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60話 初めの儀

殺せと、この小さな生き物を。

アンナが死力を尽くして産み落とした、これを。


ようやく理解した。

握らされた短刀は、我が子の命を絶つための物か。



「訂正するなら今のうちだ。我ならば、数分でこの部屋のアンナ以外を殺傷できる。側近だろうが、アンナの専属だろうが我にはどうでもいい」

「いいえ、これは必要なことなのです。本当に王の子であれば、地下教会ですぐに蘇生されましょう。王妃様に不義があれば、ただ死ぬのみ」

「そこまでして祝福が見たいか貴様ら。命がいらないようだ」

「でしたら王妃様を処分させていただきます」



アンナの側にいた側近の一人が、彼女の首にナイフを突きつける。

首元にわずか刺さった剣先は、そのまま首に一滴血を流させた。


普段であれば、起きるだろうアンナに反応がない。

毒には耐性があったはずだ、それが全くないかのように無抵抗で眠る。


出産はそれほどに過酷なものか。

今この時も、アンナの出産の後始末が進行している。


生きるための手当てと、我が子を殺す初めの儀が同じ部屋で行われるとは。



「アンナは不義を犯す女ではない。同盟も結んだ王妃を殺すか」

「信用できません。それに、初めの儀は父親であるあなたがやるから意味があるのです」

「生き返るだろう我が子を、すぐに殺すのが非道であると我にも理解できる。貴様ら一族は、祝福見たさに人間をやめたらしい」

「己の手で初めの死を迎えさせることで、父親としての自覚が芽生えるのです。さぁさぁ」

「詭弁だ。であれば側近のお前たちはどうなる、子殺しをしていないお前たちに親の自覚があるというのか」

「我々は死んでしまいますから。ですが、王族であるあなた様は違います。側近一族の使命は、始祖の祝福の血と王族の地位を未来永劫残すことです」



聞くに堪えない。

アンナの出産を手伝った産婆と思しき老齢の女は、子供を掲げながら汚い口を動かし続ける。


ならば、これは仕方のない殺しだ。


我は右手に握らされた剣を振りかぶる。

側近たちの視線が集まる中、それを目の前の顔を狙って振りぬいた。


短剣であるからだろう、肉を絶つ感覚が強い。

生まれたばかりの赤子が包まれた白い布に、汚い赤が付く。



「きゃあぁぁぁ!!」

「おばば様!!」

「陛下、乱心されたか!?」



順番を間違えたらしい。

そう感じた時には、その小さな生き物を側近の手から攫って腕にのせていた。


数秒もしないうちに、先ほどまで赤子を人質にするように掲げていた老女が床に水音を立てて倒れる。

恨みがましい目でこちらを見るが、すでに絶命しているだろう。


むしろ我に感謝すべきだ。

王族に盾ついて王妃まで人質にし、勝手な主張を繰り返すその命。

苦しませずに一瞬で刈り取ってやったのだから。



「黙れ。歴代の愚王どもがやろうと、我はしない。この子供は、アンナの子だ」

「……でしたら、誠に不本意ですが我々側近の誰かが代行いたします。王女様をこちらへ」

「話が聞こえていなかったようだな。殺さないと告げた」

「なら王妃様を殺すだけです。我々はいくらでも人間を『処理』できます、王妃も彼女でなければいけないわけはない」

「刺してみろ。数秒後に死ぬのはその無礼者だ」

「我々が何でもするということはご存じでしょう。ツキの件で、わかっていただけたはずですが」



長老の側近は、無感動に話をする。

すぐそばで、アンナが人質となったまま。


アンナに剣を突きつける人間を殺すなら、短刀を投げて殺せばいい。

だが、奴らのことだ。

わずかに動ける一秒があれば、躊躇なくアンナの首を掻き切る。

どんなに体が強いヴァルカンティア人だろうが、刃物で傷つく。


活路が見出せない。

どんなにこの場で動こうと、腕の中の命を殺さない限りアンナが死ぬ。


我のせいで、傷つく女がまた増える。



「脅しか。そこまでして、祝福の呪いを継ぐ意味などない」

「いいえあります。あなた様の血筋は、ディオメシアに繁栄をもたらしてきた。戦いの英雄を輩出してきた。殺すことは容易でしょう、お早く」



右腕の震えが止まらない。

なぜ躊躇う。この手で兄様たちも、多くの兵たちも殺してきただろう。

アンナの子であるだけで、なぜ。


脳裏によぎるのは、ツキの顔。

彼女と同じ、我が何もできないままに不幸にし、手放すか。


それは、できない。


我の生母は、これを見たのか。

我が生まれた時、あの愚王も我に手をかけたのか。



「……許すなよ、娘」



まだ目も開かない小さな生き物。

意味のない音を口から吐き出す、小さな口。


苦しんで殺す術は、いくらでも身に着けている。

楽に、眠るように死を与える手段も同様に。


短剣の刀身を素手で握る。

剣先だけを操れるように。

手が切れるが、痛みは感じない。


我の手は、どうでもいい。

ごく浅く傷つけ、苦しませず、息をつく間もないことを願った。



「おお。見事な手際でございます陛下、では王女様はこのまま地下教会へ参りましょう」



赤子は、泣き止んでいた。

まだ温かく柔らかい体は、側近たちの手によって奪い去られる。

アンナを刺そうとしていた側近は、すぐに刃を収めて長老についていく。


すぐに、側近の奴らはみな消えた。

部屋には、我とアンナのみ。


うまく歩けないまま、倒れるように寝台へたどり着けば、彼女は無事だった。



「……っ、す、すまな、い。君の、君の娘を」



拳を握れば、右手から血が噴き出す。

シーツが赤く染まるのすら煩わしい。


我は、愚王と何一つ変わらない。

肉の感覚が、これまでの何よりも生々しい。

子を殺す刃が、何より重かった。


そうか、だからあの愚王は躊躇いがなかったのだ。

生まれたばかりの我が子をその手で殺していれば、何度でも戦場で捨て石にできるだろう。


呼吸がうまくできないまま、アンナの手を握っていた。


彼女に言えない秘密が、できてしまった。

アンナは知らないで生きるといい。


子を殺した我には、父になる資格すらない。


部屋の中に差し込む日光が、アンナの顔を照らしていた。

長い夜が、開ける。


この日が、一年で最も夜が長い日だったとようやく気が付いた。

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