第124話 栞と駆は戦場でキスをする。
村田の口から紡がれる詠唱は、もはや言語というより呪詛に近かった。
『風の精霊よ真空の刃となりて敵の首を刎ねよウィンドカッター!』
『大地の怒りよ岩の槍となりて不敬の者を貫けテラ・ランス!』
『光の女神よ浄化の閃光となりて罪を焼却せよホーリー・レイ!』
息継ぎなどない。
舌を噛みそうな超高速の詠唱。
オタク特有の早口と異界の理不尽な魔力が結びつくことで、大聖堂の空間を制圧する暴力となって降り注ぐ。
レベル5の魔法連打。それはまさに、天災だった。
石造りの床が爆発で吹き飛び、美しいステンドグラスが粉々に砕け散り、巨大な柱にヒビが入る。
オレは、その弾幕の中をひたすら逃げ回った。
背を向けて逃げるだけでは、ゼンマイは溜まらない。だからオレは、玉座で狂笑する村田を常に正面に見据えながら、斜め後ろへ、ジグザグにとステップを踏んで魔法を回避した。
安易な直線の後退りはしない。そんなことをすれば、あっという間に範囲魔法の餌食になる。斜めに逃げ、爆風を利用し、姿勢を低くして次の魔法の軌道を先読みする。
カチッ。
斜め後ろへ逃げるたび、オレの身体の奥底でゼンマイが巻き上がる音がした。
逃げるたびに。避けるたびに。オレの命を削るような生存本能が、内燃機関に不可視の力を溜め込んでいく。
『第三百四十八の勇者、サトウユイ。享年——』
『第三百四十九の勇者、ワタナベリク。享年——』
爆音と閃光が吹き荒れる中、ルカの無機質な声だけが、どういうわけかクリアに耳に届いていた。
三百六十五人分の、帰れなかった異邦人たちの名前と享年。
それはまるで、オレがこれから迎える死を数え上げるカウントダウンのBGMのようだった。
奏のリュートの音が、魔法の爆発音に混じって不気味な和音を奏でている。
カチッ。カチッ。
炎を避け、氷をかわし、雷をやり過ごす。
だが、村田の魔法の密度は異常だった。
ただのオタク人生まっしぐらだったはずの男が、これほどの魔力を無尽蔵に引き出している。それが『レベル5』というチートの現実だった。
「ちょこまかと! 逃げ回るなよ、ゴキブリがっ! 地味眼鏡が!」
「眼鏡してねぇって……くそ……」
村田が焼け焦げた左腕を振り上げる。
大気に尋常ではない魔力が集束していくのが見えた。
回避不能の広範囲魔法が来る。
オレがさらに斜め後ろへステップを踏もうとした、その時だった。
オレの正面に、青い髪が翻った。
「し……」
栞だった。
彼女は、村田とオレの直線上に、両手を広げて立ち塞がっていた。
オレの足が、ピタリと止まった。
正面に如月栞がいる。
オレの『逃げるが吉』は、背後から迫る存在から逃げることで、レベル補正の速度を発揮する。
だが、真正面に味方である栞を捉えてしまった瞬間、恩恵は失われる。
逃げ足のベクトルが、完全に霧散した。
「栞、なぜ!」
オレが叫ぶと同時に、栞が振り返らずに鋭く命じた。
「駆、ふせて!」
村田から放たれた極大の炎の渦が、迫り来る。
栞の周囲に、彼女が展開できる全ての魔力障壁、全ての魔法ディスプレイが何重にも重なって展開された。
青いディスプレイの盾が、光の壁となって大聖堂の空間を遮断する。
凄まじい衝撃波が、全てを飲み込んだ。
炎の渦が栞の魔力障壁と激突し、バリンバリンと音を立ててディスプレイが砕け散っていく。
そして、彼女でも防ぎきれない。
爆風が障壁を食い破り、オレたちを呑み込んだ。
「ぐっ……!」
オレの身体が宙に浮いた。
でも、炎の直撃はなかった。
吹き飛ばされるオレに重なるようにして、栞がオレを庇うように抱きかかえていたからだ。
二人は床に叩きつけられ、石畳の上をゴロゴロと転がった。
オレは、瓦礫の埃にまみれながら、呆然としていた。
あの合理主義の塊みたいな栞が、自分の身を盾にしてオレを庇った?
