34話 アンナの清らかな覚悟
「アンナ嬢、口に合わなかっただろうか。要望があれば、料理長に作らせる」
「いいいい、いい!!大丈夫だ!!おいしくいただいている!!」
「アンナ、不必要に大声を出さないでください。使用人達の鼓膜を破りたいなら止めませんけど」
晩餐の時間、変装中のジークも同席させると宣言したアンナ嬢によって、3人での晩餐は進んでいた。
ジークは固辞していたが、アンナ嬢が手を握りつぶすほどに引けば断れなかったのだろう。
我としても、隠れて会話を聞かれるより気分がいい。
用意した料理に手を付けるアンナ嬢が、少し戸惑い気味であることを除けば問題はない。
このような場は慣れていないのだろう。
晩餐室にエスコートしようと手を握ったときも、小さく悲鳴を上げていた。
「す、すまない。だが、本当においしくいただいている。私のことは気にしないでくれ」
「それは無理がありますよアンナ」
「わかった。では話を進めるが、今回なぜ突然ディオメシアにやってきたのかだが」
「なんで額面通りにしか受け取らないんですかこの鉄仮面は……いっ!?」
「すまない、ジークは気にしないでくれ。ここからは外交だな」
ジークが言葉を発した一瞬の後に、アンナ嬢がジークに肘を入れていた。
使用人達は全く気が付かないほどに早い動作。
我でなければ見逃している。
念のためジークに声をかけようとしたが、ひと睨みの殺気で返された。
骨の音がしたが、アンナ嬢がいいというのならばいいのだろう。
骨折すら克服したとは、大した度胸だ。
「簡潔に聞こう。なぜ予告もなく大軍で来た」
「嫁入りの箔をつけるため、戦争を終わらせる以外に何がある」
「こちらは頼んでいない。問題になると思わなかったのか」
「それなら何も私に言わず去った一年前の自分を恨め。そもそも婚約者の国を助けるのに、わざわざ連絡をする意味が分からない」
「ハイネ殿の教育は、それほど杜撰だったのか。根回しの重要性は承知しているはずだろう」
突然の異国人の襲来に、国民からの苦情が来ている。
幸い、略奪や暴行といった荒事の報告は受けていない。
だが、彼女が行ったことは、国民をおびやかすことになる。
それを軽く許せば、ディオメシアはヴァルカンティアに下ったと思われてしまう。
それは認められない。
国の威信に執着はないが、君臨状態を保ちたい現状は、壊すことなど許せない。
「なぜだ。言え」
「……ソルディアから、使者が来た。『ディオメシアではなくソルディアに力を貸せ』、馬鹿げているだろう」
「何が悪い。ヴァルカンティアほどの武力を持つ国であれば、珍しくもない」
「相手は『今すぐ婚約者のアンナをよこせ』って言ったんだ。信じられるか?伝統も、武力も、誇りもすべて無視して。私を望んだんだよ」
アンナ嬢は、カトラリーのナイフを机に突き立てる。
銀製のそれは、瞬時に折れて後方に飛ぶ。
床に落ちる金属の音に、使用人が息を飲む声がした。
緑の目が燃えている。
彼女にあるのは、怒りだろうか。
アランが見せたような、誇りへの冒涜。
ジークが見せた、忠義を軽んじられた憤怒。
アニータ殿から食らった、怒りの鉄槌。
あの月夜に見せた、溢れるアンナ嬢の何か。
きっと、他の人間であればもっと細やかにわかるのだろう。
「それがなんだ。まさかそれで逃げてきたとでも」
「そのまさかだよ。父様に賭けの内容は全部聞いた、この戦争を私が終わらせれば話はまとまるだろう?そしてそのまま結婚。いいじゃないか簡単だ」
「穏便なものは考えているのか」
「叩き潰す以外ない。完膚なきまでに、この赤銅色を焼き付けてやる」
獣の目だ。
アランを思い出す。
アンナ嬢とは従妹の関係性だからか、とても良く似ている。
人間の皮を被った、獣。
それがドレスを着て、ソルディアではなくわざわざディオメシアを経由した。
そうか。
実に、愚かで理解しがたい。
「話にならない。覚悟がないならば帰れ」
「覚悟はある!!」
「ジーク、お前はこれで覚悟ができていると思うのか。なぜ止めなかった」
「なんでこの流れで俺に話振るんですかぁ?空気読んで黙ってる間、ずっと罵詈雑言考えてやってたのに」
「お前は人を殺したことがある。それに、命のやり取りもしたことがあるはずだ」
ジークの表情は変わらない。
だがそれでいい、否定されたところで釈明に割く時間が無駄だ。
これは勘でしかない。
戦いに出て、血に塗れたものは不思議とわかる。
これは祝福の効果でも何でもなく、戦場を見た人間ならば働く勘。
そして、アンナ嬢は対照的だ。
彼女は、まだ清らかな手をしている。
「自分の指示で兵が飛び込み、臓物をぶちまけて死ぬ。武闘会とは比べ物にならない、戦いだ」
「わかっている。だから私は」
「わかっていないからここまで来たのだろう。指揮官というものは、その肩にいくつもの命を負う。そして消えた分は、何としても保たねばならない」
「そうですよアンナ。それに、前線にも出るって言ってここまで飛び出したでしょう?だから反対だったんですよ武闘会だなんて。強ければ勝てるなんて、そんな甘い考えだと死ぬのが戦場です」
ジークが何をくぐってきたかまでは知らん。
だが、概ねその通りだ。
ここまでで止まり、後をハイネ殿に任せれば波風は立たない。
うまく誤魔化し、アンナ嬢を押しとどめれば彼女が戦場に立つこともない。
あのような地獄に、彼女が立つことなど考えただけで反吐が出る。
何度死に、何度蘇り、何人の死を負ったと思っている。
アンナ嬢が背負う必要など、もし未来で必要だとしても、今は許容できない。
「じゃあなんだ。お前たちは、私が人を殺したことがないから、帰れと言うんだな?私を道具みたいに言いやがった、ソルディアにつけとでも?」
「待てよアンナそこまでは」
「なら今ここで、誰を殺せばその許可が取れる?何十人殺せば、対等に私を見る」
アンナ嬢は立ち上がった。
そしてそのまま、一歩、大きく踏み込んだ。
強く風が吹きつける。
この風は、あの一ヵ月に何度か経験したものだ。
人間が、迫るときの風圧だった。
アンナ嬢は、何も持たず、眼前にいた。
鼻がつきそうなほど、近くに。
「舐めるなよ。私も、ついてきたみんなも、命捨てていいってやつだけが来たんだ」
「地獄を見たことがない女が何を言う」
「ディルクレウスの隣に立つのに、地獄も知らないで何になる」
「後悔するぞ。責任を、我が何とかできると思うな」
ここまで来たことも、戦いに行くことも、我に着いてくることも。
なぜそれがわからない?
なぜアンナ嬢は、離れてくれない。
離れてしまえばいい、離れろ、ツキの二の舞は二度とごめんだ。
利はないはずだ、なのにアンナ嬢は、好戦的に笑った。
ヴァルカンティアの、空のような笑顔だった。
「私が命の責任をとる。私が大罪人だ。だから、戦わせてくれ、ディルクレウス」




