57話 進んだ距離
「わかってる、君がそれを望まないことも、呪いが次の世代に行くのが嫌なことも!!だから、だから呪いを破る。私が、何としても」
必死の弁解をするアンナは、足しか浸かっていないのに額に汗をかいていた。
顔中が濡れている。
汗か、涙か。
どちらでも同じことだ。
彼女が馬鹿げたことを言っていることに、何の変りもない。
呪いの醜悪さ、これまで王族がたどった狂気の蘇生、戦で突撃する心情。
そして、我とツキがあのような目に遭った顛末も。
「なぜ、すべてを知ってなお望む」
「見たくなったんだ。こればかりは、私も説明できない」
「それを言わせたのが側近であれば、戻ったらすぐに全員の首を斬るぞ」
「違うって言っただろう。私はいくらそれでなじられたって構わないが、ルクとの未来が欲しくなったのは嘘じゃない」
「それでなぜ呪いを破るなどと言った。元は他国の人間だろう、逃げられる立場をなぜ潰す」
「王様がいなくなれば、呪いはなくなるかもって言ったのはルクだ。なら、子が生まれるまでにそれを達成させれば」
「黙れ」
子を欲しがる女の感情を、いくら聞いたところで理解できない。
それは捨て置くほかない。
それよりも、アンナは明確に我を怒らせた。
行為は争点ではない。
彼女は今、すべてを自分で完結すると言ったのだ。
我を縛るもの、命運を曲げたもの、これから我が復讐をするための、すべての目標。
それを、我の子を産みたいからという欲望だけで成そうというのか?
ここまで、アンナがいつでも逃げられるよう踏み込ませなかった部分に。
何のために、君を守ってきたと思っている。
……守る、守ると考えたのか?
「っククク……ふ、ははは……ああ、よくも、よくも、アンナ貴様」
「なんだ。私は、脅されようと抵抗するぞ」
「知らなかったことばかりだ、我は君を、守っているつもりだったらしい。人間にも戻れない、怪物が。君に、何一つ勝てない、劣等が」
「何言ってるんだ!!ルクはすごい、最高の名君になれる男なんだぞ。優しくて、強くて、ぶっきらぼうだけど国民のことよく考えてて」
「優しいはずがない。これは、怒りだ。今すぐ撤回しろ、誰が呪いを終わらせるか、わかっていないのは……お前だ」
これこそ傑作。
まさか、肉欲の嫌悪よりも呪いの根絶を奪われるほうが許せないとは!!
守りたいなどどの口が言う。
復讐心のままに敵を殺し、愚王を殺した。
兄様も、姉様も、幸せに開放できなかった分際で。
側近に好き勝手弄ばれた怪物が。
生まれた時点から、不幸を呼ぶだけの我が縋っていたものは何か?
王家の祝福、それ以外にないと、たどり着いてしまった。
「奪うな。我の役目なんだ、王位も王族もこの国も、全部、全部潰すのは、我だけ」
「ルク、泣いてる、のか……?」
「やめてくれ。君に、一個だって譲るものか」
「だって、そうしないとルクが苦しいと思って。ただでさえ嫌だろう?そういうことに恐怖があるはずだし」
「どうでもいい。これは、我が成さねば……生きる資格がない」
目から流れるものが、視界を遮る。
鬱陶しい、熱い、なぜこうなる。
アンナの前では、自分が変えられてしまう。
自覚してしまう。
我がなぜ、恨むように王位についたのか。
なぜ、祝福を消そうと国政を行い、民の声を聞き、無理な中でも戦ってきたのか。
王族を、ディオメシアから少しずつ消すためだ。
呪いを、根絶するために。
それが、唯一生きていい理由だと定めてしまったとは。
「アンナ」
「悪かった。そんなに嫌がると思ってなかったんだ」
「お前を、呪い絶滅の共犯者にはできない」
「……そうか、深くは聞かない。一つだけ……私が嫌いになったか?」
「好きなどと言う感情は、理解できない」
「だよな。君はすこぶる鈍感だから」
「だが」
もう一つの気づきは、おこがましいものだ。
男、女、強者弱者。
そのような視点を持たないアンナにとって、冒涜に近い。
信じがたいが、この身が人間の形をしている以上避けられない。
本能と言ってしまえば不明確だが、この上ない理由付け。
これは、確かに説明のしようがない。
彼女の肩に、手を置いた。
思えば、自分の意志で彼女に触れたことなどほとんどない。
「触れる。アンナの体温は、温かい」
「メイド長に聞いた……私のせいで、過去の光景を思い出して発作が起きてると。わかってたんだ、私の行動で苦しめてることは」
「お前が、触れなければよかった」
「謝る。どうしても、触れたかった」
「触れなければ、口にお前が出さなければ。自覚しなかった」
「ルク、それは」
松明に照らされた、赤銅色の髪に緑の瞳。
細くも強い腕、威力の高い脚、なめらかでそばかすのある肌。
強く気高く、優しく賢く、我の隣に立とうとするお前を。
肉欲、ではない。
ツキにも抱かなかった感情。
アンナが欲しい。
彼女のこれから、未来がほしい。
そのためなら、一人で呪いを排斥できる。
一人で、復讐を遂げてみせる。
中身も知らず王族を奉ってきた国民に、貴族に、側近たちに。
これまで、意図的なディオメシアの安穏を守ってきた。
これからは舵を切る。
この国を一度破滅させる、最悪の悪王になるために。
復讐と、未来のために。
「もう引き返せないが、わかっているな」
「何度目の問答だ?百も承知だよ」
「……側近の、思う壺か」
「違うね。私が生むのは王家の後継じゃない、君と私の未来だ」
「何が違う」
「両親ともに、子の幸せを願ってること」
やはり、アンナの言葉の半分は理解できない。
なぜアンナが逃げないのか、疑念はもういい。
ロマンス小説というものは、実に建設的らしい。
愛、恋、どれでもいいが、人格に支障をきたすには十分すぎる。
いつか、それを完全に理解する日は来るだろうか。
そうして二人で、湯から足を抜いた。