もうもうと立ち込める煙の中で。
ルカの読み上げが、ついに三百六十五人目に達していた。
『第三百六十五の勇者、ヤマモトケン。享年——』
これで、三百六十五人。
多分、全てが終わった。次は崩御したネクトールが、三百六十六ページ目に登録されるのだろう。
「栞……だいじょう……」
一瞬の、不気味な静寂が大聖堂に落ちた。
魔法の爆発音も、リュートの音すらも止まったような静寂。
その静寂を破って、あのセーターが破け、頭からも血を流す
栞が突然呼んだ。
「──速水駆」
「は……はひ?」
オレの口から、間抜けな声が漏れた。
疑問に思考を巡らせる暇はなかった。
オレの上に覆い被さっていた栞が、ふらりと上体を起こし、至近距離でオレの顔を見下ろした。
青い髪に埃が混じり、息が荒い。
だがその瞳は、異常なほどの熱を帯びていた。
「こういうことに、スキルをつかうのはズルいって分かってる」
栞が、熱に浮かされたような声で呟いた。
「へ……?」
「キス……して」
思考が停止した。
「ちょ……は?」
「時間がない……。じらさないで」
切羽詰まった声だった。
冗談を言っている顔じゃない。
合理主義の彼女が、今の状況で最も『合理的』だと判断した答えがこれだというのか。
「いちゃつきやがってぇええええええ!」
煙の向こうで、村田の絶叫が轟いた。
「僕の前で! よりによって僕の目の前で! 許さない許さない許さない! 『絶望の暗黒球よ全てを無に還せブラック・ホール』!」
村田が、完全に理性を飛ばした早口で、大魔法の詠唱を完了させる。
巨大な闇の球体が、空間を歪ませながらオレたちに向かって放たれた。
オレは、覚悟を決めた。
(オレは……確かに栞が……好き……だし)
目を閉じ、栞の肩を引き寄せる。
ごつんと鼻がぶつかりそうになりながら、柔らかい唇が重なった。
埃の味がした。でも、それ以上に、栞の体温がダイレクトに伝わってきた。
栞が、熱を帯びた頬を真っ赤に染めながら、オレの背中に腕を回して抱きしめてきた……。
オレは、全身の筋肉が硬直するほどの緊張に襲われた。
抱きしめられる……
——だが。
彼女の手は、オレの背中を通り越し、そのままオレの『向こう側』、つまり村田の方角へと向けられていた。
バキンッ!!
栞の手のひらから、これまでとは桁違いの密度を持った巨大な魔力障壁が展開された。
村田の放った闇の球体がその盾に激突し、凄まじい反発力を生んで、明後日の方向へと弾き飛ばされた。
大聖堂の壁がドームごと吹き飛び、外の空気が一気に入ってくる。
生き残った。
弾かれた魔法の余波が収まる中、オレたちはゆっくりと唇を離した。
大聖堂の空気が、完全に凍りついていた。
玲が、剛が、舞が、蹴鞠が。そして、敵である女王ルシアや選帝侯の子たちまでが、口をポカンと開けてこちらを見ていた。
「今、キス……した?」
誰かの呟きが、響き渡った。
ざわめきが起きかけ、そしてすぐに、痛いほどの静寂が戻った。
栞は、オレから身を離すと、顔を真っ赤にしたまま、それでも無理やりいつもの涼しい表情を作ろうとして言った。
「アタシだって恥ずかしいんだから……早く、羊皮紙を確認してみて」
その言葉に、全員の思考が完全にストップした。
何が起きているのか、誰も理解できていない。
オレは言われるがまま、慌ててリュックをごそごそと漁り、クシャクシャになった羊皮紙を取り出した。
栞も同じように、自分のカバンから羊皮紙を取り出す。
そこに書かれた文字を見て、オレは目を疑った。
「オレ……レベルアップしてる? レベル5? え、なんで?」
「アタシも、たった今上がったわ。ソーサラーレベル5」
栞が、まだ頬を赤くしたまま、それでも完璧なドヤ顔で言った。
「キス……だと?」
玉座の前で、村田がワナワナと全身を震わせていた。
「キスで覚醒とか! 主人公みたいなことするなぁあああ!」
村田の眼鏡の奥で、瞳が完全に血走っていた。
左腕の魔力痕が、怒りに呼応してドクドクと紫色の光を放っている。
「完全にキレちまった。まじまんじ激おこぷんぷんカムチャッカファイヤー! き☆さ☆ま☆ら、本気で俺様を怒らせた! 間違えたで御座る! 貴様のミスは、この俺を怒らせたことだなぁぁあああ!」
