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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
第四章 神聖ドミナス帝国

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第83話 非対称的な、食べ物と情報

 重厚な扉が開いた。

 その瞬間、誠司は思わず目を逸らした。

 いや、正確には、目を逸らそうとした。


「また、かよ」

「またと仰られてもぉ、ここはわたしの別荘ですしぃ」


 強烈な引力に縛られたように、どうしても視線を外すことができない。


 あのヴァルラが入ってきたのだ。

 ヴァルラ・フォン・ヴィンターハルト。ヴィンターハルトは選帝侯の家系。

 

「何度、来られても……俺は」


 胸元が大きく開いた、扇情的ながらも品格のあるドレスだ。

 深い夜空のような紺色の布地が、彼女の豊満な胸と、腰のラインに沿って滑らかに流れ、その裾が冷たい石畳の床を僅かに擦っていた。

 その上から、薄地のロングコートをゆったりと羽織っている。

 生地は半透明に近く、差し込む光の角度によって真珠のような白にも、冷たい銀色にも見えた。

 コートの肩から裾にかけて、本物の鷹の羽があしらわれているのがわかる。

 一枚一枚、布地に直接縫い込まれているのか、それとも魔力で編み込まれているのか。

 羽根の形を模した緻密な刺繍が、光を受けてかすかに揺らめいていた。


「ところ、ナイト様っ。お待たせしましたぁ」


 背中まで届く金の髪が、気怠げに肩に流れている。

 青灰色の双眸が、椅子で固まる誠司を静かに、そして値踏みするように捉えた。

 左手の指先には、細長い優雅なキセルが握られていた。


「それから俺はナイトじゃない」

「あらあらぁ? あの聖なる盾で、勇敢に戦っておられたのにぃ?」

「あの盾は。エレイン教会で貰っただけで」

「だったらぁ、パラディンさまぁ」


 ゆったりとした声だった。

 急いでいる様子など、微塵もない。

 同時に、ひどく甘い香りが部屋の中に漂ってきた。

 蜂蜜のようだ、と誠司は直感的に思った。


 少なくとも、誠司が元の世界で知っているタバコの、ヤニの臭いとは全く違う。

 甘くて、柔らかくて、吸い込めばそのまま意識が遠のいて眠ってしまいそうな、蠱惑的な香りだった。

 キセルの煙そのものが甘いのか、それとも彼女自身から発せられる香りなのか、分からない。

 そして誠司は、本能が警告する通り、彼女にこれ以上近づきたくはなかった。


「あたくしのぉ、今日の服はいかがですかぁ?」


 完全に、目のやり場に困っていた。

 豊満な胸元を直視するわけにはいかない。

 かといって、あからさまに完全に目を逸らすのも、相手の機嫌を損ねそうで不自然だ。

 誠司は仕方なく、窓の外へ視線を逃がした。

 午後の穏やかな光が、城の中庭の石畳を白く照らしている。

 鳥が一羽、平和そうに横切っていった。


「座ったままでよろしかったのにぃ」

「いえ、その……」


 誠司は立ち上がりかけていた姿勢を戻し、曖昧に言葉を濁した。

 ヴァルラはテーブルの向かい側へ優雅に腰を下ろした。

 キセルを細い唇に当て、一口吸う。

 薄い紫色の煙が、細く真っ直ぐに上へと伸びた。

 強烈に甘い香りが、またふわりと鼻腔をくすぐった。


「誠司様はその衣装も、ピッタリですね。準備した甲斐がありましたわぁ」


 悔しいがその通りで、フィニス王国のヴァルシア王国のどれよりも着易くて、心地が良い。


「こちらも、あうと宜しいのですがぁ」


 静かな足音とともに、使用人が豪奢な料理を運んできた。

 どっしりとした豚の塊肉が、大きな銀の皿の上に載っていた。

 香草とともにじっくりと蒸し焼きにされたらしく、肉の焼ける匂いと脂の甘い香りが強烈に鼻をつく。

 その隣には、千切りにした色鮮やかな野菜を酸味の効いた酢で和えた付け合わせ。

 そして、大きなジョッキ。

 縁までなみなみと注がれた、黄金色に輝く琥珀色の液体。

 使用人は無言のまま深く一礼し、影のように静かに下がっていく。


「どうぞ、召し上がれぇ」


 ヴァルラが微笑んで言った。

 キセルをテーブルの端の灰皿に置き、自らも銀のナイフとフォークを優雅に手にした。

 誠司は、まず冷えたジョッキに手を伸ばした。

 結露した表面が冷たかった。

 恐る恐る口をつけると、麦の重たい苦みと深いコクが舌の上に広がった。


 うまそう……

 ビール……ビールビールビール


 日本で居酒屋で飲んでいたものよりずっと味が濃く、度数も高い。

 日本にいれば、自分には合わない味だ、とか言えただろう。


 今はそんな味を忘れている。やっぱり、のど越しは格別なのだ。


 くーーーーーっ!


(捕虜。謎の地下施設、労働、そこでの小さな希望。 じゃあないんだよな……)


 続いて、肉にナイフを入れた。

 刃がスッと入り、溢れんばかりの肉汁が皿に滲み出す。

 口に運び、噛むたびに、上質な脂の甘みと香草の爽やかな香りが口いっぱいに広がった。


 旨い!!!!


