99話 新たなる右腕
手紙の中にあった、硬く小さなものを手のひらに出す。
それは、黄色の宝石があしらわれた、指輪。
その石は、かつて我が見逃した、兄を示すもの。
あの日、兄様達を苦しみから解き放った日に別れたディセル兄様の。
「ははっ……やはり、あなたは生きていたか!ディセルの兄様」
賢く、冷静だったディセル兄様。
我を、兄弟の中で最も知るだろう兄様。
見逃しただろう、なぜここで我にこれを寄越した。
何も知らず生きてほしいと、ただの人間として、幸せに生きればいいと。
それが、ディアーナがいなくなったこの時に、なぜ。
物音がして、床を見る。
レオンが、膝をついていた。
あれだけ反抗的だった姿勢が一変して、どこかしおらしい。
「ディルクレウス王…?祝福も、あなたに兄?俺にはわからないことばかりです。説明をしてもらえませんか」
「貴様に言って何になる。我はこれ以上面倒を増やしたくない」
「あなたに忠実になりますから!!」
何があったのか、全くわからない。
もう自分はどこにも行けないだの、我に恩を売りたいだの、なんだというのか。
命乞いであれば無駄なことだ、殺す気などないというのに。
挙句の果てには、自分から側近になることを志願してきた。
元よりそのつもりだが、こうも勝手に話を進められると心地が悪い。
「貴様に利はないだろう。なぜそこまでする」
「エラのことを、教えると言ったのはあなただ」
「そんなに一人の女について知りたいか。それだけなわけがないだろう」
「それだけです。彼女が暮らしたこの国で、彼女のことを知るあなたのおそばにいたいと願うのは、いけないことですか」
態度の急変といい、エラへの執着といい、よくわからない男だ。
そこまで殊勝な人間ではなかっただろうが、申し出るのであれば何も言うことはない。
剣についた血を振り払って、鞘に納める。
暖炉の前の椅子に腰かけ、レオンを眺めてみれば、なんとも妙な気分だ。
ハイネ殿は、アンナと結婚する我をどのように眺めていただろうか。
あの御仁のことだ、我同様に利用しようと思っていたとしても、不思議ではない。
「いつまでそうしている、ソファーに戻れ。側近になるならば、お前にも話しておくことがある」
「いいんですか」
「あの側近は秘密にすることにこだわっていたが、我は隠すつもりはとうにないからな……そうだな、掃除が終わった後にすべて話すとしよう」
急ぎ使用人を呼び、死体と血の掃除をさせる。
メイド長の教育は、実に上等なものなのだろう。
人間一人がここで死んだとは思えないほど、部屋はすぐに清潔になった。
血飛沫すら残さず、遺体は王宮内の墓に埋葬されるだろう。
死んでしまえばただの肉塊。
なんと、羨ましいことか。
「すぐに理解するのは難しい。だが、これを聞いた以上お前はもうディオメシアからは永久に逃げられない」
顔色が悪いレオンは、それでも逃げずにすべての話を聞ききった。
ディオメシアの建国の呪い、不死について、これまで王族がされたこと。
我の目的、ディアーナを追い出したかった理由。
ただ唯一、エラの出生の秘密を除いて。
目の前で側近を殺したからだろうか、震えている。
情けないとは思わない。
過酷な環境にこれから向き合っていくのだ、容易に慣れる。
「レオン、立て。ここからが貴様の仕事だ」
「は、あ……待ってくれ。俺は、そんな側近なんて務まると」
「言った言葉を取り消すな。エラの情報が欲しいんだろう」
再度剣を抜き、レオンに向ける。
顔に血飛沫を受けた奴の前に立ち、肩に剣を乗せた。
見届けるものは不要。
誰の祝福も不要。
これから始まるのは、レオンを巻き込んだディオメシア崩壊だ。
「お前を側近に任命する。働け。そうすれば、エラのものを貴様に贈ろう」
このような餌で、普通の人間は了承などしない。
だが、目の前にいる男は狂っている。
その証拠に、瞳が強欲に燃えるのがよく見えた。
人間というものは、執着するものを与えると指示を聞きやすい。
剣をレオンから離せば、奴はへたり込んだ。
充分に合格を出そう。
我の威圧に耐えきったのだから。
「言い忘れていたが貴様かルシアン、どちらかをそばに置くことは決まっていた」
「まさか、ここまで読んでいたってのか。エラとのことも、すべて」
「些末なことだ。だが我は、お前のほうがふさわしいと今なら言える」
「エラのもので、釣れますからね。……そうじゃなきゃ、こんな屈辱的なこと」
「使用人に頼めば、エラが着用したものなどはすぐに手に入るが」
「無礼な発言をお許しください」
レオンは、瞬時に膝をついた。
忠誠の証であろう姿に、拍子抜けする。
提案したのは我だが、まさかこれほどまで変わり身が早いとは。
この感情は、初めて感じる。
側近の物ほど嫌悪はないが、得も言われぬ不快感。
娘の着用済みを欲する男を前にすることなど、そうないからだろうか。
「貴様、本当にわかっているのか。想像以上に、救いなどない道だぞ」
「エラは死んだ。生きる希望もないが、エラの品をくれるなら慰めになる。俺を王子でもなんでもなく、ただのレオンとして接してくれたエラのためなら」
奇妙だ、会話をしているが噛み合わない。
先ほどから感じる、妙な不快感を何というべきか。
気色が悪い、それ以上のものがある。
斬り殺したくなる類ではない、レオンの執着を我も理解できる。
だが、なぜだ。
その判断を、後悔している。
賢く、冷静だったディセル兄様。
我を、兄弟の中で最も知るだろう兄様。
何も知らず生きてほしいと、ただの人間として、幸せに生きればいいと。
そうか、兄様は我の狙いをわかっている。
そのうえで、動きを封じようとしているのか。
もしも、この言うとおりにしなければ、どうなるか。
あの頃のように、叱るだろうか。
胸に広がるこの温かみは、懐かしさ、だろう。
かつてあった日を思い起こすときに起こる、感情。
優しかった兄様も、指輪まで送るということは本気だろう。
我は、兄様と、睨み合わなければならない。
「レオン、今からお前に知識を叩きこむ。内政外政、遠征、まずは国家運営を知ることだ」
「問題ない、だから早く」
「その言葉、違えたらエラのものはすべてを燃やす」
「エラがある限り、俺は仕える」
一人で、ディセルの兄上に勝てるか。
それは、難しいだろう。
民衆にはまだ出ていない、ディアーナ失踪を知った上での行動だ。
使えるものは、何でも使う。
邪魔するものは、すべてなぎ倒す。
そうしてこれまで進んできた、これからも。
たとえ、新しく起用した側近が、異常だとしても。
呼び鈴を鳴らして、使用人を呼ぶ。
エラが使っていた手袋を持ってこさせ、レオンに与えた。
「エラの、エラの手!!あぁぁやわらか、あの時と同じ……」
その様相は、目を背けたくなるほど喜びに満ちていた。
アンナ、この感情は君から学んでいない類のものだ。
ディアーナがここにいないことに、心の底から我は安堵している。
ツキ、エラ、すまない。
餌に使ったことを、許せ。
そうでもしなければ、この狂犬は飼えなかった。
夜が覆いつくす中、謎の罪悪感に蝕まれる日々が始まった。




