35話 開戦の戦乙女
一週間後。
空は高く、雲が近く、山はそびえ立つ。
今日この日、周囲にいるのはディオメシア軍数千の兵と、ほぼ同数のヴァルカンティア兵。
皆総じて武装し、我自身も重い剣を差す。
視線を背後に滑らせば、アンナ嬢が馬上から山を見据えていた。
「あれが、ステラディアの国境山……あれを越えれば、兄弟国の領地か。見た感じ、うず高い城壁があるわけでもない。なぜ苦戦するんだ?あんなもの、すぐに突破できるだろう」
「地の利だ。その上、奴らの備蓄と武器の装備は独特。陸からの来訪を許さないステラディアの壁だ」
「じゃあ、なぜ海路から行かない?こちら側から攻められないなら、海に面したソルディア側から落とせばいい」
「それができるならばとうに戦争は終わっている」
この戦いは、あの愚王が我を囮にしたことで始めた戦い。
あれから何年経ったか忘れたが、それでも落とせないほどソルディア・ステラディアの守りは堅牢。
海からの戦いも経験したうえで、最も勝算があったのがステラディア側からの侵攻だ。
中に何人の兵がいるかすら、情報が出てこない。
独自の発展を遂げた兄弟国を、どう突破すればいいか。
「ディルクレウス。戦いの前にはしっかり宣戦布告をしなくてはいけないんだよな?ディオメシアとして出しているのか」
「出した。奴らも戦いに備えているはずだ」
「ヴァルカンティアの名は?……わかった、出していないんだな、まったく」
「まだ何も言ってないが」
「顔を見ればわかる。君は、とことん私に責任を負わせたくないって顔をするんだ」
おかしなことを言う。
己の表情が豊かであったころはとうに捨てた。
そのような、細やかな情緒がこの顔のどこに存在しているのか。
何も言えずにいると、アンナ嬢は振り向き、自分の連れて来たヴァルカンティア兵に向けて叫んだ。
「みんなー!!指揮は私がとる!!強いやつは弱いやつ守れー!!」
彼女のあまりに杜撰な言葉。
それでも、ヴァルカンティア兵たちは手を突き上げて返答の雄叫びを上げた。
そしてなぜか、ディオメシアの兵に近寄っていき、強引に肩を組み始めたのだ。
ヴァルカンティア兵は、ほとんど男だが女も混じっている。
多くは赤銅色の髪をしている、肉体の強い証だ。
まさか、ディオメシアの兵を指して弱いと言ったのか。
「侮辱か?我が軍が弱いと」
「区別だ、怒らないでくれ。心配しなくても、私の仲間たちはしっかりわかってる。弱いのは戦略じゃなくてただ力だ」
「肉体を過信しているようだ。強靭な体があろうと、驕りは死を招くぞ」
「過信ではなく、事実。持つべきものは、その身を発揮すべきだろう」
戦場において、正しさが何かはもうわからない。
アンナ嬢の発言に頷ける箇所はあるが、あまりに汚れがない。
あの時、ハイネ殿の賭けに乗らなければよかった。
まさか、血に染まることすら厭わないとは。
彼女は今、自分でヴァルカンティア兵ならずディオメシア兵をも背負ってしまったのだから。
「では、進む。打ち合わせ通り、兵を三つの軍に分け、正面突破の陽動を行ううちに横から攻め入る!!」
「アンナ嬢は右から行け。我が正面で陽動を」
「おっと、王様はこっちですよ~」
横から、別の声が混じる。
わざと軽薄そうな声を出すそれは、朝から姿が見えなかったジーク。
今日は変装もせず、素顔の彼は馬上の我の背後をとると、そのまま馬を操って移動させてしまう。
何事だ。
これは聞いていない。
昨日の夜、最後の戦略会議の際には我が陽動の先陣を切ると決まっていたというのに。
「おい、何をする。不敬だぞ、お前の持ち場に戻れ」
「悪いけど、今日の持ち場はここなんですよねぇ。アンナから頼まれてるんで」
「何……?離せ、アンナ嬢が!!」
「俺らのお姫様の初陣だ、好きにさせてくださいよ」
馬を降りようにも、ジークの拘束は外れない。
馬を操りつつ、我を下ろさず、動かさずを貫くつもりか。
何ということだ、昨日の会議ではアンナ嬢も安全なところにいると言っていただろう!!
アンナ嬢が遠ざかっていく。
馬に積んでいた荷物の一つをほどいて、組み立てる姿が見える。
そして、彼女は大きくそれを掲げた。
彼女の身長ほどもある長い棒の先に、大きな旗。
それは、ディオメシアの物だった。
「これより!!約定に従い、この戦争を終結させる!!関係のないものは殺すな、向かってきたやつは皆殺しだぁ!!!!」
うおぉぉぉぉぉぉお!!!!
雄叫びが、大声が、歓喜が、広大な大地に響き渡る。
一年前、爽やかに聞いたこの大声たち。
一年後、血に塗れになるとは。
この戦いは、もはや話し合いで解決できないことはわかっていた。
だが、まさか、アンナ嬢の手で殲滅を開始してしまうなど。
「なぜ、我を止めた。なぜだジーク、おまえならわかるだろう」
「わかってて止まるなら、国を挙げてここまで来ないですって。よく見てくださいよ」
「死をか」
「アンナの雄姿ですって」
旗を掲げ、先陣を切るアンナ嬢。
戦いの女神だと言われても、疑いようのない勇ましい姿。
彼女に続いて、死へと足を踏み入れる軍。
この戦いは、我の血で始まった。
その終わりを、我の妻を望む女の血で迎えるのか?
吐きそうだ。
臓腑もろとも掻き出したくなる。
だが、ジークの腕は緩むことがなかった。
そして、兵士たちに矢が降り注いだ。