 理屈抜きに、そう思った。


 敵国で出された食事を、素直に「旨い」と思ってしまった。

 そんな自分自身を持て余し、奇妙で微かな罪悪感を覚えた。


「……こんな豪華な料理を用意されても、俺は言わな……」


 上手く言葉が続かなかった。

 ナイフを動かしていたヴァルラが、ゆっくりと顔を上げた。


「あらあらぁ」


 くすりと、艶やかに笑う声だった。

 目鼻立ちが彫刻のようにくっきりと整っている。

 笑うと目尻に薄く線が入り、それがまた独特の色気を醸し出していた。


「おじょうずなのですね」

「別に……そこまで」

「器用に、フォークの背に、ライスを」

「だ、だってこれは」


 神話の絵画からそのまま引っ張り出してきたような顔だ、と誠司は内心で舌を巻いた。

 そしてすぐに、敵の女に対してそんな見惚れるようなことを考えるのは、やめようと自制した。


 それが唯一にして、最も大きな、彼の武器だった。


「おいしい?」

「うま……。おいしいです」


 もしも、逆だったらと不安になる。

 自分で良かったとか、意味不明な事を考える。


「嬉しいことを言ってくれますわねぇ」

「そりゃ……。こんな上等な食事……」

「あたくしも、こういった庶民たちの食べ物を、一度ゆっくりと味わってみたかったんですのよぉ」


 誠司は、思わず目を剥いた。


 もう一度、目の前の皿をまじまじと見つめた。

 ジューシーな豚の塊肉。丁寧に作られた酢漬けの野菜。冷えた上質なビール。


「……これが、庶民の食べ物だって?」

「ええ。街の食堂に並ぶものと、大差ありませんでしてよぉ。お母様ったら、『貧乏舌になるから食べるな』といつも煩いですのよぉ」


 ヴァルラは、心底楽しそうにフォークを動かし、肉を口へ運んだ。

 そこには、貴族特有の嫌味な顔は少しもなかった。

 本当に、新しい体験を嬉しそうに楽しんでいた。


「あらぁ。やはり、あたくしのわがままでしたかしらぁ。ナイト様は、お気に召しませんでしたぁ?」

「ふ、普通に旨い……です」

「ね。普通に、普通に美味しいですわねぇ」


 ヴァルラは満足そうに深く頷いた。

 キセルを再び手に取り、一口吸う。甘い煙が、また細く立ち上った。

 誠司は黙って、もう一口肉を切って食べた。

 旨かった。悔しいが、普通に、ではなくて本当に旨かった。


「ふふうに……」

「ナイト様ったら、そこまで庶民の真似をしなくてもよろしくてよぉ」


 誠司は、肉を咀嚼しながら深く考えた。

 美咲が、以前言っていた。『この世界に農業革命は起きていない。だから、民は常に腹を空かせている』と。

 だが、どうだ。目の前には立派なジャガイモの付け合わせがある。

 大麦は大規模に栽培され、こうして豊かなビールになっている。

 豚は、冬が来たからと飢えを凌ぐために仕方なく潰すのではなく、こうして肉を食べるためだけにちゃんと分けて育てられているのだ。

 街の食堂に、当たり前のようにこのレベルの料理が並んでいる。

 庶民が、日常的にこれを食べている。

 険しい山脈を越えたこちらの帝国側は、すでに近代国家への階段に差し掛かっている。

 文明が進むのは当然のことだ。国によって貧富の格差があるのも当然だ。

 帝国が圧倒的に豊かで、山の向こうのフィニス王国が貧しい。

 それは理解できる。


 だが。

 それならば。

 これだけ豊かで満たされた国が、どうして。

 何もない貧しい王国に、わざわざ魔物を送り込み、戦争を仕掛けているのか。


「おきに……めさないことでも?」


