第120話 皇帝の最期
そこは、異様なほど何もない空間だった。
石壁の部屋の中央に、巨大なベッドだけがポツンと置かれている。
ネクトールの体は限界だった。
呪われた血統と暴走する力に食い破られ、純白のシーツを汚すこともなく、静かすぎる息を吐き続けている。
治癒魔法もポーションも無意味だ。彼の肉体は、チート遺伝子の飽和に耐えきれず、崩壊しようとしていた。
栞は、ベッドの傍らに膝をついた。
濁った瞳には、激痛と狂気からの解放を乞う悲痛な色が浮かんでいた。
彼女は、ネクトールの額に冷たい手を置いた。
彼女のスキル『読み解くが吉』は、生命の律動を「読み解き」、その結び目を解く。
それは、一本の糸を断ち切るように命を消す安楽死の魔法だった。
「もう、頑張らなくていいわ。……おやすみなさい」
栞が魔力を流し込む。淡い青色の光が彼を包み、痙攣が収まった。
呼吸が静まり、命が穏やかに停止へと向かっていた。
その刹那、瞳に僅かに理性の色が戻った。
彼は額の栞の手を見つめ、僅かに口元を動かした。
声は出ない。
それでも、栞には彼の唇の動きが「読み解けて」しまった。
『あ・り・が・と・う』
自分を殺した相手への、解放への心からの感謝。
「っ……」
栞は息を呑み、泣きそうな顔を隠して顔を背けた。
胸の奥が締め付けられる。敵を倒した達成感などない。
重く冷たい悲しみが澱むだけだ。
「感謝されても、困……」
強がろうとした時だった。
——ドクン。
心臓が大きく跳ねた。
血液が沸騰したかのような圧倒的な熱量が、身体の奥底から込み上げてきた。
「え……?」
視界が白く染まる。脳内に情報が流れ込む感覚。
次元の隙間、魔法の構成、そして狂った世界の「祈り」と「絶望」の歴史が、パズルのように繋がっていく。
温かくて重い「何か」。
熱が引き、視界が戻る。
栞は震える両手を見つめ、事切れたネクトールの安らかな顔を見下ろした。
「これ……やっぱり……」
栞は震える声で呟いた。
何もないこの部屋の中で、彼女は一つの答えを見つけ出していた。
——ずっと抱えていた疑問の答えが、見つかった。




