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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
最終章 逃げるが吉

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第122話 ラスボスはタナカマサル様

 帝都マグドミナは、完全に戦場と化していた。

 石造りの美しい街並みが、あちこちで黒煙を上げている。遠くで爆発音が鳴り響き、怒号と悲鳴が風に乗って運ばれてくる。

 オレたちは、瓦礫や崩れた壁を避けながら、戦禍の帝都を文字通り突き進んでいた。


「走れ! 止まるな!」


 玲が先頭で光刃を振るい、道を塞ぐ瓦礫を切り裂く。

 剛が盾を構えて後方を守り、オレは斜行ステップを使い、ややドリフトしながら、崩れ落ちてくる建物の破片を弾き飛ばした。

 目指すのは、選帝侯ハイリゲンクロイツ家——マリアの屋敷だ。

 この狂った事態を収拾するための鍵、異邦人の記録が記された『時祷書』がそこにある。


 オレの後ろでは、漆黒のゴスロリドレスを着た凜が、一人の男を背負って走っていた。

 選帝侯の子、執政官の子、ルカだ。

 彼は完全に放心状態だった。

 薄桃色の瞳は焦点を結ばず、口元は半開きになり、ただの人形のように凜の背中で揺れている。

 無理もない。少し前に、彼の父親であるマクシミリアン家の当主が死んだ。

 あの様子だと、母はもういないか、父と同じように……


 帝国の権力闘争か、それとも外からの攻撃か。

 その事実が、皇帝に最も近いとされた温和な青年から、心をすっかり奪い去ってしまったのだ。


「ルカ様、しっかり掴まっていてください!」


 凜が、背中のルカに叫ぶ。

 彼女はもう、完全に『ルカの騎士』になっていた。


 やがて、煙の向こうに、ひときわ豪華な、しかし周囲の戦闘の余波で門扉がひしゃげた大きな館が見えてきた。


 栞と一緒に戦った、マリアの屋敷だ。


「入るぞ!」


 玲が蹴破るようにして中へ飛び込む。

 屋敷の内部は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 使用人たちの姿はない。

 オレたちは警戒しながら、一階の奥にある書斎らしき大部屋へと足を踏み入れた。


 そこには——


 祭壇のような重厚な机の側に、主であるマリアが一人、悠然と腰掛けていた。


 外で帝都が燃えているというのに、彼女の豪奢なドレスには煤一つついていない。

 一切焦る様子もなく、優雅に扇を揺らしている。


 栞が、その不気味なほどの余裕を一度鋭く睨みつけた。

 すると、マリアは扇で口元を隠し、完璧な笑顔を作って言った。


「突然押しつけて、怖いですねぇ」


 本当に怖いと思っている人間の顔ではなかった。

 彼女が何をどこまで知っているのかは分からない。


「わたしぃ。それなりに黄金を積まなければ」

「悪い。そんな暇ないんだよ」


 今は構っている余裕はなかった。


 オレたちの視線は、マリアの傍ら——机の上に置かれた、分厚い革張りの本に釘付けになった。


「あったわ」


 栞が、震える手でその本を手に取った。マリアは止める素振りも見せない。

 時祷書。数百年、若しくはそれ以上にわたる、帰れなかった異邦人たちの記録。


「栞、読めるか?」

 オレが聞くと、栞は本を開き、青く揺れる瞳でページを睨みつけた。

『読み解くが吉』のスキルが発動し、彼女の周囲に幾つものホログラムウィンドウが展開される。

 だが。


「……駄目。読めない」


 栞が、苛立たしげに唇を噛んだ。


「読めないって、翻訳されない文字なのか?」

「そうじゃない。アタシのレベルが足りないのよ」


 栞がバンッと机を叩いた。


「アタシはまだレベル4。この本には、強力な情報プロテクト……いや、レベル5以上の『読み解く』力じゃないと意味を成さないように、記述自体が歪められているページが多すぎる。肝心な部分が、バグった文字列にしか見えない」

「ルカなら読めるんだろ?」


 オレは、凜の背中から降ろされ、壁際で虚ろな目をしているルカを見た。

 凜が首を振った。


「今は無理よ。呼びかけても反応がないもの……」


 解読が完全に暗礁に乗り上げた。

 焦りが部屋に充満し始めた、その時だった。


 ズガァァン!


