17話 武器休みの市場で
翌日、適当な動きやすい服に着替えて通い慣れた訓練場へ向かう。
武闘会でアンナ嬢を娶るために死闘をする気はない。
それでも、この素晴らしき軍事国で得られる経験を無駄にする愚かなことはない。
だが、訓練場には誰もいなかった。
訓練開始にはまだ早い、それでも誰かは勝手にいるはずなのだが。
仕方がないと長剣を振り回し、双剣術の復習も行い、果ては武器なしでの組み手を想定して拳を空に向かって突く。
汗がにじんできた頃、ついに人影が現れた。
遅い。
既に訓練が始まっていてもおかしくない。
彼は茶髪を整えもせず、顔色が悪く、腹をさすりながら気だるげにこちらを睨む。
「なんでここにいるんですかぁ?誰もいないと思ったのに」
「ジーク、我が聞きたい。誰も訓練場に来ない、アニータ殿も」
「当たり前だろ。今日は月に一度の『武器休み』だ、ここにいる方がいけないことなんですよ。戦士の強制休養日」
「鍛えることに悪いものがあるか。それに、組み手であれば武器も使用しない」
「『戦士はそれ自体が武器。休息は戦うための手入れなり』って格言……知らなかったのかよ」
知るはずがないだろう。
だが思い返せば、訓練兵が今度の休みには何をするかだのといった話をしていたな。
なるほど、周知させる事すら不要なほどに知れ渡っているヴァルカンティアの文化とみた。
だが、それであればおかしい。
ジークは、明らかに具合が悪そうな中訓練場に来た。
我に武器休みを伝えに来た、などといった様子ではない。
「慣れない言葉遣いだな」
「昨日お父様にみっちり稽古されたんですよ。あ~気持ち悪い……あ、失礼。ヴェエエエ……あ、すっきりした。ようやく抜け始めましたかね」
「二日酔いか?酒を飲むのか」
「毒抜きです。ちょっと昨日のは強烈で」
「毒を盛られたのか」
「別に、特訓の一環ですから。あ、もう一発失礼」
胃の中をひっくり返したように嘔吐するジーク。
二度嘔吐して、胃液しか出てこないらしい。
本人から全く深刻さは感じられない。
まるで当然のように毒を飲んだという。
ハイネ殿の特訓という理解で間違いはないだろう。
その中で、毒を飲まされたのか?
手を差し出そうとした。
でも、それはできなかった。
ジークが、殺気を放っていたからだ。
「お前、俺を今憐れみましたか?」
「そう見えるか」
「すこし。あー、気分悪い。気分転換行きましょう」
「体はいいのか」
「ディルクレウス様が~?昼飯奢ってくれるならすぐに元気になりそうですねぇ」
「わかった、なら行こう」
「は?え、深堀りとかしない感じでいいんですか?」
ジークは、訓練場を出ようとする我についてきながらそう言った。
顔色は良くなってきたか。
胃に何もない状態は良くない。
提案通り、屋台が連なる広場に行こうとしただけだが……。
「していいとして、素直に吐くのか」
「言いませんけど」
「なら意味はない。行くぞ」
「……あっそ。じゃ、手始めに羊のロースト、次は羊のサンド、最後にデザートも」
「羊が好きなのか」
「は?お前が魚派だから羊にしただけですけど」
「意味が分からない」
「嫌味に気づけよ」
ジークの考えることは、よくわからない。
そして、屋台の連なる市場へやってきた。
宣言通り、大量の料理を我に奢らせて頬張っていくジーク。
先ほどまで嘔吐していた体には負担になりそうなものだ。
だが、彼がいいと言っているのなら間違いはないのだろう。
食いきれない量かと手を伸ばせば睨まれた。
そんなに欲しいのであれば、強奪する趣味はない。
「屋台を見てくる。無理はするな」
「余計な世話だし戻って来ないでくれません?飯がまずくなる」
「食べきれるのか」
「俺、たべものは無駄にしない主義なんで」
「そうか」
それならば、ここに長居する必要はない。
ジークを置いて、そのまま立ち去る。
だが、一つ困った。
市場では多くの人間が行き交う。
食べ物以外にも、武器や衣類、子供のおもちゃだろう人形も並び、必要なものはすべてが手に入る。
欲しいと、感じれば実に需要があるだろう。
「欲しいものなど、思いつかない」
ここには学びに来た。
そのための本や、武器は支給されている。
それ以上欲しいものなど、どうやって生み出せばいいのか?
食べ物も、何を食べたらいいか分かるはずもない。
決めたいという欲すら、久しく感じていない。
武器休みとは厄介だ。
することを探すことが、こんなに難しいとは。
それでも何かを探すふりをして歩き続ける。
笑顔で過ごすヴァルカンティアの国民を見ることは、悪くない。
そして、一軒の書店に行きついた。
移動式で様々な国の本を取り扱う出店、のようなものだろう。
単なる、気まぐれだ。
何もしないで宰相家に戻るには、少し惜しいような感情。
屋敷内での休息は、急がずともできる。
本に囲まれたその店は、想像とは違ったものがあった。
「いらっしゃい……おや、男性とは珍しい」
「店主、ここの本は何を取り扱う」
「ロマンス、恋愛、夢、ときめき。そんな素敵なものだよ」
「不毛だな」
「なんとでもいいな。でも、今常連が来てるんだ。間違っても騒ぐんじゃないよ」
「常連……?」
店主の言葉に、目を走らせる。
気が付かなかった。
人間の気配には敏感だと自負している。
店主以外の気配はないと思っていたが。
いた。
薄緑色の布を頭に巻き、粗末なワンピースを見に纏った女。
こちらに隠れるように、一瞬で顔を背けた動作。
隠しきれない、赤い髪。
彼女に自然と足が向いた。
本で顔を隠して、こちらの視線を遮る彼女に。
「愛読書は研究書だと聞いていたが、物語も読むのか」
「なななな、何のことですか?」
「生憎と、人間の顔はよく覚える性分だ」
「人違いだ」
「昨夜顔を合わせたばかりだろう、アンナ嬢」
観念したように、彼女は布を外す。
日の光の下で、間違えようもない。
アンナ嬢は、赤くなった顔を見せないように、本で盾を作っていた。
『身分違いの恋』と書かれた題名の、一つも興味が湧かない本を。




