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3話 赤い部屋

扉の前に立つ。

あの頃は大きかった扉が、今はちょうどいい。


ノックをする前に、扉に耳を付ける。

何の音もしない。

眠っているのかな。


そのとき、肩を叩かれた。

優しく、小さな力で、ぼくを驚かせないようにって聞こえるような、指先だけの力。


振り向くと、そこには黄色の石の付いた杖をついているディセル兄様がいた。

右足を引きずって、包帯が巻いてある。

先日の戦いで、負った傷なんだろうな。



「こら。そこで何をしているんだディルクレウス」

「ディセル兄様。もう、お体はいいんですか?」

「ああ。それより、そこは一番上の兄様のお部屋だ。近寄るなとツキから言われていなかったかな」



ディセルの兄様は、まるで教師みたいにぼくを注意する。

でも、何も間違ってないから、言い返せない。


わざわざツキを通じて、部屋には近寄るなって言われたのは初めてだった。

これまでは、見舞いはダメだったけれど近寄るくらいは許されてたのに。

ぼくがツキのことが好きなのをわかってて、お兄様達はツキに命令するんだ。



「ずるいです。ツキに言えばぼくが言うことを聞くからって」

「それだけ、戦いの傷が癒えるのは時間がかかるんだ。特に今回は、私以外の兄様達は辛いようでね」

「でも、明日にはまた戦地に行くって聞きました。兄様三人ともそんな状態なのに、どうして?怪我がひどいなら王宮で休めば」

「体はね、元気なんだよ。ただ、心が疲れてしまったんだ」

「それなのに、また前線に?そんなの、危ないです。死んじゃうかもしれないのに」



ぼくが、ずっと心配していたことだ。

ディオメシアは強い。

軍事国家として強大で、ここから離れた独立軍事国のヴァルカンティアとも引けを取らない。

それに、建国から戦い続けて得た味方の属国は、もう30を超える。


それなのに、兄様達は王子なのに、どの兵よりも敵に果敢に飛び込んでいってると噂を聞いた。

いつ死んでもおかしくない。


ディセルの兄様は、ぼくの言葉に目を見開いた。

そして、ぼろっと、涙を見せる。


息が止まる気がした。

だって、初めてだったんだ。

みんなぼくよりずっと年上の兄で、一番年の近いディセル兄様でも十以上は離れているのに。


泣くんだ。



「ディセルの、にいさ」

「すまない。不甲斐ない兄たちで、すまない。もうすぐ、もうすぐこの戦いが終わるんだ、だからそれまでは」

「ごめんなさい、違うんだ。そんな顔させたかったんじゃない」

「とにかく、離れよう。お前がいるとわかれば兄様も休めない」



ディセルの兄様に手を引かれれば、振りほどけない。

足を怪我しているのに、泣いているのに、反抗なんかできない。

昔から変わらない、大きくて賢くて、先生みたいなディセルお兄様。


大人しくついて行く中で、ぼくはようやく気が付いた。

自分の背丈が、もうお兄様とあまり変わらないことに。


余計に、落ち込む。

ひょろっと背だけ伸びて、体だけ立派になっていく。

戦場には、まだ出させてもらえないのに。


もうすぐ、ぼくは15になる。

そうしたら、約束通りぼくにすべてを教えてくれるだろうか。



「ディセル兄様、あの」

「この道はやめよう。ディルクレウス、引き返すよ」

「え、どうして」

「側近一族がいる。見てはいけないよ、私の言うことを聞きなさい」



兄様が踵を返すけれど、納得できない。

側近一族は、王である父王様に仕える一族だ。

建国したときからずっと側近で、由緒正しくて、ぼくを生まれで蔑まない、いい人たち。


なのに、見るな?

