55話 二人きりの遠出
川の水音、日差し、馬の蹄鉄。
そして、前を進むのは馬に乗ったアンナ。
時折振り向くと、結われた赤銅色の髪が光に輝いていた。
「大丈夫か?休んでもいいぞ」
「問題ない。行軍に比べれば、この程度」
「これは行軍じゃなくて、行楽だ。ゆっくり行こう、まだ目的地は先だからな」
「王宮に一日で戻れるか」
「側近は泊って来いって言っただろう?ありがたく休ませてもらおうじゃないか」
「話が違う」
「じゃあ嫌か?私と一泊するのは」
ヴァルカンティアにいたころから感じていたが、アンナは自由だ。
勝手に動いて、勝手に望む結果を引き寄せる。
まさか、それが嫁ぎ先のディオメシアでも行えるとは。
あの側近相手に、何をしたのか。
大胆だ、励め、不快でしかない言葉ばかりだった。
アンナとの時間に、嫌があるはずもない。
だが男女が一泊、二人きりとなれば奴らも嫌な想像をしたものだ。
虫唾が走る。
「目的地は」
「王宮から40キロ先の、南の村だ。移民政策でヴァルカンティア人を受け入れてくれた」
「やはり視察だろう。それだけで、どうやってあの側近を篭絡した」
「『ハネムーン』の話をしたんだ。そうしたら早くいけと急かされたよ」
「ハネムーン……初めて聞く言葉だ」
「いわゆる、新婚夫婦が二人きりで旅行することだ。そこに邪魔が入ったら、いい雰囲気が台無しだと言えば、あとは勝手に勘違いしてくれたよ」
「それで勘違いできるとは、側近も耄碌したな」
「そうかもな。でも、それだけのものがその地にあるんだ。きっと、気に入るさ」
馬を時折休ませ、途中村に立ち寄り、南へ進む。
馬を休ませた川では、素足になったアンナが水に足をつけて冷たいと笑う。
ただ見ていれば、足で大きく水面を蹴り、こちらに水を浴びせてくる。
避ければ、満面の笑みでこちらを手招きした。
「ルクも入ろう!!冷たくて気持ちいいぞ」
「もうすぐ冬だ。冷たいなら出ろ、先を急がなくていいのか」
「知らないのか?今の時期の川には、おいしい魚がいる。焼いて食べよう」
「釣りの道具は」
「ない。つかみ取りだ、これが昼食になるからな。ほら早く」
一食抜いた程度でどうにかなる体ではない。
3日なにも食べない中で、戦ったこともある。
だが、アンナの望むものはそれではない気がした。
素足で川に入れば、あまりの冷たさに足が止まる。
天気は晴天だが、水の中は比べ物にならない。
邪魔な羽織を脱ぎ、裾をあげて冷たい水に手を突っ込む。
魚を掴みとるなど、したこともない。
当然うまくいかず、アンナに笑われた。
火をおこし、アンナが捕った魚を串刺しにして焼く。
食べた魚は、妙に次の一口を誘うものだった。
「おいしいだろう?ヴァルカンティアには川がいくつもあってな、子供の頃は小腹が空いたらジークやアランと獲ったんだ」
「我は舌の感覚が鈍い。うまいかは知らん」
「でも、さっきから大口開けて食べてくれるだろう?いつもは、ちまちま作業みたいに食べるのに」
「丸かじり以外に食べる方法がない」
「それもそうだ」
痛みに鈍くなった時期から、舌の感覚もあまりない。
それでも次を欲するのは、なぜだ。
毒見のない、温かな食料だからだろう。
それから馬を走らせ、日が落ちる前に目的の村へ到着した。
レンガ造りの家々が数十は密集している、大きくも小さくもない村。
人口も多く、村人たちはアンナを見て慌てた様子だ。
「まぁまぁ!!王妃様どうされました!?そんな、王様まで」
「いつでも泊りに来ていいと、前の視察で言ってくれただろう?だから、視察の名を借りた旅行に来た。一泊、どこか空いているところを借りたいんだが」
「それは全くかまいませんよ。ですが、その……王様を泊められるほど素晴らしいお部屋はなくて」
「それも問題ない。ルクは案外どこでも寝られるんだ、二人分の寝床と雨風がしのげたら最高だよ。なぁ?」
会話を聞くに、村人に今回の訪問は周知していなかったようだ。
だが、これはアンナが誘った行楽。
どこでも寝られるのは間違いない、ならばすべて任せるに限る。
首肯し、村を見渡した。
多くの村人がこちらを不躾にみる。
その中に、数人の赤銅色髪がいた。
ディオメシアらしき村人と話す様子は、馴染んで見える。
この村では、アンナの移民政策は良好なようだ。
「ルク、村はずれの家を一軒貸してもらえることになった。今夜はゆっくり眠れるぞ」
「本当にすべてやったのか。一人で」
「当然だろう?これはルクへの贈り物なんだ、なんでそんなこと聞く」
「女というものは、すべてにおいて男に主導されるものだろう。姉様たちも、貴族の女どもも言っていた」
「憧れはするが……でも、今日は私の番。ほらほら、早く行こう。本番はここからだ」
馬は村人に共同馬小屋まで連れていかれ、アンナは我の手を取って走る。
この、素朴な環境、アンナの行動、機嫌のいい顔。
ディオメシア内だというのに、ヴァルカンティアにいたころを思い出す。
やはり、アンナは王宮よりもこの方が良い顔をしているのではないか。
だが、いくら考えても意味がない。
すでに彼女は祖国ではなく、ディオメシアを選んでしまった。
呪いを知り、この国に根を張るように人員を増やし、信頼を得た。
彼女のせいで、過去を思い出す苦痛に苛まれる。
彼女がいないと、現在の苦痛を和らげる方法がわからない。
この手を、離してやることはできない。
紹介されたのは、わずか2部屋しかない小さな家。
テーブルや椅子は用意されているが、寝室は大きいベッドが一つだけ。
庶民の感覚では、これでも特別だろう。
「じゃあ、着替えよう」
「何?」
「王宮から出た時の重苦しいままだったからな。いらないものはすべて外す、私はベッドの部屋で着替えるから、ルクも早くな」
「なにをすると初めから聞いている」
「着替えたほうが楽な場所だ」
アンナは寝室に消え、扉を閉める。
戸の向こうで、着替えているのか。
いや、何を考えている。
嫌悪でしかない、早くこちらも準備を。
指はことあるごとに止まり、防具を外すことにも時間がかかる。
終いにはアンナのほうが早く終わり、遠慮なく戸を開かれたせいで体を見られた。
「遅くないか?そんなに気を使って着替えなくても、最悪上半身裸でも、村の人間は何も言わないぞ」
「少し待て。こちらを見るな、後ろを向け」
「着替え終わってないほうが悪いのに。普通こういうのって逆じゃないか……?」
そうして、アンナとともに仮宿を出た。
空を、赤い夕陽が満たす。
彼女に再度腕を引かれ、目的の地点へ向かって歩き出した。




