ええ、毎日毎日ね、飲ませなさいな。それと」
「まだあるのか」
「あなたは、娘のこと」
それは突然だった。
ただ瞬き一つの間。
一切目を逸らしてはいない。
大時計が日付が変わったことを知らせたその瞬間、女はかき消えたのだ。
話しかけた言葉はそのまま落ちて、何も続きはない。
部屋は、また一人だけの空間となった。
暖炉の薪が、爆ぜた。
蝋燭の火は、消えていた。
「なんだ、今の女は……あ」
らしくもなく、間抜けな声が出てしまう。
これもまた突然だった。
思い出したのだ。
確証もなく、なぜ自分があの女を斬る気になれなかったのか。
その理由は、実に馬鹿げていた。
自分で自分に、声をあげて笑えてしまうほどに。
「アンナに、似た笑い声と。それだけで……なんということだ」
笑い声を聞いて、使用人が入ってきた。
慌てた様子だが、何もない。
ただ、笑う我がいるだけだ。
「あの、陛下。夜分遅くにいかがなさいました」
「ああ……ちょうどいい、伝令を出せ。大臣たちに、朝一番に会議をすると伝えろ」
「わかりました……いったい、何の議題で?」
「北に進軍する準備だ。春になったら侵攻できるよう、進める」
一刻の猶予も惜しい。
アンナの苦しみを和らげたい。
時間が経つのが待ち遠しかった。
アンナの病さえなくなれば、この安らぎは続くのだから。




