第114話 インドラテンペストの戦い。舞
ヴァルラの屋敷を後にした。
オレたちは、次の屋敷に向かう前に、全員で足を止めて地図を確認した。
ウィィン、と微かな駆動音を立てて、栞が空中にホログラムのディスプレイを展開した。
薄暗い帝都の地図が空中に青く浮かび上がり、残りの選帝侯の屋敷の所在地が光の点で示されている。
「順番的に、次はマクシミリアン家か」
オレは、中央領の中心で光るその点を指差した。
ルカ・フォン・マクシミリアンの親が持つ屋敷。
皇帝に最も近いとされる、執政官の城。
ヴィンターハルト家の狂った花畑に比べると、敷地面積そのものは拍子抜けするほど狭かった。
「ルカは、アタシと同じスキルを持っている」
「栞と同じか……」
「だが、栞と同様の戦略を持っているというわけではないのだろう?」
レベル5となった、チーム・ドラグノフの二人。
流石に顔から余裕がかおる。
「……アタシの読みだと。こういうことね」
敷地は狭いが、ここ二十年で、帝国の富という富が異常なほど集まり続けている。
建物の外観や意匠そのものは、やけに地味で控えめに作られている。
しかし、実際に近づいて見れば、素材が違う。
大理石、木材、細かな装飾の素材の一つ一つが、目が眩むほど煌びやかな最高級品にすり替わっているらしい。
「アタシたちの世界で言う、『いとも豪華なる時祷書』。それが関与してるのは間違いない」
「それは一体」
すると、九条蹴鞠が割って入った。
「フランス史。 余りにも豪華すぎて、ベリー公が資産だけではなく、あらゆるものを失ったとされる。なら、おかしいですわね」
「アタシもまだ分からない。スキルに関することとしか、ね」
栞はそう言って、目を伏せた。
でも、帝国がスキルに固執していることは明らかだった。
スキルの序列。爵位や収入にも関係している。
「アレを見れば、確かにそうとしか思えませんわね」
狭い敷地の中に常駐している精鋭の兵士。
仕える侍女の数が、他の選帝侯の屋敷とは桁違いに多い。
堂々と構えていない。
文字通り『金に物を言わせた高密度の要塞』
どう攻略するのかと、オレが口を開きかけた時だった。
「私が行く」
凛とした、日向の声だった。
全員が、弾かれたように日向を見た。
日向は、空中の地図を見ていなかった。
マクシミリアン家の屋敷がある方角を、ただ真っ直ぐに見据えていた。
「だった、ウチも……」
「ダメ」
いつもは怯えたように震えている彼女が、静かで落ち着いていた。
鳶色の瞳孔の奥で、ヒーラーの証である『光る十字の紋様』が、静かな決意を帯びて微かに瞬いていた。
「ごめんね。……ここは、私一人で行かせて」
「でも……」
「凛がいる。だから」
誰も、何も言えなかった。
あそこには、凜がいる。
あの時の凜の顔が、オレの頭の中に鮮明に浮かんだ。
「私は帰らない」と告げた時の顔。
ルカの傍にいることを選んだ、あの迷いのない目。
「でも」
「私は大丈夫だから」
日向はまだ、凜が帝国に囚われて苦しんでいると思っているのかもしれない。
助け出さなきゃいけないと、必死に勇気を振り絞っているのだ。
真実を伝えるべき、と思った。
だが、彼女は。柊日向は俯きがちに言った。
「騎士団長の言葉。……黒瀬凜が裏切った。あれは私のせい」
水瀬舞が止まった。
止めようとしていた手を引っ込めた。
「嘘……でしょ?」
「私のせいで、裏切り者になったの。だから、私が行かなきゃいけないの」
ふわりとしたスカートが揺れる。
肌面積、完全に正反対のコスプレイヤーと、推し活女子。
まるで他人のようにすれ違った。
「……分かった」
舞は静かに頷いて言った。
私のせいを繰り返すだけ。
何が「せい」かは分からなくても、あの日の疑問は解消されたのだ。
柊日向が情報を漏らしたから、騎士団長は黒瀬凜が裏切ったと公衆の面前で話すこととなった。
玲が、無言のまま日向の小さな背中を見ていた。
剛も、心配そうにそれを見ていた。
栞は何も言わず、空中のディスプレイをパチンと閉じた。
蹴鞠は扇を持ったまま、前を向いて静止していた。
重苦しい空気を破るように、舞が口を開いた。
「ウチにはよく分からない」
明るい声だった。