 屋敷の玄関扉が、派手な音を立てて吹き飛んだ。

 オレたちは一斉に武器を構えた。

 土足で上がり込んできた複数の足音が、一直線にこの書斎へ向かってくる。


 姿を現したのは、ボロボロになった五人の男女だった。

 ヴァルラ、ヴコル、ユリウス、シグルド。そして、幸薄そうな顔をしたユノだ。


 ここにいるマリアとルカ以外の選帝侯の子たちだった。

 あの余裕たっぷりでオレたちを見下ろしていた連中が、息を切らし、服を焦がし、信じられないほど焦燥しきった顔で飛び込んできた。


 先頭にいたユリウスが、オレたちを見るなり、血走った目で叫んだ。


「異邦人! お前たちは、タナカマサルか!!」


 書斎が、一瞬だけ完全な無音になった。


「は?」


 オレの口から、間の抜けた声が漏れた。


「……いや、誰だよ!」

「異邦人! お前たちは、タナカマサルか!!」

「だから、田中まさるじゃねぇよっ!」


 オレがツッコミを入れると、後ろで剛が「いや誰だよマジで」と続き、舞が「日本一ありふれた名前じゃん!」と叫んだ。


 オレたちが、その名前を聞いたのは恐らく何度目かだった。

 だけど、頭に入っていなかった、タナカマサル。

 全くふざけた響きだが、ユリウスの顔は死ぬほど真剣だった。


 その後ろで、ユノが青白い顔をさらに青ざめさせてボヤくように言った。


「……拙は、こんな野蛮な異邦人たちに囲まれて不幸です」

「知らないとは言わせませんよぉ!」


 いつもはゆったりとしているヴァルラが、金切声を上げた。


「外で何が起きているか、分からないわけじゃないでしょう! 南領の野蛮人どもが、帝都を包囲しているんですよ!」


 シグルドが、槍を床に突き立てて吐き捨てるように言った。


「北からもだ。ランルフの軍勢と、フィニス王国の騎士団。女王ルシアと辺境伯が手を組みやがった。あいつら、外で神輿を担ぎ上げて、こう叫んでるんだよ。——『偉大なるタナカマサルの名のもとに、選帝侯の支配を打ち砕け』とな!」

「は……い? タナカマサル神輿……?」


 オレの脳裏に、誰かが映った。

 最悪の想像が閃いた。


「その神輿に乗ってるタナカマサルって……もしかして、黒いパーカー着て、眼鏡かけてないか? 左腕がボロボロの」

「ああ、そうだ! なんだ、知ってるんじゃねえか!」


 ユリウスが怒鳴った。

 オレと栞は、顔を見合わせた。


 村田雄大だ。

 あいつ、南領に流れ着いていた。 

 ランルフ辺境伯に『過去の偉大な異邦人・田中まさる』の再来として担ぎ上げられたのだ!


