59話 未来の形
日付が変わっていた。
大時計が時を告げる音を出す。
4つ、午前4時。
あと二時間もすれば、夜明けだろう。
既に6時間、アンナのうめき声や苦し気な呼吸が扉の向こうでは続いていた。
ただ、何もできず執務室で本を広げている我はなんと無力か。
痛みに強く、精神も強靭なアンナがあのように声を上げるなど。
蝋燭を一本だけ灯し、小さな灯りで本を広げる我の目の前に、黒衣の人間が現れた。
今回の側近は、年嵩の男だった。
これまで、数度そばについたことのある、細い体躯の男。
「陛下、お休みください。明日も執務が詰まっております」
「休めと言うのか。アンナはどうなる」
「男には何もできませんし、出産の中で部屋に立ち入ることも許されません。わたくしめも、子供が生まれたときは同じでした」
「お前たち一族のような気狂いにも、人間と同じものがあるか」
「わたくしどもは、殺せば死ぬ人間であります。王族の皆さまの祝福を守るただの人間の一族。我々も、王族の生が続く限りそばにおります」
「始祖の時代から、迷惑でしかない」
「……嫌うのは、無理もありません。ですが、わたくしは入り婿でして。どうしても、王族の方々を人間扱いしない一族には、馴染めないのです」
側近一族の構成など、知りたくもない。
だが、なるほど。
これは傑作だ。
己は染まっていないと、この我に弁明するか。
それを、信じると思われているのか。
「無駄な媚は売るな、失せろ」
「いいえ!!妻の、苦しいときに起きていたいのはわかります。でも、お休みください。出産は時間がかかるのです、休める時に王妃も休んでおりますから」
「なぜ、内部の様子を知っている」
「王族の産婆は代々側近一族から排出しています。王妃様のおそばで、わたくしの妻も共にいますから本を閉じましょう」
「我に指図か」
「……はい。お子様も王妃も、必ず妻が無事に終わらせますから。これだけは、どうか、どうか……!!」
「その直後でアンナを殺すか?我の母親は、出産直後に死んだ。邪魔な女は弱ったときに殺すのだろう、アンナには祝福がない」
「陛下の時は事故で……いや、でも『初めの儀』が」
「初めの儀とやらを、我は聞いたことがない。何を企んでいる」
昼間の女も言っていた、耳慣れない言葉。
側近だけが知っていて、我が知らないことだ。
碌なものではないだろう。
現に側近の男も、顔色が悪い。
可哀そうとは、この男を言うのだろう。
男の泣き顔など、興味もない。
窓の外を見る。
空がわずかに白んでいた。
もうじき、日が昇る。
その時だった。
聞いたこともない、悲鳴とも大声とも激怒ともつかない高い音。
何の音だ、動物でも入ったか。
「陛下……陛下!!おめでとうございます!!」
「なにがだ、侵入者であればすぐに排除しろ」
「お生まれになったんですよ!!お子様です」
「なんだと」
「あれは産声です!!こうしてはいられない、すぐ、すぐに王妃様のもとへ向かいましょう!!」
人間が生まれた声が、あのような獣も出さない大声だというのか。
アンナのうめき声が止んでいる。
アンナはどうなった。
頑丈な彼女を苦しめた子は、どんなものだ。
彼女が望んだ、我の血を引く未来とは、そんな形をしているのか。
何よりアンナは。
そうだ、彼女に会いに。
気がついたときには、側近を置き去りに廊下を走っていた。
途中で使用人に止められたが、構うのが無駄だ。
今この時、アンナの無事を確かめる以上に重要なことがあるだろうか。
扉を開ける。
部屋の中は何本も蝋燭が立てられ、黒衣の側近は何人も、そしてアンナの専属使用人がいる。
その部屋の中でも、寝台の上の赤銅色髪は、よく見えた。
「アンナ、生きているか」
「ルク、入って来てしまったのか……せっかちすぎないか?」
「陛下、いらしたのであれば都合がいいです。こちらでお待ちください、王女様の準備をいたしますので」
産婆の言葉は、耳に入らなかった。
すぐに寝台に寄れば、アンナは酷く疲れている。
我に向かって手を伸ばし、微笑んで「あいたかった」と泣くのだ。
二年の間に、彼女の言葉は信じられるものになっている。
あいたかったという思いが、同じだとは思わない。
その手を早く握りたいと、その無事を確かめたかった。
だが、それより前に、我らの間に黒衣の側近が立ちふさがる。
現在の長老だろう、老いぼれた男だった。
「陛下、今はお控えください。おい」
「はい。失礼します王妃様」
それは一瞬のことだった。
長老の言葉に反応したのは、執務室で我と共にいた男。
自分は側近一族には馴染めないと語った、その男。
奴は、アンナの口元に布をあてた。
すると、アンナは眠るように目を閉じて脱力する。
「何をした!!」
「怒らないでくださいまし。あなた様がお生まれになったときは、これを怠ってしまいましてね?おかげで初めの儀を見た女はそのまま自害してしまったのですよ」
「起こせ、今すぐアンナを!!」
「大丈夫です陛下。これはただの眠り薬、王妃様は毒が聞きづらいと伺ったのですが、疲れたときは例外のようだ。なぁ?」
長老から反応を求められた奴は、こちらを見なかった。
ああ、アンナと共にいて感覚が鈍っていたらしい。
側近の中に、信じられる人間など誰一人いないのだ。
一瞬でも、心を傾けた我が愚かだった。
頭蓋の中が、熱い。
これは、怒りだ。
アンナと覚えた、感情の一つ。
「陛下こちらを。初めの儀は父親である王族の務め」
震える我の右手に握らされたのは、短剣だった。
渡した側近の顔すら、認識できない。
この短剣があれば、5分でこの部屋の側近たちを殺せる。
何のための剣だ、まさかアンナに手をかけろと言うのか!!
「陛下、こちらがお生まれになった王女様でございます」
一歩、首をとろうと足を踏み出した。
だが、側近によって目の前に何かが掲げられる。
白い塊だった。
小さく、うるさく、肌が赤く、髪がアンナと同じ色をした……小さな、いきもの。
手が止まった。
これは、この生き物は。
アンナの腹の中にいた、彼女の血と我の血の。
口が動いている、手を動かしている、耳障りな高い声が生を伝えている。
こみ上げる何かの感情は、熱く、側近たちの存在を忘れるほどに。
これが、未来の形。
アンナが長い間育んだ、いのちだというのか。
剣を持たないほうの手で、それに触れようとした。
だがその前に、耳は信じられない言葉を拾う。
人間とは思えない、非道の所業を指示する声。
「陛下、王女様を刺殺してください。祝福があるか、見極めなければ」




