2話 長兄の怒声
天気がいい日だった。
ぼくは王宮内にある大きな木に登って、身を隠しながら寝ころんで目を閉じる。
耳をすませれば、風の音、葉が擦れる音。
王宮から少し離れているから、ここには人の声が聞こえない。
だから、つい眠ってしまった。
目を覚ましたのは、背中に何か強い衝撃があったから。
一回目は気のせいかと思った。
だけど、二回三回続けば、目が覚める。
「ディルクレウス様。こんなところにおられたんですか?」
その声に、木の下を見た。
ツキが、手に石を持ってぼくに手を振っている。
優しく笑ってるけど、その石ぼくに投げなかったか?
もうこのまま寝てられないから、木の幹を伝って下に降りた。
「ツキ、なんでここがわかったの」
「ディルクレウス様のお気に入りの木ですよね?もう5年もご一緒させていただいているんです。わかりますよ」
「へぇ~?……そうだ、これ、貰ったからあげる」
ツキがぼくのことをわかってるのは、悪くない気分。
ポケットから布に包んだ焼き菓子を出して、ツキに渡す。
女は甘いもの好きなんだろ?
お姉様たちもうまそうに食べてたし。
ツキも甘いのが好きって他の使用人が言ってたし。
「前もいただきましたが、いいんですか?」
「ぼくそれ嫌いだもん。食べといて」
「好き嫌いはいけませんよ。でも、偉いですね、使用人のあたしにもお優しい」
「……あんまり、子供扱いしないでよ。もう12歳なんだから」
「でも、あたしには弟みたいなもので……すみません、気を悪くしましたか?」
「ぼく、ツキの弟じゃない」
「申し訳ございません。ディルクレウス様は、あたしの仕える主です」
そうじゃないんだけどなぁ。
ぼくより3歳年上なのに、どうして僕の気持ちに気づいてくれないんだ?
おいしいお菓子も、優しくしてるのも、ツキだけだ。
……いや、お兄様たちに教わった通り、使用人達には優しくしてるけど。
だから、わかってくれないのかな?
オンナゴコロってやつ、ぼくにはまだわからない。
大姉様なら何も聞かないで教えてくれたかもしれないけど、二年前に結婚して他国に行ってしまったし……。
小姉様も、もうすぐ婚儀が近いから忙しくて会えてない。
「それより、ディルクレウス様。もうすぐ剣技の訓練ですよ、準備に参りましょう」
「どうしても、いかないとダメ?他のお兄様たちは」
「皆様、お部屋です。戦いから戻ったばかりですし」
「お見舞いは?行っていいか?」
「……申し訳ございません。それはいけないと」
ツキが、本当に申し訳なさそうな顔をした。
頭を下げられるのも、ツキの故郷の謝る仕草だとかで慣れたけど、今はしてほしくない。
だって、ツキは悪くないんだ。
王族のぼく達の命じたことに、ただの使用人のツキが逆らえるわけない。
イライラする。
ツキが、そんな顔するのも。
ぼくだけがお兄様たちに会えないのも。
知ってるよ、父王様も、小姉様も、お見舞いしてること。
なのに、ぼくも入れてって言うとお姉様は決まって言うんだ。
『あなたには、まだ早いの』
あんまり話したことがない父王様にも、勇気を振り絞ってお願いしたんだ。
そしたら『お前にはまだ見せるなとあいつらがうるさいからな』って。
「お兄様たち、ぼくに会いたくないのかな」
「ちが、あの、そういったことはないはずです」
「もう、ぼくは12だよ。なのに、七歳の頃と何も変わらないんだ。今起こってる戦争にも出してもらえないし、役に立てない。子供、だから?」
目がぎゅっと熱くなる。
ツキの前で泣きたくない。
なのに、目から水がボロボロ出てくるんだ。
鼻水も、止まらない。
どうして泣きたくなるの?
