104話 一本の紫晶草
人間の気配には、昔から敏感だった。
誰が背後にいるか、どのような人間か、こちらに敵意があるか。
戦いの中で身に着けたこの感覚は、我にある能力を与えた。
向ける殺気の強さ、視線の動かす先、体を動かす一瞬の予備動作。
そのうえで、ミクサを見た時、一目でわかった。
彼は、人殺しに慣れている。
「あぁ面倒だな、お前みたいな愚鈍な王相手に言葉遣い考える必要はねぇ」
「こちらは強要した覚えもないがな」
「で?なんでこの村まで来た。近衛兵も招集した国民兵も、お前の子飼いにしてるソルディアの王子もいない。不用心すぎる」
「この国は我の先祖が血と命を注ぎ込んで作った国。好きに動いて何が悪い」
「ワシらにここでズタズタにされて死んでも、しかたねぇって言ってんだ」
特段、ミクサが人殺しだろうと感慨はない。
我も数え切れぬほど殺した身、当然のことだ。
だが、なぜだろうか。
ミクサからは、どこにも悲壮が感じられない。
正義に満ち溢れた気配もない。
ただ我を、見定めるように、首を狙うように見据えている。
月光国は世襲ではなく、実力を示したものが頂点に立つと聞いたことがある。
若くして頂点に立つということは、正常ではない代償を払うはずだ。
我が、先王を引きずり下ろしたように。
この男は、ただ者ではないかもしれない。
「何を怒る。地下の狂犬にはディオメシアの事情は関係ないだろう」
「アンタの消えた娘のせいでな、こちとら尻拭いさせられてんだ」
「ではやはり調査は本当であったか。あやつの専属使用人の一人が、月光国にいるというのは」
「今その話してねぇんだ。黙って銃口向けられとけよ」
「確かコマチといったか。彼女は惜しい、引き抜ければ使い勝手がありそうな駒だった」
「だ、ま、れ。こっちは怒り貯まってんだ、お前を殺してワシがトップに立てばこの戦争も終わるだろうよ……一遍死んどいたらどうだ」
「羨ましいことだ。何も知らないということは実に幸せなのだな」
動きは目に入っていた。
銃にかかる手が見えた。
我に向かって発砲することも認識できていた。
ただひとつ、我の体は避けるという行為を、忘れてしまっていた。
破裂音が轟く。
痛みはない。とうに無くしたものに、興味はない。
打ちぬかれた左腕から流れる血だけが、気がかりだった。
「ははっ、何だ王様。表情ちっとも動かないじゃないか、感情を戦場に置いてきたのか?」
なにか、何を返したのかは覚えていない。
花を、見ていた。
アンナの好きな花が、我の穢れた血で汚れていないか。
夕日に染まってわかりづらかったが、血を被ったものはなさそうだった。
「お前、本当に何しに来た」
「何度も言っている。花を見に来ただけだ」
「じゃあなんでワシを呼び出した。ここはワシの舎弟の領地、お前の国でもワシの力のほうが強いぜ」
「お前はディアーナと話したのだろう。そして、負けたのではないか」
「あいつ『には』負けてねえ」
ミクサは、不快そうな顔をした。
我の何かが、気に入らなかったのだろう。
それを細かく考えることは、面倒でしかなかった。
「では、我は戻る。ああ、花を数本いただいていくが構わないな」
踵を返し、花畑を後にする前に、いくつか花を摘む。
小さく音を立てて茎から引きちぎられる花は、みずみずしいのか水が垂れる。
この美しい水すら、毒だろうか。
アンナに、もっと紫晶草について聞いておけばよかった。
きっと、好きな花の話なら、いくらでも語ってくれただろう。
「この花、好きだといっていたな。アンナ」
帰る道中、馬上で思い立ち、つぶやいてみる。
返事は、当然のようになかった。
陽が落ちてから王宮に戻れば、待っていたのはレオンの小言。
舌打ちでもしそうな態度の悪さに、どこか懐かしさを感じた。
「一人で遠出なんて、何考えてるんですか!!あんたがもし死んでみろ、もう秘密をちゃんと守る側近一族はいないんだ!!民衆に知られたくないって言ってたのは、自分でしょう!?」
「お前が我を回収すればいい。捨て置いて、そのまま朽ち果てられればこの上ないが」
「この混乱で、国王が野垂れ死にすればどうなるかわからない。もしもスラムの奴らの手に渡ったら、ディセルに何されるか」
「詮無きことだ。もし、など不要な可能性の話をするな」
スラムの反乱軍勢力は、日毎に数を増やしているという。
近頃では属国兵をも取り込んでいるという噂。
ディオメシアを打倒するとすれば、それができるのはディセル兄様だろう。
元王族の兄様に嫌な役目を負わせたくはなかったが、立ちはだかるのであればちょうどいい。
兄弟国も属国兵も、力を貸しこそすれ、決定打を撃ちはしないだろう。
ヴァルカンティアがディオメシアを滅ぼす可能性も望んだが、義父母の宰相夫妻は静観の構え。
あとひとつ、致命傷を与えうるだろう人間はいる。
どこで、何をして生きているかも不明な娘。
ディアーナさえ現れなければ、すべては順調に運ぶだろう。
「自分だってあらゆるもしを検討しているのに、よく言う。その花、なんですか」
「触れるな」
「触りたくないが。見たことがない花だと思って」
「毒花だ、貴様であれば楽に死ねる」
「なんですか、死ぬ許可をくれるんですか。エラのもとに行くために」
「減らず口だな」
「七年も側にいるので。あと、ディルクレウス王は俺を殺さないってわかっている」
「掃除の手間がある。使用人に無駄な仕事をさせる手間すら惜しい。徴兵した男たちの様子はどうだ」
「どうもこうも、不満だらけです。反乱を起こさせたい狙い通りに」
「そうか、何かあればまた報告しろ。我は部屋に戻る」
殺せるわけがない。
我を過度に不快にさせず、かしこまりすぎず、すべての雑務を難なくこなし、大臣たちの折衝もできる人間などそういない。
我がたまに稽古をつける中で、剣の腕も格段に上がっている。
人間を育てる楽しみ、というのだろうか。
ハイネ殿がジークや我の手ほどきを行った時は、どのようだったか忘れてしまった。
そうか、近頃感じていたレオンの変化はこれか。
昔のジークに、随分と似てきている。
ディアーナを追放した時から一度も会っていない、旧友に。
月光の中の廊下を進み、入るのはアンナの部屋。
窓から差し込む光を頼りに、生前使っていた花瓶を見つけると紫晶草を数本差し込んだ。
「どうだ、満足か」
返事はない。
アンナで満たされたこの場に、自身の声しかしない。
この状態が、数か月続いている。
アンナがいたずらに怒っているのか、ただの無視か。
そのはずだ、我の中のアンナは死んでいないのだから。
アンナの姿を脳裏に浮かべ、長居はせずに部屋を出た。
やることが山ほどあるのだ。
醜く滅び、潔く死に絶えるための準備が終わっていない。
どこかで、エラと泣き叫ぶレオンの声が聞こえた。
すでに慣れてしまったが、そこで思い至ったことがある。
我が最後に泣いたのは、いつだったのだろう。
その答えなど、誰も持っていないのに。
1本、手に残した紫晶草が、しおれかけていた。
これを身に着けていれば、いずれまた、聞こえるだろうか。




