62話 幼子の怒りと夜の訪問者
「とーさま、あのね、しあわせのクローバーがあったのよ」
子供の成長は、著しい。
姿を見ない間に、歩き、走り、言葉を発するようになる。
小さな生き物だったそれは、人間らしくなった。
執務中だったがアンナに手を引かれ、庭の東屋へ向かえばディアーナが人形を片手に遊んでいる。
アンナが名を呼べば、小さな娘は笑顔を浮かべて寄ってきた。
小さな手に、ただの雑草を手にして。
「ルク、聞いただろう?褒めてやってくれ、苦労して探したんだ」
「雑草だ。なにを褒める」
「ディアーナが君にあげたいって探したプレゼント。うれしいだろう」
褒めろと言われようが、何を褒めるというのか。
領地をとったわけでも、敵将を殺したわけでもない。
記憶にある限り、あの愚王は一つも我を褒めなかったがな。
アンナの誘導で、我の足元に立ったディアーナは、アンナによく似た顔でこちらを見上げている。
髪と顔が似たのであれば、瞳も緑であればよかったものを。
真っ赤なドレスに身を包んだ小さな娘は、瞳の色以外はアンナ譲りで完璧だった。
「……次は、雑草以外にしろ」
「やり直し。普通に『すごいな』とか『よくやった』でいいだろう」
「普通だと?アンナが甘やかしすぎだ」
「ほとんど半年ぶりに戻ってきてそれはないだろう?ほら、もう一度」
「よく、やった」
こちらが見下ろせば、ディアーナは目に涙を貯めてアンナに縋る。
生まれて3年、信頼できない人間の判別はつくらしい。
だが、アンナが抱き上げて、我にディアーナを押し付ける。
何が違うのか、今度は機嫌よく我の顔に手を伸ばした。
「あんまり圧を込めて睨むな。大臣たちも委縮する視線に、ディアーナが耐えられるわけないだろう」
「我に、親はできない」
「そうはいっても、ディアーナは君の娘だ。いつまで好き避けする気だ?」
「くだらないことを」
「事実だろう。いつも属国の武力制圧か、反乱鎮圧ばかりで王宮に居つかない。そろそろ死にたがりも大概にしてくれないか」
「あの愚王と同じことをしろと言いたいのか」
「違う。この子が寂しがるのに、わざわざする必要のない武力を掲げて不興を買いに行かなくていいだろうと言っている」
アンナの言うことは、図星だ。
武力で押さえつければ、不満が起きる。
不満が起きれば王族への嫌悪が起こる。
そして民衆が王政撤廃の革命でも起こせば、王族は維持することはできないだろう。
それを狙って3年。
続々と国内外の不満は溜まっている。
王族の撤廃は、我だけの一声で成り立たない。
すぐに国民の声に押され、側近や大臣たちの手によって握りつぶされる。
水面下で、何度苦汁を飲んだか。
「私だってはやく復帰したいんだ。なのにルクが王宮を留守にしがちだからできやしない」
「感謝している。我がいない間の王宮管理、大儀であった」
「そう思うなら、もっと長く王宮にいてくれ。裏カジノのこと、私だって力になりたい」
「呪いを消すための計画には、手を出させないと言った」
「直接的じゃないだろう?ただ不穏分子を管理下に置きたいだけなら、手を貸したって支障はないはずだ」
「承服できない」
「どうしてだ。まだ私を軟弱な女扱いか!?」
「やーあー!!」
アンナとの会話の最中、それを切るように幼いディアーナの大声が響く。
我の腕の中で、抵抗するように動こうとする。
これまでの機嫌の良さは、消えたらしい。
め、め!!と何かを連呼するが、真意がわからない。
3歳というものは、言語が人間ではないようだ。
わからぬままに顔を見ていれば、また泣き出す。
意思の疎通すら難しいのは、我が生まれてすぐに手をかけたからか。
「ほら、泣くなディアーナ。父と母は仲良しだ、案ずるな」
「話す内容がわかるのか」
「大体はな。ディアーナは私に似ず繊細なんだ」
「繊細だと。ただわめくだけだ」
「私たちが喧嘩をしていると思ったんだろう。こういう、細やかなところに気が付くのはルク譲りさ」
幼い子を持つ母というものを、知らない。
その様子を、見た記憶もない。
だが武力に関わらず、政治の険しさに触れず、この成長を喜ぶこの状態を平和というのだろう。
この状態を、アンナに永遠に享受したままであればと願うのは、罪だろうか。
それを見透かしたように、ある来客が現れた。
時刻は夜。
すでにディアーナとアンナは床に就いた頃。
執務室で一人、わずかにしか得られない裏カジノの情報と、属国の現状連絡を突き合わせていた。
紙に字を走らせる音以外存在しない。
我一人しかいないはずの執務室に突如として生まれた気配。
背後、相当な手練れが一人。
腰に差した剣を抜く。
それを振り向かず、下から突き刺すように振り上げた。
手ごたえはない。
気配はまだ部屋の中。
振り向いても、見渡しても姿が見えない。
上か。
躊躇いなく、手近なインク瓶を掴み、真上へ投げる。
「まったまった!!ちょっとインクはやめましょう、洗濯が面倒なんですよ。血の次についたら落ちないんですから」
その声は、すぐに降りてきた。
軽薄そうな、言葉が多すぎる男の声。
だがそれは、知る声よりも幾分か低いものになっていた。
数回見たことがある、特別製らしい黒い服。
体のつくりがわかる、影を形にしたようなその装束。
「お久しぶりです。俺からすればそこまででもないですけど」
「ジークか。貴様、背が伸びたな。声も変わったようだ」
「おかげで女に変装しづらいったらないんですよねぇ。じゃなくて、もっと驚きの声が欲しいところ、なぜ当然のように受け入れてるんです?度胸があるアピールなら寒いですから、やめたほうが無難ですよ」
「よく喋る口だ。大事ないらしい」
「……え、気色悪っ。鳥肌立った、アンタが気遣うとか天変地異起きてます?アンナと娘に絆されたにしたって気持ち悪すぎます中身別人ですよね?」
ヴァルカンティア特別スパイのジーク。
結婚した当初は、頻繁に姿を見せると予想していたが、会うのは式以来だ。
奴の口ぶりは、半分以上が嫌味と煽りでできている。
数年ぶりの再会が、許可のない王宮侵入とは。
やはり、無礼さは変わらない。
「何をしに来た。ヴァルカンティア側とは先日も手紙のやり取りをしただろう」
「それもそうですけどね。今回は俺の独断専行みたいなもんです、ボスには言ってありますけど」
「ハイネ殿からの命令か」
「俺のって言っただろうが。おっと失敬」
ジークはため息をつくと、馴れ馴れしく空いた椅子に座った。
窓際の椅子に足を組んで座る姿は、どう見てもきな臭い。
彼はそのまま外を眺め、こちらを向かずに話し出した。
「裏カジノ、って知ってますよね?あれ、ぶっ潰したいんですけど一枚噛みません?」
三日月のように口が弧を描いている。
どうやら、今日は長い夜になりそうだ。




