第117話 クー・フーリンマジックの戦い。駆
マリアの屋敷を後にして、オレたちは北へ向かっていた。
目指すのは、最初にシグルドが尖塔の上で彫刻のフリをして待ち構えていた、あの強そうな砦がある領域だ。
帝都の北側は、中央とは空気が違う。
ゴシックな街並みが途切れ、森と山がそのままの形で残されている。
冷たく澄んだ空気が、オレたちの火照った頭を少しだけ冷やしてくれた。
石畳の道を歩きながら、隣を歩いていた栞が、ふとオレの袖を引いた。
「ねぇ、駆」
「あ……。怖いとか言ってな」
栞は少しだけ目を伏せ、何かを探すように青い瞳を揺らした。
「あの……さっきは」
珍しく言い淀んでいる。
マリアの屋敷での一件か、それともこれまでのことか。
栞がオレに、こんな風に言葉を探しながら話しかけてくるのは、オレの中では初めてだった。
オレが続きを待とうとした、
——まさにその時だった。
「これで、ウチ、玲、剛、蹴鞠、栞……」
前を歩いていた舞が、指を折りながら大きな声で数え始めた。
「五人ですわね」
蹴鞠が扇をパチンと鳴らして同意する。
「日向がルカのところに向かったか」
玲が、腕を組みながら前方を見据えて言った。
「なら、人数は丁度だな」
剛が、分厚い胸板を叩いて満足げに頷いた。
六人の選帝侯に対して、六人の勇者。
綺麗に割り当てられたというわけだ。
栞が、小さく口を開いた。
「……あ、駆」
その呟きを拾うように、舞がポンッと手を叩いて振り返った。
「あ、そっか! 駆がまだだね!」
底抜けに明るい声だった。悪気は一切ない。
オレは、限界まで見開いた目で舞たちを指差した。
「いや! オレ、毎回戦ってない?!」
「え?」
「ヴコルの時はサバイバーゲームの囮やって、ヴァルラの時はタワーディフェンスの囮やって、ユノの時は……、そんな戦ってないか。でも、ユリウスの時は重力引き受けて、マリアの時は栞を背中に乗せて……ただけだど!」
「あー、サポートお疲れ!」
舞がギャル特有の軽いノリでサムズアップした。
剛と玲も「確かに助かったぞ」と爽やかに笑っている。
こいつらは、オレの命懸けの【ひだりためみぎにゅうりょく】を、便利なサポートスキルくらいにしか思ってないらしい。
オレはガックリと肩を落とした。
横を見ると、栞が完全に話しかけるタイミングを失って、静かに前を向き直っていた。
耳の先が、不自然なほど真っ赤になっていた。
◇
場所は、シグルドからあらかじめ指定されていた。
あの強そうな砦のすぐ近く。帝都の北に広がる、森と山が残された静謐な空間。
そこは、信じられないほど巨大な大聖堂が見える、開けた広場だった。
二本の巨塔が、空を突くようにそびえ立っている。
「ドミナス大聖堂のようね」
栞が、ホログラムの地図を参照しながら静かに言った。
「始まりの場所を意味する、大聖堂」
広場の中央で、シグルドが待っていた。
銀色の髪を風に揺らし、家宝である身の丈以上の長槍を手にしている。
データではヴァルラに弟扱いされて、その度キレる。
あぁ、なんか。想像できる。
そして、その後ろにもう一人。
ブリュンヒルデが立っていた。シグルドの母親だ。
銀白の長髪を風に揺らし、豪華なドレスを着たまま、動かなかった。
ただ見守るだけだった。
だが、彼女の持つ絶対的な冷たさは、あのマリアの母親であるアグネスとは全く違う異質さを放っていた。
栞たちが、広場の端に一列に並んだ。全員がオレたちを見ていた。
シグルドはオレの前に立った。
「一対一だ」
「いやだ」
「他は、絶対に手を出すな」
「だから、いやだ」
