第115話 グラビティエリアの戦い。蹴鞠
次なる目的地を目指し、オレたちは帝都の街を歩いていた。
先を歩く蹴鞠の足取りは、いつになく怒りに満ちていた。
パニエで膨らんだ優雅なスカートの裾が、苛立ちを隠すようにバッサバッサと揺れている。
「……あの男だけは」
蹴鞠が、扇を握りしめてギリッと歯を鳴らした。
「エインハラでわたくしに土下座を強要したあの男だけは、わたくしの手で沈めますわ」
「お前、ユリウスとは相性最悪って言ってただろ」
「相性など、気合と誇りでひっくり返してご覧に入れますわ」
舞の『お洒落は気合』理論が、ここにも伝染している。
だが、オレたちが辿り着いた屋敷を前にして、その気合も一瞬削がれそうになった。
「なんだこれ……」
貴族の館というより、巨大な金庫か、あるいは要塞のトーチカだった。
窓一つない。装飾もない。
ただただ、分厚く黒光りする金属のブロックが、街の区画を丸ごと一つ占拠してどっかりと鎮座している。
全てが金属製で構成された、異様すぎる建築物。
「重力血統ってなんだよ……」
オレは呆れ半分、恐怖半分で呟きながら、重々しい金属の扉を押し開けて中へと入った。
◇
ユリウスの屋敷のバトルフィールドは、特別だった。
分厚い金属の床だ。しかも、ただの鉄板じゃない。
歩くたびに、靴底から奇妙な反発と吸収の感触が伝わってくる。
衝撃吸収ポリマーと、リアクティブアーマーの性質をも併せ持つ、過去の異邦人が作ったという特注の床。
重力に耐えるための床。
ここで重力を使うことが大前提の、彼らにとっての絶対のホームグラウンドだった。
「また来たか」
広い地下空間の奥から、男が歩み出てきた。
当然、ユリウスだ。
銀色の髪に俺様な顔。
エインハラの闘技場で、そしてベラードの別邸で、蹴鞠にその力で土下座をさせた男。
傲慢にふんぞり返った顔をしていた。
そしてやはり、その隣にもう一人立っていた。
「父親の、ルドルフよ」
ユリウスと同じ銀色の髪だが、その目はひどく静かで理知的だった。
息子よりもずっと洗練されていて、静かに「私」と言いそうな、学者のような雰囲気を纏っている。
「であれば、息子よ」
ルドルフが、静かな声で言った。
「今度は、確実に仕留めろ」
「言われなくても。あの時の屈辱、ここで万倍にして返してやる」
蹴鞠が、オレの隣で扇をひらりと開いた。
「駆さん」
「分かってる」
「よろしくてよ」
ユリウスが、冷酷な笑みを浮かべて手を上げた。
——重力が、来た。
ズンッ、と。
見えない巨大なハンマーで上から殴りつけられたような衝撃だった。
オレは思わず両手をついて這いつくばりそうになった。
内臓が下に引っ張られ、血液が足に溜まるのが分かる。
蹴鞠が、跳ぼうとした。
フリルとパニエで膨らんだスカートの裾が展開した。
彼女のスカートは、それ自体が殺傷性の高い武器だ。
だが。
「くっ……!」
蹴鞠は、数センチしか浮き上がれず、そのまま金属の床に膝をついた。
重力下では跳べない。
純粋な質量の塊となったドレスが、彼女自身の身体を強烈に床へと押さえつける。
それが、ユリウスとの最悪の相性だった。
「ふははははっ! 無様だな。エインハラでの威勢はどうした?」
ユリウスが、余裕の笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
重圧のせいで、呼吸すら苦しい。
まぁ、今回は。まぁ。
オレは『溜め』を作る。
床に手をついたまま後ろへじりじりと下がる。
カチッ……。
重い。一つゼンマイを巻くのにも、普段の何倍も体力を削られる。
「ほう」
その時、ルドルフの静かな目が、オレの動きに釘付けになった。
「なんだ、今の動きは」
「父上?」
「ベクトルがおかしい。私の敷いた重力場の中で、なぜあの少年だけが『後退』という、ただの動作によってエネルギーを内包できる?」
ルドルフが、顎に手を当ててオレを観察し始めた。
「待て。あのパーカーの異邦人、未知の力学だ。少し圧を変えてみよう」
「は? 父上、何をしている! 俺の獲物だぞ!」
イルマ曰く、オレの逃げるが吉は聞いたことがない。
高齢で、かつエレインのシスターがそう言うなら、この親子も知らない。
オレの中では、ただの画面端。
重力血統に、この溜めダッシュは相性がとても良い。
「ひだりため……みぎ、にゅうりょく」
その瞬間、飛び出す。
重力スポットを外れる。
だが、今回は甘くなかった。
「く……」
「俺の獲物だ。絶対に次は」
ユリウスが苛立った声を上げた。
「やば……。範囲が二つあんのかよ」
「いや。違う。俺のだ」
「黙れ息子よ。……もし横から三倍の重力をかけたら、あの『溜め』のベクトルはどう変化する?」
いや、何やってんだ……?
