71話 寝物語の夜
「おかあさま、ご本よんでくださる?」
「いいとも。ほら、膝に乗るといい。おいで」
「いや。おかあさまのネックレスが髪の毛にひっかかるんだもの、わたくし痛いのは嫌」
「でもなぁ。これは大切なネックレスなんだ、エメラルドが素敵だろう」
「いーやー!」
「ははっ、困ったな。じゃあおとうさまに読んでもらうといい」
「え~……おとうさま、こわいんだもの」
「怖い?そんなはずは……全く、頼むよルク、そんな深刻な顔しないでくれ。どうしたらいいかわからなくなる」
寝る前に本を読んでやるのが、ディアーナの日課だという。
自分の母の体に何が起きているのか知らぬまま、浴びせたい言葉を浴びせる姿。
子供というものは、無垢な悪魔だ。
何も知らずに、すべてを知る人間を抉る。
そうして甘える時間は、すでに限りがあることを知らないために。
「眉間に皺が寄ってるぞ。ただでさえ迫力がある顔なのに、怖がらせてどうする」
「アンナ、体に負担だ。すぐに寝ろ」
「いきなりだな、悪いがこれが習慣なんだ。文句は聞かんよ」
「だが」
「そうだ、ディアーナの誕生日の打ち合わせに来たんだったな。ディアーナ、今年はお父様がとてもいいパーティーにしてくれるぞ」
「むぅ……わたくしのパーティーなのに、おとうさまっていつも大人とばかりいるんだもの。それに、みんなこそこそ言い合って、すきじゃないわ」
「どうしてもディオメシア王族主催の催し物は、社交の一面が強いからなぁ。でも大丈夫だ、ちゃんと今年は家族優先にしてくれるさ。なぁ?ルク」
「勝手に決めるな。まだ何も決まっていないだろう」
「おとうさまとおかあさま、もう仲直りしたの?けんかしてたんじゃないの?」
仲直り。
この年齢になって、そのような言葉を使われることになるとは思わなかった。
アンナを見れば、ちょうど目が合う。
考えることは同じだろうか。
けんか、けんかか。
言い合いはしたことがある。
だが、ここまで話さない期間は初めてだった。
子供とは、バカではないらしい。
言葉がなくとも、考えることができるのだから。
自分が幼いころは、ここまで賢かっただろうか。
呪いの深刻さも知らず、すべてを知る姉様兄様に、何を言っただろうか。
すでにどんな顔だったかも朧気だ。
あんなに世話になったディセル兄様すら、どんな顔をしていたか覚えていない。
「けんかじゃないぞ。ただ、そうだな……私が勝手だったんだ」
「おかあさまが悪いことなんてするはずないわ」
「おや、随分なことを。でもな、覚えておきなさいディアーナ。どんな人でも、悪いことも間違うこともあるんだ」
「おかあさまでも?」
「そうだ。そして今回は、勝手をした私も悪い。だが、ずっと私たちを避け続けたルクも悪い。だから、もういいんだ」
「よく、わからないわ」
「そうか。でも覚えていれば、それでいいさ」
母と子の会話は、かくも穏やかだったか。
しばらくぶりの二人の会話は、妙に温度を持っている。
我が知らない、二人の時間。
それが、美しいというものか。
それとも、時期になくなるとわかっているから、美しいのか。
『珍しい病です。呼吸が苦しくなり、徐々に体を動かすことも難しくなる。余命一年という目算は、間違っていないかと』
『嘘を言うな。アンナは丈夫だ、病などで苦しむはずがない』
『ですが、何度診ても結果は変わらないのです』
『やめてくれルク。わかってたことだ』
『馬鹿げた結果を受け入れろというのか』
『受け入れないと、先に進めないんだよ』
『なぜだ、なぜ、受け入れている』
『もう、たくさん悩み切ったんだ。一人で、結論は出した』
結果を突きつけられたアンナの顔を思い出す。
動揺も、悲哀も、苦悩も何もなかった。
わかっていたと、微笑みすら浮かべていた。
想像することは、容易ではない。
だが、一人で結論を出すことの意味は分かった。
裏カジノの医師にこの結果を突きつけられたのがいつなのか、知りたくもない。
アンナと話をしなかったここ数か月での出来事だと仮定する。
アンナは誰にも言わず、我にも言わず、一人で死ぬ覚悟をしてしまったのではないか。
今日、吐血の様子を見ていなかったら、その時が来るまで病のことすら、知らされなかったのではないか。
暗くなる視界に、何かが腕を引く。
目を見やれば、小さなディアーナが自分の何倍もある我の手を握っていた。
「おとうさま、おとうさまあのね。いっしょに本をよみましょう?」
「……我に、なぜ」
「おかあさまが、おとうさまもさみしがるから、いっしょにねって」
「しかし」
「ほら!!こっちに来てくれないか?あ~体を支えるのが辛いな~。誰かが支えてくれるととっても助かるんだがな~」
まだ体は動くだろうにわざとらしいアンナの声、早く早くと急かす幼い手。
それは間違えようもないほど、温かすぎる現実。
親兄弟を殺し、王位を簒奪し、幾人もの命を潰し、一人の女の生を歪めた先に得たもの。
それが、このような形で、本当にいいのだろうか。
いや、我がこれまで呪いを起点として消費してきたすべての報いを、アンナが受けているのかもしれない。
それでも、小さな手から逃げることは考えられなかった。
手を引かれ、寝台へ。
腰かけるアンナの隣に座り、片腕で背を支える。
ディアーナは慣れたように、アンナの膝の上に座った。
「ようし、じゃあ読むぞ。まずはディオメシウスのディオメシア建国伝説で」
「それは好かん、別の本にしろ」
「ルクはそうでも、ディアーナは好きなんだから口出しするな」
「あのね、すごいのよ。いーっぱい敵を倒してね!」
そいつが自分の先祖であり、自分に呪いを残し続ける起点であるとも知らず、無邪気な娘。
どんなに言おうとも、アンナはこちらを見ずに語り始めた。
子供だましに脚色された、寝物語。
それを語る声。
何かできるはずだ、まだ手はあるはずだ。
この光景を、消さないために。
いい薬を、手に入れなければ。
いい医者を連れてこなければ。
アンナの病を治す、そのために。
夜は深く過ぎていく。
ディアーナ6歳の誕生日が、迫ってきていた。