「あの馬鹿……!」


 玲が頭を抱えた。


「完全に政治のダシにされてるじゃないか!」

「とにかく、ここもすぐに包囲される」


 シグルドが切羽詰まった声で言った。


「親父たちはもう駄目だ。だが、俺たちにはこの国を支える義務がある。……ルカも、生きているな」


 シグルドが壁際のルカを見て、少しだけ安堵の息を吐いた。


「こうなったら、ドミナス教会へ行くしかない」


 ユリウスが、忌々しそうにオレたちを睨んだ。


「大聖堂に直接行く。お前たち、時祷書は持ったな?」

「読めないけどな」


 オレが本を小脇に抱えながら言うと、ユリウスは舌打ちをした。


「ルカを正気に戻すか、お前がレベル5になるかだ。今はとりあえず走れ! ここで死にたくなければ、俺たちに協力しろ!」


 帝国の特権階級だった彼らの、プライドをかなぐり捨てた提案だった。

 栞が、静かに頷いた。


「乗るわ。このままじゃ、アタシたちも村田の乱の巻き添えで死ぬもの」

「行くぞ!」


 玲が叫んだ。

 オレは時祷書をリュックに突っ込み、ルカを背負った凜の横についた。


 ◇


 マリアの屋敷を飛び出したオレたちは、帝都の石畳を全力で駆け抜けていた。


 目指すのは、帝城のさらに奥。

 切り立った小山の上にそびえ立つ、巨大で豪奢な宗教建築。

 その名も、『グロース・タナカ・マサル大聖堂』。

 何度聞いても頭痛がしてくるふざけたネーミングだが、今もツッコミを入れている余裕すらなかった。


「見なさい! 大聖堂の煙突から、白い煙が上がっていますわ!」


 走りながら、蹴鞠が扇で小山の上を指差した。

 彼女の言う通り、大聖堂の天辺からは、空を覆うほどの真っ白な煙がもうもうと立ち昇っていた。


「白い煙……コンクラーベかよ」


 オレは思わず舌打ちをした。

 コンクラーベ。

 元の世界で、新しい教皇が選出されたことを民衆に知らせるための合図だ。

 雄大の野郎、自分が新しいこの世界の『神』あるいは『王』になったとでも宣言するつもりか。


 その白い煙に呼応するように、帝都の様子が明らかにおかしくなっていた。

 大通りに出たオレたちは、目の前の光景に息を呑んで立ち止まった。


 人、人、人。

 帝都中の民衆が、まるで何かに操られるように、無言で大聖堂へと向かって歩き出していたのだ。

 商人、職人、貴族、下町の子供まで。年齢も身分もバラバラな群衆が、ただひたすらに一つの方向を目指している。


「邪魔だっ! どけ!」


 玲が光刃をチラつかせて威嚇するが、民衆は悲鳴すら上げない。

 ただ無機質に、波のようにオレたちを押し流そうとしてくる。

 オレたちは、その大河のような群衆の逆流を、無理やり掻き分けて突き進むしかなかった。


「おい、あれ……!」


 群衆をかき分けていた剛が、不意に声を震わせた。

 剛の視線の先。大聖堂へとフラフラと歩いていく波の中に、見慣れた顔があった。


「エヴァン!? それに、シオンにリーフまで!」


 オレは叫んで、手を伸ばした。

 間違いない。ずっと後方で待機させていたはずの彼らだ。

 だが、オレの声は全く届いていなかった。

 シオンの透き通るような瞳も、リーフの元気な目も、エヴァンの真面目な顔も。

 すべてが完全に焦点の合わない『虚ろな目』をして、ただ大聖堂へと歩みを引っ張られている。

 まるで、脳の奥底に甘い毒を流し込まれ、意志を完全に奪い去られてしまったかのように。


「シオン! リーフ! やめろ、どこに行くんだ!」


 オレが二人の肩を掴んで揺さぶっても、彼女たちはオレを障害物としか認識していないのか、無言でオレを押しのけて歩みを進めようとする。


「無駄だ、駆! 完全に意識を持っていかれてる!」


 玲が叫んだ。

 その時、群衆の波を割って、武装した集団がオレたちの前に立ち塞がった。

 全身を純白の法衣で包んだ、帝国教会の僧兵部隊だ。

 だが、彼らの目もまた一様に虚ろだった。


 そして、その僧兵の軍列の先頭に立っていたのは——


「フィオナ……!? セルノまで!」


 オレは絶句した。

 黄金の髪の修道女フィオナと、真面目な騎士セルノ。

 二人は、完全に感情を失った顔で武器を構え、オレたちに殺意を向けていた。


「要らない異邦人を……始末、する。マサル様のために」


 フィオナの口から、抑揚のない声が漏れる。