わざとらしいくらいに快活な、いつもの舞の声だった。
「もしかしたらさ、凜ちゃんにも、ウチらに謝りたいこととかあるかもだし」
日向の背中が、帝都の重厚な街並みの中に溶け込む。
だんだんと、小さくなっていった。
「スキルは重宝される。簡単には殺されないでしょう。アタシたちは次に行くわよ」
栞が、感情を完全に排した声で言った。
◇
ユノの屋敷は、南領出身の貴族。
とても、開けた場所にあった。
帝都マグドミナの中央領にあって、そこだけが別の国のように見えた。
広い庭というより、果てしなく続く野原だった。
ここだけ、空が広かった。
だが、その空には不自然なほど分厚く暗い雲が何層にも重なり合い、渦を巻いていた。
「ウチが行くでいいよね」
「好きにしていいわよ。後は」
「決まっておりますしね」
舞がさっきのモヤモヤを晴らすように言い放つと、女二人もどうぞと道を譲った。
男たちは、レベル5になったのだから、勿論彼女に譲る。
「……えっと」
南側に近い筈。なのに、風が冷たかった。
肌を刺すような冷たい突風が、野原の草を波のように揺らしている。
オレはとっても、嫌な予感がした。
直感的に、ここは『ヤバい場所』だと肌が粟立った。
遥か遠くから、白いモヤモヤが迫っていた。
野原の中央に、ユノが立っている。
色素の抜け落ちた白い髪、薄い虹彩。
アルビノのような儚い外見だった。
その細い肩は強風に煽られ、今にも折れてしまいそうなほど痛々しい。
ひどく、幸薄な顔をしていて、ヴコルの時とは違う恐ろしさを感じる。
「やっぱりもう一人いるし」
「駆。うるさいって」
隣にもう一人、大人の女性が立っていた。
栞からの情報によると、彼女の名前はセラフィナ。
ユノと同じ真っ白な髪、同じ薄い虹彩。
二人が並ぶと、言葉を交わすまでもなく母娘だと一目で分かった。
ただ、母親のセラフィナの方は、娘の儚さとは対照的に、酷薄なまでの威厳と冷酷さを纏っていた。
「……来ましたね」
ユノが、吹き荒れる風に消え入りそうな、幸薄い声で言った。
「拙が相手をしてやろう」
セラフィナが、傲慢な響きを持った声で言い放つ。
明らかな毒舌の気配が、その冷たい声に滲んでいた。
「異邦人の踊り子とやら。拙の雷に焼かれて、無様に消えるがよい」
ゴロゴロと、上空の分厚い雲が不気味な産声を上げた。
舞が、オレの隣でゆっくりと首を回した。
コキッ、コキッ、と無骨な音が鳴った。
ギャルらしからぬ、格闘家のようなウォーミングアップだ。
「じゃあ、駆」
「何? なんで、ジャパニーズホラー的なのが二人もいるんだよ」
「ここは、ウチに任せて」
娘の方は顔見せに参加していた。
その時に公表されたのか、フィニス軍の情報か。
栞から出現しているディスプレイには、インドラテンペストという物騒な文字が流れている。
マテルナーレ家の血統スキルは、吹雪と雷という天候操作系。
「神かよっ! 流石に相手が悪いって」
オレは慌てて止めた。
舞の露出度の高い衣装は、いくら魔力回路のインターフェースとはいえ、相性が悪すぎる。
せめて、SFであれば。せめて、栞のようにロングセーターならば。
せめて、ヴェルサイユ宮殿が似合いそうなドレスであれば。
この寒空の下では、見ているだけで凍えそうだった。
「それ、絶対寒いだろ。吹雪だぞ! 雷だぞ!」
すると舞が、ジト目でオレを見た。
「駆、ぜーんぜん分かってない」
「何がだよ。 古今東西、学生から会社員まで、氷河期は生きてないんだよっ! せめて、カンブリア紀、三畳紀、ジュラ紀それから」
「これだから陰キャは」
褐色肌。キラキラしたマスカラ。
そして、揺れる胸元。目のやり場がないが。
「陰キャで悪かったな。 でも、関係ないだろっ!」
「マジぃ? お洒落は、気合じゃん!」
「は……?」
オレは言葉を失った。
意味が分からない。
「ウチだって、勇者じゃん!」
舞が、ステップを踏んで踊り始めた。
肌面積しかない衣装が、帝都の冷たい暴風の中で激しく揺れる。
その瞬間、彼女の腹部や太ももに刻まれた幾何学的な『魔力痕』が輝く。
「その程度……か」
すると、セラフィナが、白く細い手を天に掲げた。
ピシャァァン!!
