表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/71

52話 変化した呼び名

「ルク、聞いてくれ。私はな、君が思うほど清くないんだ」



コルセットもつけていない、寝間着の彼女の体温だった。

背後から、肩回りを両腕で包むような温度。

窓を見れば、アンナ嬢が無防備に、我の背中に張り付いているのが見えた。


警戒していた嫌悪の記憶は、襲ってこない。

彼女の力強い腕が、逃げることを許してはくれない。



「は、離せ。なにをする」

「話を聞く限り、ルクのトラウマは正面から体温を感じたことだ。なら、後ろからなら大丈夫かもしれないだろう?」

「よせ、話を聞いていたか。嫌いだと言っただろう」

「嫌いだよ。私の好きな人をけなす人は、誰であろうと嫌いだ」

「君が、汚れる」

「私はな?トラウマを持ってるって知っても、どうにかルクと触れ合いたくてずるがしこくなるくらいには、純粋じゃない」



触れたい、と言うか。

散々不幸に巻き込まれておいて、それを望む。


多くの場合、夫婦というものは男が女に触れるものだろう。

そして男が女を蹂躙するから、汚すから、不幸は生まれる。


だから、触れたくなかった。

誰も巻き込みたくはない。

誰も抱くつもりはない、愛すつもりもない。


一週間前のあの夜に、それを君は頷いて聞いてくれただろう?



「これ以上、触れるな。腕を折るぞ」

「触れないよ。一度に進めたら、ルクが辛いのはわかる」

「なぜここまでする。我が何をしたという」

「きっと、君が『どうでもいことだ』って切り捨ててしまうような、些細なこと。その積み重ねだよ、覚えてないかい?」



思い出す限り、アンナ嬢との記憶は手合わせばかりだ。

負けのほうが多く、アランやジークのほうが強かったことも多い。

戦争でも、情けなく力を借りた。

輿入れの後も、アンナ嬢を側近たちから完全に守れてはいない。


だが、アンナ嬢は我の頭に顎を置き、機嫌が良さそうに語り始める。



「ルクは、私のロマンス小説好きを笑わなかっただろう?しかも、それに一瞬付き合ったうえで、話にも乗ってくれた」

「笑う理由はない。話に乗ったことで君を楽しませた覚えもない」

「それに、私がどんなに無礼に言っても、態度が変わらなかった」

「変える理由もない」

「いつも、気にかけてくれただろう。武闘会でも、戦争の責任をすべて被ってくれたのも、王宮で過ごしやすいようにメイド長をつけてくれたのも」

「だから、なんだ。アンナ嬢の好む、物語の王子にはなれない」



明るく、強く、カリスマ性があり、女を恋に落とす手腕もある。

そのような登場人物に、なれそうもない男だ。


むしろ、アンナ嬢のほうがすべて当てはまる。

なぜ逆を行く男に、ここまで寄るのか。

説明を聞こうが、納得はできない。


ひどい貧乏くじだ。

それを掴み取りに来るアンナ嬢は、人を見る目だけが壊滅的にない。



「あれは現実じゃないだろう?なんでそうなる」

「アンナ嬢の理想だろう」

「でも、理想の世界にルクはいないだろう?私と、一緒に新しい世界を見てくれる王は、君だけだ」

「先ほどから、別の人間の話をしていないか」

「いーや。君がいいんだ。それに、君も私がいいだろう?」

「なんだ、それは。一言も言っていない」

「鈍感もここまでくると筋金入りだな。ルクのほうがヒロインみたいだ」

「からかっているのか」

「事実だよ」



アンナ嬢は、宣言通りそれ以上の接触をしなかった。

腕は包み込んだまま、指を動かすこともなく、背中は温かい。


何故か、毒が抜けたようだ。

痛みも苦痛も、今はない。


ようやく呼吸ができる。



「いい加減離せ。何のつもりだ」

「嬉しくてな。ルクの言葉は本当にわかりづら過ぎる、求婚もここまでくると暗号じゃないか」

「何?どこに求婚があった」

「わかってないなら言わない。週に一回求婚させようと思っていたが、ここまで愛されてはうぬぼれてしまうな」

「アンナ嬢、話を聞け」

「でも、不満がある。夫として、妻の不満を聞くのは勤めじゃないか?ん?」



実に扱いづらい。

数秒前まで機嫌が良かったと思えば、不満を口にする。

後ろをとられていると顔が見えないが、言葉にからかいが見えた。


大した度胸だ。

慣れない異国で、政策に口を出したかと思えば、こうして翻弄する。


すでに移民政策は、反論の余地もなく承認した。

まだ要望を出すのか。


アンナ嬢は想像よりも、強欲らしい。



「なんだ。移民政策は承認したぞ」

「それは王妃としてのお願いだ。今度は、妻としての要望さ」

「何が違う」

「全然違う。聞きたいんだが、ルクはいつまで私を『アンナ嬢』なんて他人のように呼ぶつもりだ」

「問題があるか」

「大ありだ。考えたんだが、私が信頼を得られなのは、君がいつまでもそういう呼び方をするからじゃないか?」

「すでに一週間で課題を達成しておいて、何を言う」



大臣からの後押しに、専属使用人の登用。

提案書は、あの側近すら渋い顔で認めた。


後は時間の問題だ。

だというのに、呼び方の変更を求めるだと。


何の意味がある。



「支障はない」

「私が嫌だ。どこの世界に、妻をそう呼ぶ夫がいる?ふつうは呼び捨てにしたり、愛称で呼ぶものだ」

「普通を押し付けるのか。この異常な王に」

「いいから、一度呼んでみてくれ。アンナとアンナ嬢なら、前者のほうが呼びやすいだろう」



どんなにこちらが眉を寄せようと、アンナ嬢は背後にいるので見えない。

不満を言おうが、取り下げるとも思えない。


このままでは、呼ぶまで、朝になっても離さないだろう。

困りはしないが、彼女に徹夜はさせたくない。


一度呼べば、満足するか。


久方ぶりのため息が出た。

アンナ嬢といると、生きている仕草が増えて仕方がない。



「もう遅い。呼んだら部屋に戻れ」

「わかった。さあ、頼む」

「……アンナ」



一言だ。3つの音のみのそれが、何になる。


だが、予想外に部屋は静まり返った。

本人からの返答がない。

不満だというのか?要望に従わせておいて。


いつまでも解かれない腕にしびれを切らせて、振り向いた。

アンナ嬢の顔は、真っ赤になっている。



「どうした。熱があるなら、使用人を呼ぶぞ」

「べ、別に熱はない!!」

「そうか、では出ていけ」

「出ていくさ!!お、う、あの!!」

「なんだ、夜だぞ。騒がしい」



アンナ嬢は腕をほどき、すぐに部屋を出る。

だが直前、こちらを振り向いた。

熱がないのならば構わないが、なんだというのか。


何度か口を開閉させた彼女は、小さな声で何かを言った。

聞こえなかったので聞き返すと、大きな声で帰ってくる。



「これからは、そう呼んでくれ!!わかったな、おやすみ!!」



強く閉められた扉。

残された茶会の道具たち。

まだ体温の残る背中。


すべて放り出して、部屋を出て行った。



「片付けくらいしろ、アンナ」



彼女がいなくなった部屋は、少し寒い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