シグルドが、スッと長槍を構えた。
オレは、走った。
斜めに逃げた。
シグルドが、無音で距離を詰め、槍を突いた。
「戦え!」
「嫌だ!」
オレは躱した。
右に切り返した。
シグルドが槍を引き、流れるような動作で再び突いた。
「何故戦わない!」
「オレ! 逃げタンク!」
オレは躱した。左に曲がった。
シグルドが、ピッタリとついてきた。
流石に速かった。
普通の速さじゃなかった。
選帝侯としての苛烈な血統が研ぎ澄ませた槍兵。
でも、オレの『斜め走り』の方が僅かに速かった。
レベル4の逃走補正が乗った不規則なステップに、槍の穂先が空を切る。
追って来る限り、当たらない。
「あくまで逃げるか」
シグルドが、ピタリと動きを止めた。
「一対一じゃなきゃ、戦うけど!」
息を整えているのかと思った。
いや、違った。考えていたのだ。
オレの変則的な動きの法則を、その目でじっと観察し、見極めようとしていた。
「確かに逃げ足は……速いか」
シグルドが、感情を抑えた声で言った。
「そりゃ、逃げることだけは得意だからな」
「だが」
シグルドが、槍を構え直した。
今度は、さっきとは明らかに違う構えだった。より低く、より広く。
オレは逃げようとした。
その時——
「駆。ずっと斜め走り、斜め走りって言ってるけど」
「ちょ。今、逃げるとこ!」
青い髪の少女が、オレの前をよぎった。
そう言えば、ずっと何かを言いたげにしていた……ような?
「いいから、教えて。斜め走りって」
「オレの羊皮紙にそう書いてんだよっ! 斜め走りって」
オレの中では、内輪差を活かしたトリッキーな走り方。
でも、本当に?こんなに引っ張って?
「……それ。アナタがひだりためみぎにゅうりょくって言ってる走り方のことじゃない?」
オレは目玉をひん剥いた。
「それは後退士のこと…じゃ」
奥に槍を構える男。手前に髪を掻き分ける青髪の女。
萌え袖がふいっとオレに刺さる。
「ほら。あのおもちゃって、手を離すと前輪が浮くでしょ」
「たし……かに……?」
だからって、何も分からないけれども
そう。常に逃げ速度とセットで表示されていたのは、斜め走り。
栞はまるでオレの心を見透かしたように、こう言った。
「そのスキルに自信を持って」
「二対一なら戦う。お前はそう言ったな! 今度こそ!」
ついに、シグルドが槍を下ろした。
目の色が、完全に変わっていた。
まずい、とオレの生存本能が警鐘を鳴らした。
「……『必中の槍』だ」
シグルドが言った。地を這うような、低い声だった。
「これは、外れたことがない」
その瞬間。
広場の端から、栞の切羽詰まった声が飛んできた。
「駆! 信じて、あとずさりして!!」
オレは、考えるより先に身体を動かした。
シグルドを真っ直ぐに見据えたまま、後ろへ、強く下がった。
カチカチカチカチカチ……
同時に、シグルドが、槍を放った。
オレは、前へ踏み出した。
必殺の槍が、一直線にオレの胸を貫きにきた。
だが、オレはそこにいなかった。
空間が、静止した。
シグルドが、槍を振り抜いた姿勢のまま完全に固まっていた。
「何故……」
絞り出すような、低い声だった。
「当たらない」
広場が、水を打ったように静まり返った。
栞が、静かな足取りで一歩前に出て、口を開いた。
口角を上げ、自信満々に彼女は言った。
「『逃げるが吉』だからよ」
オレのスキルの名を。
「だから当たらない。速度の話じゃないわ。そもそも、スキルってそういうものでしょ?」
オレは、目を丸くした。
「スキルはそういう……? 全然、分からないんだけど」
「黙ってて」