鼓膜を破るような轟音と共に、空から極太の雷が一直線に落ちた。
だが、舞は躱した。
ステップを止めず、踊りの優雅な動きの中に回避を組み込んで、雷撃を紙一重ですり抜ける。
「拙の雷が、なぜ当たらぬ」
「今のは運だよ。ってことで、駆っ!」
セラフィナの薄い眉が微かに顰められた。
オレは、たまらず走り出した。
「そうだった。えっとさだこの二人。こっちだ!」
オレが叫んでヘイトを買うと、次の雷がオレを狙って落ちてきた。
既にゼンマイは巻いていたから、飛び出す。
「あっぶな!」
ズッドンッッ!
さっきまでいた場所の石畳が、はじけた。
高熱で真っ黒に焦げ、ドロドロに溶けていた。
「ちょ、ま! えっと、五分! ヴァルラは」
「拙と比べないで下さい。ヴァルラも、そこの女もクソビ——」
ヒュゥゥゥッ、と風の音が変わる。
間髪入れず、今度はユノが弱々しく手を上げた。
視界を真っ白に染める猛烈な吹雪が襲いかかってきた。
「寒い寒い寒い! っていうか、なんか不味いこと、言ってなかった?」
オレはパーカーのフードを被りながら絶叫した。
「……お母様」
ユノが、目を細めて幸薄そうに呟いた。
「あの踊り子さんの踊り、目が痛いです」
「拙も同感だ」
セラフィナが、忌々しげに顔を歪めた。
「なんだあの落ち着きのない動きは。金色の魔力が無駄に光って、目がちかちかする」
「え、それ褒め言葉? ありがとー!」
舞がさらに眩く発光させながら、にこにこと笑って踊り続けた。
煽りスキルが高い。ギャルのメンタルは強靭だ。
「このクソビ——」
「舞ッ! オレが囮役だろっ! 煽ってどうする!」
「煽ってないし」
彼女の動きは全然止まらなかった。
すると、雷が落ちる。だが、舞が華麗なターンで躱す。
今度は、吹雪が吹き荒れる。舞が熱を帯びたステップで踊り抜ける。
オレが走り回ってヘイトを引き付ける……
そんな作戦、だった。
「小賢しい。拙の雷をこれほど躱すとは」
冷たい声に、殺意と毒舌の気配がさらに増した。
「本気を出そうか、虫ケラども」
空が、完全に暗転した。
昼間だというのに、まるで深夜のように暗い。本気の嵐だった。
上空を覆う雷雲が数倍に膨れ上がり、猛烈な吹雪が野原の全てを白く塗り潰そうと荒れ狂う。
風が、獣のように轟々と唸りを上げた。
オレは暴風に逆らい、必死に走りながら叫んだ。
「舞! 作戦が全然回ってない! 正確の相性も最あ——」
その時。
舞の動きが、ピタリと止まった。
いや、止まったんじゃない。踊りが『変わった』のだ。
さっきまでの、激しく挑発的なステップとは全然違う動き。
とても静かで、滑らかで、神聖な舞い。
「ウチ、熱い……」
ひらっと一枚の布が落ちる。
まだ、脱げる要素があったらしい。
その静かな動きに合わせて、周囲の空気が劇的に変わった。
舞の全身に広がる魔力回路が、これまでとは比較にならない最大出力で輝き始めた。
「レベル5……ってこと」
舞が、その領域に至ったのだ。
舞が、静かに天を仰いだ。
もう一枚、はらりと布が落ちる。
どこからか、落ちた。
吹き荒れる嵐の中心で、
彼女の澄んだ声が、空気を震わせて響き渡った。
「踊るが吉レベル5──『アメノウズメ』」
かつて世界を深い闇から救い出し、太陽を呼び戻したという神話の女神の名。
舞が、光を纏って神々しく舞った。
その瞬間。
吹雪が止み、雷雲が霧散した。
そして、空が、青くなった。
——暖かな陽光が、野原に降り注ぐ。
セラフィナが、天を仰いだまま完全に固まっていた。
「拙の……嵐が……」
ユノも、信じられないものを見るように固まっていた。
「……お母様、お空が……」
二人とも、石像のようにピクリとも動けなかった。
気象を操る絶対の力を、踊り子の『神楽』によって完全に上書きした。
「気合で晴れたじゃん」
舞が、くるりと振り返って、オレに向かってにっと笑った。
オレは、ぽかんと青空を見上げた。
「陽キャ、マジかよ……」