どうしてだろう、何があるんだろう、この先は上から二番目の兄様のお部屋があるだけなのに。


気になる、気になる、見るだけなら。

ぼくは、ディセル兄様の手を離した。


足早に、黒い装束に身を包んだ2、3人が出入りする部屋を目指す。

ディセルの兄様が「待ちなさい!」って言ってるのが聞こえたけれど、その足じゃぼくには追い付けない。



「おい!何があったんだ」

「末子様、お離れください」

「これから清掃に入りますので」

「あなたには見せるなと王太子様方のご命令なので」



側近たちが出てきたのは、二番目の兄様の私室。

昔、よくぼくと手遊びをしてくれた、優しい兄の部屋。

もう何年も入っていないその部屋が、ちらっと見えた。



「……えっ」

「もうお運びした後ですが、今回は汚れがひどいですから」

「末子様、何卒ご容赦を」

「こらディルクレウス!!戻るぞ、お前たちは扉を閉めろ」

「はい。第四王子様」



腕を強く引かれる。

ディセル兄様の声だ、腕だ、強い力だ。


そんなことどうでもいい。

一瞬しか見えなかったけれど、扉が閉まる前に部屋の中が見えた。


赤い何かが、部屋の壁に、ベッドに、床に、大胆な太い線と水たまりを作っていたこと。

天蓋はビリビリに裂かれて、絨毯も裂かれて、窓が割れて、床にはガラスの破片が落ちていた。


あの手遊びをしてくれた兄様の部屋とは思えない、荒れた、生臭い赤い部屋。



「ディセル兄様、兄様!!」

「見たものは忘れなさい、いいね」

「兄様の部屋、あれは、血じゃ」

「お前が知る必要はない」

「兄様の血じゃないよね?お部屋から出てこなかったのは、今あのお部屋にいないのは、散歩でもしてるからだ。そうだと言ってください!!」



杖を含めて、3つの足音がするディセル兄様は何も言ってくれない。

でも、さっきよりも強い力で握られた腕はもうほどけない。


ディセル兄様は、ぼくの部屋に着くと背中を押して部屋に入れた。

そこにはツキがいて、部屋の清掃中。

いきなり乱暴にぼくを放り込んだ音に、ツキも驚いた顔をしてた。



「ディルクレウスから目を離すな。明日私たちが出立するまで見張って居なさい」

「な!?待ってくださいディセルの兄様」

「命令を守れなければクビだ。わかったな」

「……はい、承知いたしました。ディセル様」

「ツキ!?どうしてぼくじゃなくて兄様の命令を聞くんだ!!」

「じゃあ、元気でいるんだよ。ディルクレウス」



扉が閉まる。

ぼくは床に手をついたまま、兄様のいなくなる足音を聞くしかできなかった。


あの部屋にいた兄様は無事なの?

側近たちは何をしていたの?

兄様達はぼくに何を隠しているの?


聞きたくて立ち上がり、扉を開けようとすればツキが背後から抱きしめてくる。

もう二年前に彼女の背を追い抜いて、頭一つ分は下になってしまったツキ。

ぼくより柔らかい、弱い、でも必死に行かせないようにする腕がもどかしくて、許せなくて。



「何するんだ!!離せ!!」

「行かせられません。お願いします、あたしのためにも」

「ぼくに逆らうのか!?」

「クビになったらどこにも行く当てがないんです!!」



ツキの大きな声が、冷静にさせる。

そうだ、ツキはただの使用人だ。

メイド長なわけでも、王族の誰かと専属使用人の誓いを立てたわけでもない。

末子のぼくより、兄様達の言うことを聞かなければいけないのは、当たり前だ。


ぼくが勝手に動いたら、叱責されるのも彼女なのに。


お腹に回された彼女の手に、触れる。

ささくれて、皮が厚い、貴族の令嬢たちとは違う荒れた手。

ぼくのために働いている手だ。



「ツキ、お願いだ。ぼくの専属使用人になってほしい。そうすれば、兄様や父王様よりもぼくの命令を聞く方が優先になる」

「申し訳ございません。それは、できないんです」

「どうして?そうすれば、ぼくがツキを守れるのに。給金だってもっと渡そう、クビに怯える必要もない」

「あたしにはもったいないです。何年もお断りしているでしょう」

「でも」

「お願いです、お願いします。ディルクレウス様のためにも」



王紋が刻まれた私物を、ツキが受け取ってくれれば成り立つのに。

もう渡そうと用意してる、ブローチがあるのに。


相手の了承なしに、専属使用人にはできない。

好きな人一人守れない、ぼくは守られるしかできないのかな。



「もうすぐ、もうすぐ15歳になるんだ。そしたら、戦場に出て武功をあげて、期待される王子になるから」

「ディルクレウス様は、今でも十分注目される期待の王子です」



そんな言葉だけで、嬉しくなる。

力が抜けて、ため息が出た。


早く、15歳になりたい。

全部を知りたい、早く大人になりたい。


守られるだけは、いやだ。

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