 問い詰める言葉が、喉のすぐ下までせり上がってきた。

 誠司は、逃げるようにジョッキを傾けた。

 冷たいビールが喉に流れ込む。

 重たい麦の苦味と一緒に、危うく口走りそうになった言葉ごと、胃の底へと無理やり流し込んだ。


「いえ……美味しいです」


 誠司は、絞り出すように言った。


「ねぇ」


 ヴァルラは、妖艶に微笑んだ。

 しばらくの間、静かな食事が続いた。

 カチャカチャというナイフとフォークの音だけが、石造りの部屋に響き渡る。

 ヴァルラは急かすようなことは一切しなかった。

 誠司も無言を貫いた。

 ただ黙々と食べ、ビールを飲んだ。

 キセルの甘い香りが、食堂の空気をゆっくりと、だが確実に満たしていく。


 誠司は、ビールを飲むふりをしながら、ちらりとヴァルラを盗み見た。

 鷹の羽があしらわれた半透明のコートが、彼女のゆったりとした呼吸のたびに僅かに揺れている。


 フレイヤだ、と誠司は唐突に連想した。

 北欧神話に登場する、鷹の羽衣を持つヴァン神族の女神。


 戦場で死者の半分を己の館へ選び取る、美と戦いの神。

 だが、目の前にいるヴァルラの固有のスキルは『ヨトゥンマスター』だ。


 ヨトゥンとは、神々に敵対する巨人族のこと。

 フレイヤとは対極にある、荒ぶる側の存在を意味している。


 エインヘリヤル、死せる勇者を従える高貴なヴァン神族なのか。

 それとも、世界を滅ぼすヨトゥンを従える災厄の主なのか。

 おそらく、彼女はそのどちらでもある、ということなのかもしれない。


 そしてどちらにしても、ただの盾役である誠司にはどうにもできないことだった。

 誠司は静かに目を逸らした。窓の外の光が、少しだけ傾き始めている。


「そういえば」


 不意に、ヴァルラが口を開いた。

 ジョッキをテーブルに置き、少し遠くの景色を透かし見るような、酷薄な目をした。


「明日ですけれどねぇ」

「……はい」

「あの貴族風のツンとしたあの子と、あたくしのかわいい、かわいいヨトゥンが戦うんですよぉ」


 誠司の手が、ピタリと止まった。

 貴族風のあの子。

 蹴鞠のことだ。間違いない。九条蹴鞠。

 いつも完璧にセットされたブロンドの巻き髪を揺らし、どんな絶望的な場面でも決して背筋を曲げない、あの気位の高いあいつのことだ。


「ヨトゥン……。それは……その」

「あらぁ? どうされましたぁ?」


 ヴァルラの声は、どこまでも穏やかだった。

 決して誠司を責めているわけではない。

 ただ、面白そうに観察しているだけだった。


「……その、蹴鞠には、相手が強すぎるのでは」


 言ってしまってから、誠司は己の軽率な口を激しく呪った。

 仲間を案じるあまり、敵の前で弱みと動揺を完全に晒してしまった。


 ヴァルラの目が、僅かに、だが鋭く光った。

 青灰色の瞳の奥深くで、獲物を見つけた捕食者のような何かが動いた気がした。

 手元のキセルの煙が、風もないのに細く真上へと伸びていく。


「おやぁ? もしかして、誠司様は……」

「ち、違います。俺は……俺はヨトゥンくらい……」


 強がりの言葉が、途中で喉に詰まって続かなかった。

 ヴァルラは、それ以上何も言わなかった。

 ただ、愉悦に満ちた薄い笑みを浮かべていた。

 キセルをゆっくりと一口吸う。甘い香りが、また部屋の中に濃密に漂った。

 その笑みの底にある真意は、やはり誠司には一切見えなかった。

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