第112話 ネクロマンサーとの戦い。玲
アルカエルムの威容を背にして、オレたちは帝都の貴族街を進んだ。
目指すのは、七人の選帝侯の一人。
南領出身でありながら中央領に屋敷を構えるという『ネクロマンサー』、ヴコルの居場所だ。
だが、案内された区画に足を踏み入れた途端、街の空気が一変した。
他の貴族たちの豪奢な館が立ち並ぶ中、そこだけがポッカリと異界のように切り取られていた。
「ここに入るのか?」
高い鉄柵の向こうに広がっていたのは、どこまでも薄暗く、不気味な庭園だった。
植物が茂っているはずなのに、生命の匂いが全くしない。
土の匂いすらなく、代わりに鼻をついたのは、冷たい薬品のような臭い。
そして古い血が乾いたような饐えた臭いだった。
葉はどれも病的な土気色をしていて、虫の羽音一つ、鳥の鳴き声一つ聞こえない。完全な静寂が、べっとりと空間にへばりついている。
「……趣味が悪いにも程がありますわね」
蹴鞠が扇で鼻元を覆いながら、心底嫌そうに呟いた。
日向が青ざめた顔で舞の袖をギュッと掴み、剛と玲が油断なく武器に手をかけている。
選帝侯の屋敷というから、さぞかし馬鹿でかい豪邸を想像していた。
「は、速水。先に行って」
「いや……お化け屋敷とかは苦手で」
「自慢の逃げ足は何処に行きましたの」
「自慢の逃げ足だからだろ」
広大な庭園の奥にぽつんと建っていたのは、拍子抜けするほど小さな平屋建ての建物だった。
装飾も窓もなく、まるで墓守の小屋か、巨大な棺桶そのもののように見える。
「だったら、あの加速で突っ込めばいいだろう」
「バカかな? なんでもツッコむと思うなよ」
ふと、足元の植物に違和感を覚えた。
葉の落ちた灰色の枝やツルが、不自然に絡み合い、捻じ曲がって、明確な『矢印』の形を作っている。
まるで、骨と皮だけになった人間の腕が、建物の入り口を指し示しているみたいだった。
その矢印の先、建物の扉の前に、一枚の立て札が刺さっていた。
『中へどうぞ』
子供が書いたような、丸っこくて丁寧な文字だった。
それが逆に、背筋が凍るほど不気味だった。
「……罠、でしょうか」
日向が震える声で言う。
「罠でも行くしかないわ」
栞が静かに言って、玲に目配せをした。
玲が頷き、右腕の黒い装甲を軋ませながら、平屋の建物の扉をゆっくりと押し開けた。
ギギギ、と嫌な音を立てて開いた建物の中は、完全にガランとしていた。
生活感どころか、家具の一つもない。壁も床も剥き出しの石造りで、ただ、部屋の中央にポッカリと大きな穴が開いているだけだった。
地下へと続く、暗く長い石階段。冷たい風が、下からヒュゥと吹き上げてくる。
そして、その階段の入り口にも、またご丁寧な立て札が置かれていた。
『下へどうぞ』
やはり矢印付きで、歓迎するかのような丸文字が踊っている。
「完全にお化け屋敷で草……」
遊びなのか、狂気なのか。無邪気な悪意が、底知れない地下の暗闇からオレたちを手招きしていた。
「草なら先に行って」
暗く長い石階段を降りきった先は、地下だった。
ヴコルの屋敷の地下は、異常なほど広かった。
天井が異様に高く、冷たい石の壁が四方をぐるりと囲んでいる。
壁には松明が等間隔に並べられ、揺れる炎が不気味な影を落としていた。
ダンジョンだ、とオレは思った。ゲームで死ぬほど潜った、本物のダンジョンがそこにあった。
「えー、ここにしよっかなぁ。ひろいし」
幼い声がした。エレイナスクロニカで聞いた声。
無邪気で、残酷なことを何一つ分かっていないような、心底楽しそうな幼い声だった。
つまり、ヴコルがここにいる。
「人いた……。良かった……」
「良いわけないだろ。敵だぞ」
その傍らには、知らないおじさんがいた。
「よぉ。自己紹介するか? 俺はドラガンだ。ヴコルの父親だ」
そうらしい。
太い腕を組み、野生の獣のような目でオレたちをじっと見据えている。
すると玲が、スッとオレの隣に立った。
右腕の黒い装甲が、微かに明滅している。
「駆、行くぞ」
「わ、分かってる」
「本当に分かってるか?」
「そういう作戦……だろ」
玲が、フッと少しだけ笑った。
「そうだ」
ヴコルが、無邪気に両手を広げた。
——地面から、湧いた。
アンデッドが湧いた。
数が分からなかった。
十体、二十体じゃない。
もっと、何十体、百体といるかもしれない。
硬い石畳を泥のように突き破り、腐った手が次々と這い上がってくる。
「来るぞ。行け」
「どっちだよ」
「あっちだ」
松明の光の中で、飢えた黄色い目が無数に光った。
吐き気を催すような腐臭が一気に地下室に充満する。
「ひ……」
オレは引き攣った声を出した。
「ひぃぃぃぃぃぃ」
「走れ!」
玲の鋭い声と同時に、オレは駆け出した。
走りながら、チラリと後ろを見る。
アンデッドがついてきていた。
ほとんど全員が、狂ったようにオレの方へ向かって押し寄せてくる。
「道が分かんねぇ!」
そう。
オレは逃げタンクだ。
ヘイトを稼いで、稼ぎまくる。