痛い。痛すぎる。
限界オタクの語彙力が崩壊して、ネットスラングとキャラ作りがごちゃ混ぜになって吹きこぼれている。
「もう、めちゃくちゃね」
栞が、冷静すぎるツッコミを入れた。
それがさらに村田の逆鱗に触れた。
「ちょっと可愛いからって! 調子に乗るなよ、このブス! お前は僕の嫁になるんだからなぁ! どブス!」
「……ソーサラーって、最初から言っていた筈よ」
栞は、村田の暴言を完全にスルーして、すました顔で言った。
そして、その視線を玉座の横に立つ女王ルシアへと向けた。
「覚えてますよね、陛下」
女王ルシアの美しい顔が、「どういうこと?」とばかりに怪訝に歪んだ。
「え? どゆこと?」
オレが聞くと、栞は青い瞳を細めて説明した。
「海外のRPGだと、ソーサラーっていうのは『血統由来』の魔法使いを意味するのよ。異邦人のアタシのジョブが、血統魔法使い。変よね?」
オレはハッとした。
自動翻訳の伏線だ。
「待て……私は聞いていない……ぞ」
栞の言葉は、ルシアたち現地民には『ソーサラー・才能型魔法使い』としか翻訳されて聞こえていなかった。
若しくは、別の理由で違う意味に翻訳されたのかもしれないが。
兎に角、ルシアはそのジョブ名の『真の意味』に気づいていなかったのだ。
「異邦人と異世界人の関わりが、レベルアップに繋がる」
栞が、静かに、だが確信を持って言った。
「つまり、アタシの先祖はここの人間ってこと」
その言葉の意味を理解した瞬間、へたり込んでいた舞と蹴鞠が、同時に顔を上げた。
「……ということは、帰る方法があるということですわよね!」
蹴鞠が叫ぶ。
先祖がこの世界の人間で、血が繋がっている。
それなら、異邦人は完全に切り離された存在ではない。
行き来する方法が、あるいは帰還した過去の異邦人がいたという証明になる。
「やめろ!」
希望の光が見え始めたオレたちに向かって、村田が絶叫した。
「勝利BGMを流すなぁあ!」
「勝利BGMってなんだよ。お前の頭の中で鳴ってんのか」
オレが呆れて言い返すと、栞が横から小さく声をかけてきた。
「駆。あとずさり」
「……え?」
「障害物だらけじゃないのかって、思ってるんでしょ」
栞は、オレの懸念を完全に見透かしていた。
オレは実際にそう思っていた。
大聖堂の床には、洗脳されてひれ伏す女たちが溢れかえっている。
直進すれば、シオンたちを轢き殺してしまう。
【ひだりためみぎにゅうりょく】は、女たちがいるから使えない、と。
「レベル5のアナタなら、ちゃんと意識して届くわよね」
「え……そうなんだ」
「呆れた……。アタシを助けた時、駆は壁抜けしてたのよ?」
「ま?」
「……ま」
栞が、挑発するように微笑んだ。
「どうして、ドアから飛び出そうとしたの? 壁に穴が空いてなかったからでしょう?」
「あぁ……そんな気がする……」
オレは戸惑いながら答え、村田を正面に見据えた。
そのまま、一歩、後ろへ下がった。
すると、背後から萌え袖が回る。
「し、栞?」
「アタシも一緒に引く」
心臓とゼンマイが回る。
「そうだな。アイツ、負けフラグ立ちまくってるからな」
カチッ。
「メタ発言が現実になると思うな、でござる! このまま殺す! まっすぐ行って、ぶっとば——」
「おまいう、な」
オレは、村田の言葉を遮った。
そして、溜め込んだゼンマイの力を、一気に解放する。
「まっすぐいって、雄大だけをぶっとばすっ!!」
ドンッ!!
床が爆ぜた。
だが、オレは直進しなかった。
レベル5に至った『逃げるが吉』。その力は、単純な速度の向上だけではなかった。
オレの身体が、視界から消えた。
床に伏せる女たちも、瓦礫も、空間の距離そのものも飛び越える、完全なる『瞬間移動』。
気づいた時、オレは村田の目の前、文字通りのゼロ距離の空中にいた。
「なっ……!?」
村田が目を剥く。
あの早口詠唱をする暇もない。
「うおおおおおっ!」
そしてオレは、
超音速の慣性を全て乗せた強烈な膝蹴りを、村田の顔面に真正面から叩き込んだ。