ギギギ、とオレにかかる重力の方向が不規則に歪んだ。
二つの重力スポットだ。
オレの進行方向に並べられたら、流石に止まる。
だのに、また一点に集められる。
オレの動作を検証するため、ルドルフが次々と重力場に干渉し始めたのだ。
その結果。
「ちぃっ、父上の重力干渉のせいで、俺の場の制御がブレる!」
ユリウスの集中力が、明確に切れた。
蹴鞠が、その隙を見逃すはずがなかった。
「駆さん!」
「分かってるよ!」
オレは一気に溜めた。
カチッカチッカチッ!
ユリウスを正面に見たまま。
そして、床に向かって思い切り踏み出した。
ドガァン! と特注の鉄板が砕けた。
衝撃吸収ポリマーごと引き裂かれた金属の破片が、宙に飛んだ。
重力場では跳べないなら、空中に『足場』があればいい。
蹴鞠が、その破片を足場にして跳んだ。
「また飛ぶ気か!」
ユリウスが怒鳴った。慌てて重力を上へ向けた。
「同じ手は通じん!」
蹴鞠が、空中で一気に落ちてきた。
ユリウスの重力に引かれ、スカートが何トンもの鉛のように重くなる。
「変わりますわ!」
蹴鞠が、真っ逆さまに落ちながら叫んだ。
「物理は苦手ですが!」
「遠くから」
すると後方から、栞の冷静な声が響いた。
「万有引力は、距離の2乗に反比例する……よ」
「それ! そうですのよ!」
オレは、落ちてくる蹴鞠の軌道に合わせて、次の鉄板を全力で砕く。
蹴鞠がその破片に着地して、また跳んだ。
今度は、さっきよりもはるかに高い位置へ。
「距離が2倍なら、重力は4分の1」
栞の声がまた後ろから。
空中の座標を計算しながら、淡々と続けた。
「跳べば跳ぶほど、軽くなる」
「小賢しい!」
ユリウスの顔が、怒りで醜く歪んだ。
「ありがとうございますわ」
蹴鞠が、空中で優雅に言い放った。
ルドルフが、ハッと我に返って動いた。
「二人がかりにするぞ」
落ち着いた静かな声。
だが如実に、明確に、焦りが混じっていた。
「上空の女を、引きずり下ろしてやる」
天を舞うドレス。銀の髪も相まって、天女のような貴婦人。
ユリウスとルドルフ、両方の強烈な重力場が放たれる。
彼女に重力が、二方向から向けられた。
「させねぇよ!」
オレは飛び込んだ。
二人の術者と、蹴鞠の間の射線に、強引に割り込んだ。
「…てか。隙だらけだぞ」
嫌でも目に入る動き。
逃げタンクとしての役割。
いや、チーム・ドラグノフの一員として、——オレが標的になった。
「なっ」
上を向いている方が悪い。
そして、ユリウスが驚愕した。
「邪魔を——」
すると、オレの異常な挙動に執着していたルドルフ。
そして息子のユリウスが、反射的に強力な重力のベクトルを、オレに向ける。
蹴鞠ではなく。
「作戦通りですわ」
その瞬間、空中の蹴鞠の扇が動いた。
重力の流れのズレを、彼女は完璧に捉えた。
自らのスカートの衝撃波で、空中の位置を無理やり変えた。
今までで一番高かった。
広大な空間の、空に届きそうなほどの跳躍だった。
あれも間違いなく、レベル5。
何かが変わった、レベル5、最初の技は——
「いつもより2倍飛びますの!」
蹴鞠が空から叫んだ。
「いつもより3倍回転しますの! そして二本のヒールを使いますの!」
「つまり」
オレは叫んだ。
「1200万パワー……ってことか!」
「くらいやがりませ!!」
——アイアン・ヒール・ドライバーと名付けたい。
超質量の鞭と化したスカートの遠心力
重力加速を全て味方につけた、必殺の降下。
ユリウスの脳天に、蹴鞠の二本の鋭いヒールが、完璧な角度で突き刺さった。
ズッッッッガァァァァン!!!
地面全体が、地震のように激しく揺れた。
そして、宿敵の相手ユリウスが、白目を剥いて沈んだ。
特注の頑丈な鉄板に膝をつき、そのまま前のめりに倒れ伏した。
蹴鞠は重力を無視した動きで、オレの隣に着地した。
「ネットミーム、古すぎ!」
「兄の趣味ですわ。 因みにそんなことしても超人パワーは変わりません事よ」
蹴鞠が、扇で口元を隠してふふっと笑った。完全に悪びれていなかった。
その横で、父親のルドルフが完全に固まっていた。
静かだった目が、初めて激しく動揺して泳いでいた。
「わ、わたしも……踏みつけられた……い」
一瞬、ポツリとそんな幻聴のような呟きが漏れた気がした。
息子の屈辱を、どこか羨ましく思っていたのだろうか。
帝国の闇は深い。
だが、ルドルフはすぐに咳払いをして表情を戻した。
「……失礼。見事だ」
床に沈んだユリウスが、ピクピクと痙攣しながらも、かすれた声でキーワードを吐いた。
底抜けに悔しそうだった。
でも、この敗北だけは確かな実力として認めていた。
ルドルフが、目を閉じた。
「次は是非とも、わたしの方を踏みつけてください。息子もこう言っています」
これで、四個目が揃った。