「クソッ、どいつもこいつも洗脳されやがって! ぶっ飛ばして目を覚まさせるしかねぇ!」


 剛が大盾を構え、玲が光刃の出力を上げた。

 栞も、指先に青いデータを走らせて戦闘態勢に入る。


「待て! やめろ!!」


 オレは、咄嗟に両手を広げて仲間たちの前に立ち塞がった。


「どけよ駆! やられるぞ!」

「手を出せるわけないだろ! あいつらは、オレたちの仲間だ! この世界で、ずっと一緒に生き抜いてきた家族なんだよ!」


 オレは必死に叫んだ。

 フィオナが、無慈悲にメイスを振り上げる。

 セルノの剣が迫る。

 抵抗しなければ死ぬ。

 だが、オレはあいつらを攻撃することなんて絶対にできない。


 ジリジリと後退するオレたちの横で。

 突然、舞が弾かれたように前へ飛び出した。


「舞!?」


 彼女の顔は蒼白だったが、その瞳には悲痛なまでの決意が宿っていた。


「……ウチのせいだ」


 舞が、震える声で呟く。


「雄くんがこんなにおかしくなっちゃったのは、ウチがちゃんと向き合ってこなかったから。ウチが、あいつの気持ちから逃げ続けてたからだ! だから……村田は、ウチが止めるっ!!」


 舞は、オレたちが止める間もなく、僧兵たちの隙間を縫って、単身で大聖堂へ続く石段へと駆け上がっていってしまった。


「バカ! 一人で行くな!」


 オレが後を追おうとした瞬間、虚ろな目をしたセルノと数十人の僧兵が、一斉にオレに飛びかかってきた。

 完全に退路が塞がれた。防ぐことも、攻撃することもできない。

 万事休すか——そう目を瞑りかけた、その時だった。


『清く守るが吉!』

『清く叩くが吉!』


 二つの凛とした声が重なり、閃光が弾けた。

 巨大な光の盾がオレの頭上に展開され、僧兵たちの攻撃をふわりと優しく弾き返す。

 それと同時に、白銀の衝撃波が地を這い、セルノやフィオナたちを『傷つけることなく』一斉に弾き飛ばし、その場に気絶させた。


「え……?」


 目を開けると、そこには見慣れた二つの背中があった。

 誠司と美咲だ。


「遅れてすまない、駆!」

「ここは私たちが引き受けます! あなたは舞ちゃんを追って!」


 二人は、背中合わせで構えながら、オレに向かって力強く頷いた。

 彼らのスキルは、相手を傷つけずに無力化し、守り抜くことに特化した力だ。

 今のこの最悪な状況において、これ以上頼もしい存在はない。


「でも、お前ら二人だけでこの数は……!」


 オレが言いかけた時、頭上から鼻で笑うような声が降ってきた。


「二人だけ? あたくしを忘れてもらっては困るわぁ」


 ドスンッ! と。

 小山を揺るがすような地響きと共に、


 巨大な一つ目の巨人——ヨトゥンが石段の横に降り立った。


 その肩に乗っていたのは、ユリウスを筆頭とする選帝侯の子たちだ。


「ユリウス! それに、マリアも、ヴァルラも!」

「ふん。勘違いするなよ、速水駆」


 ユリウスが、腕を組んだまま傲慢に顎をしゃくった。


「帝国法において、我々王族は『異邦人』に危害を加えることを禁じられている。そんな面倒くさい法律がある以上、大聖堂の中にいるタナカマサル……村田雄大とやらの相手は、俺たちにはできない」

「そういう教義ですからねぇ」


 ヴァルラが、物騒な巨大な斧を担ぎながらクスクスと笑う。


「だから、大聖堂の中はお前たちに任せますわ。その代わり——」


 マリアが、バサリと扇を広げて、群がる洗脳された民衆と僧兵の軍勢を睥睨した。


「この外の有象無象の足止めは、我々が引き受けましょう」

「おいらのグールたちで、傷つけずに壁を作ってやるよ!」


 ヴコルが指笛を鳴らすと、無数のアンデッドが地面から這い出し、群衆を押し留める肉の壁となった。

 ユノが無言で杖を振るい、空気の壁を作り出して僧兵の動きを封じていく。


 誠司と美咲、そして選帝侯の子たち。

 かつては反目し合った者たちが、今、このふざけた世界を終わらせるために、オレたちのために血路を切り開いてくれている。


「……恩に着る!」


 オレは、彼らに向かって短く、だが力の限り叫んだ。

 そして、玲、剛、栞、蹴鞠と共に、彼らが作ってくれた一本の道を一気に駆け上がる。


 舞が向かった、グロース・タナカ・マサル大聖堂の、あの巨大な扉へ。


 オレたちの最後の逃走劇の、幕を引くために。

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