ゲームなら完璧な戦術だが、現実でやるとただの地獄だ。褒められた話じゃない。
だが、すぐにオレたちは苦戦を強いられた。
「キリがないぞ!」
玲が光刃でアンデッドを弾き飛ばすが、倒れた端から別の死体が群がってくる。
まさに無限湧きだった。
ヴコルが笑いながら指を鳴らすたびに、新しいアンデッドが壁から、床から、際限なく這い出してくる。
「キリはあるはずだっ!」
玲の光刃が閃き、何体もの首が飛ぶが、群れは全く減る気配がない。
ジリジリと、壁際へと追い詰められていく。
「えーなんでぇ」
群れの向こうから、ヴコルの不満げな声が聞こえた。
「まだ使えるじゃんかぁ。ほら、起きてよぉ」
また増えた。
斬り捨てたはずの死体が、再びパズルみたいにくっついて立ち上がる。
「増えてんじゃねーか!!」
オレは悲鳴を上げながら、迫り来る腐った腕をギリギリで避けた。
このままじゃジリ貧だ。スタミナが切れた瞬間、全員揃って食い殺される。
その時だった。
玲が、スッと光刃を下ろした。
プロゲーマーとしての、極限の集中に入った時の目だった。
周囲の無数のアンデッドを、もはや『敵』として見ていない。
ただの『オブジェクト』として見下ろす冷徹な目。
「——マップは把握した」
玲が、響く声で言った。
オレは走りながら叫んだ。
「は? ここ、ぐちゃぐちゃだぞ! アンデッドだらけで道なんかねぇよ!」
「ルール関与だ。駆、そのまま走れ」
「……ルール関与」
オレの頭の片隅で、オタクの血が騒いだ。
「ルール関与、なんかかっこいい!」
玲が、オレに向かって、かつての戦場で使っていた指示を飛ばしたのだ。
チーム・ドラグノフはこっちで初めて聞いたけど。
「デスマッチじゃない。ドミネーションを優先するぞ、俺たちは!」
玲が身を沈め、右腕の光刃を限界まで出力した。
「チーム! 『ドラグノフ』だ!!」
「おう! オレもあのチームドラグノフ! あの、多分。あれだ!ネットで見た……かもっ!」
それは、かつて彼らがFPSのプロシーンで使っていたコールサインだった。
一点突破の狙撃特化フォーメーション。
タンクと囮が全てのヘイトと射線を一身に集め、アタッカーが最短距離で敵のコアを撃ち抜く。
玲が「クリア!」と吼える
オレはその言葉に歓喜した。
そして走る。
アンデッドの群れが、雪崩のようにオレについてきた。
右に切り返した。斜めに走った。
また、群れが蠢いてついてきた。
オレは思った。本物のヴァンパイアのサバイバー!
オレが限界まで引き付け、マップの端をぐるぐると回る。
オレが逃げる。そして、玲が刈る。
単純だった。でも、プロの連携が乗ったそれは、完璧に機能していた。
「えー、なんでぇ」
またヴコルの声がした。
「まだ使えるじゃんかぁ。もっともっとぉ!」
「まだ、増えてんじゃねーか!!」
オレが叫ぶ中、玲の右腕から伸びる光刃が、二本になった。
いや、三本になった。
地下の空間に、眩いレーザーのような光が溢れた。
アンデッドが次々と崩れ落ち、道を塞ぐ肉の壁が蒸発していく。
「流石にやるねぇ」
ドラガンが、奥でまだ動かずに腕を組んでいた。
玲の突進を、余裕の値踏みで見つめている。
だが、玲は動いた。
群がるアンデッドを全て無視した。ルールは殲滅じゃない。拠点制圧だ。
一直線に、ドラガンに向かって踏み込んだ。
「その剣、伸びるのかっ」
その速さと殺気に、ドラガンが初めて腕を解いて動いた。
ネクロマンサーの黒い魔力がドロドロと溢れ出し、巨大なアンデッドの盾が玲を囲み、圧殺しようとする。
それでも玲は、止まらなかった。
目にも留まらぬ光刃が走った。レーザービームを放った。
アンデッドの巨大な盾を紙のように薙ぎ払い、踏み込みの慣性のまま、ドラガンの太い首筋に光の剣をピタリと当てた。
そして全てが、静止した。
周囲で蠢いていたアンデッドたちが、主の危機に動きを止める。
「——キーワードを言え」
玲の冷たい声が響き、地下がしんと静まり返った。
ドラガンが、首筋の光刃を見下ろして目を細めた。
屈辱に顔を歪ませていたが、やがてフッと息を吐く。
プロのゲーマーのプレイングを認めるような顔になった。
「俺たちの……負けだ」
低い声だった。
奥で見ていたヴコルが「負けてないもん!」と言いながら、ぷくっと頬を膨らませた。
それから、つまらなそうにキーワードを吐いた。
オレは壁に手をつき、荒い息を整えた。
玲が、スッと光刃を消して振り返った。
その目は、さっきまでの玲とは違っていた。
もっと深く、もっと鋭い。
一段階上の、全然違う『強さ』の次元に足を踏み入れた顔になっていた。
「チーム・ドラグノフ。ミッションコンプリートだ……」
玲が、オレたちを見て言った。
神宮寺玲。彼は羊皮紙を取り出し、天高くつき上げた。
そこでオレは、久しぶりに他人の羊皮紙を目にした。
「レベル5に、なった?」
「あぁ……なった」
玲が、自分の右腕の装甲を見つめて静かに頷いた。
オレは、地下の暗い天井を見上げた。
「異世界人との絡み……。遊んだ判定……ってこと?」