ぼくは、なにもしてない、なにもできないのに。
ツキがハンカチを差し出してくれたけど、受け取れない。
かっこわるいから、お兄様たちなら、そんなこと絶対にしないはずだから。
「ディルクレウス……?こんなところで何を」
「あ……兄さま……?」
「ダメじゃないか、ここは教会から近いんだ。あまり近寄るなとディセルにも言われただろう?」
声がして、優しい足音がした。
芝生を踏んで、ゆっくりこっちに来るのは背が高くて、体が兄様たちの中で一番大きくて、低い声が優しい一番上のお兄様。
久しぶりに見たお兄様は、少し痩せて顔色が悪かった。
でも、大好きなお兄様の一人に会えて嬉しくて、ぼくは走っていって、飛びついた。
胸のあたりに思いっきり当たったのに、お兄様は少しもぐらってしないで抱きしてくれる。
「おっと。久しぶりに抱っこだな、重くなった。結構結構」
「もう何か月も会えなかったんだ。一番、ぼくに会ってくれなかったのは兄様でしょう」
「すまないな、私は後継者だから、父上の指示には従わないといけないんだ」
「戦争なんか、嫌いだ。なんで父王様は兄様たちを戦場に出すの?王子なのに、前線に出てるって兵士から聞いたよ」
ぼくの言葉に、兄様は目を細めて頭を撫でてくれた。
小さいころから、何度も撫でてくれた手の一つ。
安心して、大好きな、大姉様と同じくらいきょうだいみんなから信頼されてるお兄様。
なのに、その顔がさっきまでぼくを見てたツキみたいだった。
悲しそうで、申し訳なさそうな。
「王子だから、なんだ。お前には、まだ早いね」
「どうして!?ぼくたくさん訓練したよ、お兄様はぼくの年には戦場に立ったっていうのに」
「……誰から聞いたんだ。お前を焦らせることは言うなと、使用人達には厳命しているのに」
「父王様。ねぇ、ぼくもお願いしたら戦場に」
「やめなさい!!!!」
耳がビリビリする。
お兄様のお顔が、怒ってる。
これまでぼくがどんなにいたずらしても見せなかった、真っ赤な顔で目が吊り上がって。
涙なんかどっか行った。
だって、こわい。
優しいお兄様じゃ、ない。
「ごめ、なさ、ごめんなさい」
「あっ、すまないディルクレウス‼違う、お前に怒ったんじゃないんだよ。ただ、お前は戦場なんか出てほしくなくて」
「どうして……?やくたたず、だから?」
「違うんだよ。ああ、なんといったらいいか」
「ぼくだけ、母親が違うから。スペアだって」
何度も生まれてから聞いた話だ。
ぼくだけ、母親が違うこと。
父王様が王妃様が死んだあと、庶民の娘を囲って産ませた子って。
出産のときに母親が死んだのをいいことに、都合のいいスペアとして育ててるって。
もう、だいたいわかる。
王宮内が、ぼくにとって気持ちのいいだけの家じゃないこと。
使用人の声も、貴族の声も、ぼくを守ってくれる兄様姉様たちのことも。
「だから、父王様もあんまり会ってくれな」
「いいかいディルクレウス。よく聞きなさい」
いきなり、兄様の腕から地面に下ろされた。
硬い兄様の筋肉が離れるのが寂しくて、何を言われるのかちょっと怖い。
だけど、兄様の目を見たらすぐにわかった。
口下手なお兄様が、真剣に、膝を折って目線を合わせてくれたから。
「父王様は、あまり近づいてはいけないよ。約束だ」
「どうして?」
「そうだな……じゃあ、お前が15歳になったら、全部話そう」
「ずっと先だ。三年も」
「たった三年、だ。お前は目を離すとすぐに大きくなってしまう。あと3年もあれば、きっとディセルには勝てるんじゃないか?」
「ええっ、ディセルお兄様はいつもズルするから勝てないよ」
「あいつのは賢いというんだ。……それこそ、お前に求めているんだよ」
お兄様の手がぼくの手を包む。
大きい手だ、ぼくの倍近くある。
この手が、戦場で戦ってるところなんか、想像つかない。
「約束しよう。私達兄、姉はお前を何より愛してる」
「あい?」
「そうだ。生まれも何も関係ない、お前がいるから私達は戦える。それを忘れるな」
「姉様たちは戦場に行ってないよ?」
「武力だけが戦いじゃない。それがわかったら、一人前だな」
ぐしゃぐしゃに兄様の手が乱暴に撫でる。
なんだか、顔色が良くなってる気がして嬉しい。
それからツキに「弟をよく見ていてくれ」って言うと、立ち上がった。
「落ち着いたら、遠乗りでも行こう。馬には乗れるな?」
「得意だよ。兄様にも負けないもんね」
「それは、楽しみだな」
お兄様は、そう言って王宮に戻っていった。
ぼくも、ツキを引っ張って訓練に行かなきゃ。
早く、追いつきたいから。
それでいつか、お兄様たちを守るんだ。