栞はオレを冷たく無視して、真っ直ぐにシグルドたちを見据えた。
その時。
背後で、ブリュンヒルデが動いた。
ずっと見守るだけだった彼女が、初めて一歩前に出たのだ。
「わたくし様は、そんな力を聞いたことが……」
彼女は、狼狽えていた。
あの完璧で冷酷な『わたくし様』が、明らかに狼狽えていた。
「ありませんわね。必中の槍が、躱されるなど」
栞は勝ち誇った顔で、ブリュンヒルデを冷徹な目で見返した。
「スキルではない……から。それは『装備』だから、では?」
栞の声は、残酷なほど静かだった。
玲が戸惑いながら聞いた。
「俺たちにも分かりやすく言ってくれないか」
「簡単な事よ。金獅子と同じ。必中の槍は、選帝侯の血統によるスキルではない。過去の異邦人が作った強力な『装備』ね」
広場が、完全な静寂に包まれた。
シグルドは、手にした槍を見た。
ずっと使ってきた槍だった。
ヴィンターハルト家に伝わる家宝だった。
自分たち選帝侯の血統にしか扱えない、絶対の力だと思い込んでいた槍だった。
するとブリュンヒルデが、動いた。
彼女はシグルドを見るのではなく、横を通り抜けたオレを、真っ直ぐに見た。
「駆さん」
ゆっくりとした、甘く、恐ろしい声だった。
「わたくし様の子供になりなさい」
シグルドが、弾かれたように顔を上げた。
「は」
シグルドが、信じられないものを見る目で母親を見つめた。
「母上……?」
「必中の槍」
だがブリュンヒルデは続けた。
その感情が乗っていない声。
ただただ冷酷に、事実と価値だけを並べる声だった。
「当たらなければ、そんなものに、何の意味がありませんもの」
シグルドが、絶句して黙った。
「その言葉の価値が失われました」
ブリュンヒルデが、我が子をゴミでも見るように一瞥して言った。
「たった今。アナタの槍のせいで」
一拍、置いた。
「キーワードでしたわね。早くお渡しなさいな」
シグルドは、長い、長い間、黙っていた。
手にした槍を見ていた。
自分を切り捨てた母親を見ていた。
そして、全てをぶち壊したオレを睨みつけた。
それから。
ポツリと、キーワードを吐いた。
その声は、ひどく掠れていて、泣いているようにも聞こえた。
これで、六個目が揃った。
でも、つい言葉が出た。
理不尽に切り捨てられたシグルドに。狂っているブリュンヒルデに。
「お前ら……何言ってんだよ。親子なんだろ?」
喉から絞り出した。
だが、その時——だった。
「ってか、オレは、オレには……親が」
オレの頭に雄大の顔が浮かんだ。
一緒にアニメを見て、笑い合った親友の顔。
それから。
自分の家族の顔を、思い出そうとした。
——出てこなかった。
父親の顔。母親の顔。
思い出そうとしたのに、輪郭が霞んで見えなかった。
オレは、血の気が引いていくのを感じながら、黙り込んだ。
レベルアップ……したら……本当に思い出せなく……なるかも
広場に、冷たい風が吹いた。
ザッ、と。
背後から、静かな足音が聞こえた。
「ルカ?」
誰かが言った。
そして、その少し後ろに。
ゴシックロリータドレスを着た凜が、静かに付き従うように立っていた。
「……日向は」
オレは、ルカを睨みつけて言った。
ルカが、静かに、柔和な笑みを崩さずに答えた。
「それはまた、後で話します」
凜と、目が合った。
彼女の漆黒の瞳は、オレたちをかつての仲間としてではなく、ルカの前に立ち塞がる『試練』として見据えていた。
そのルカが、ゆっくりと口を開いた。
「キーワードが揃ったみたいですね」
どこまでも穏やかな声だった。
「さあ、案内します。皇帝陛下の御前へ」




