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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
第五章 このスキルにレベルアップを

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第109話 栞は金獅子を退かせる

 エルダの動きに対して、オレは溜めダッシュを発動した。

 後ろで見ていた玲が、信じられないものを見るように声を上げた。


「待て。なんだ、あの加速は」

「あれが本気ではなかった……だと」


 剛が隣で腕を組み、唸るように言った。


「今度は目で追いきれない速さだったぞ」


 二人の声が後ろから聞こえる。

 かつてオレを、アルンで追い回した時のことを思い出しているらしい。


 逃げてみろって言ったの、お前らだけどな。

 

(あ……でも、オレにはこっちもあった。)


 舞が、目を丸くして言った。


「駆、凄い……じゃん」


 日向が、おずおずとオレを見ていた。


「そ、その動き。奏くんも知ってるの?」


 一瞬だけ、奇妙な間があった。


「いや」


 オレは短く答えた。


「よそ見をするな」


 黒スーツの女が、剣を振る。

 仄かに光る刀身は、確かに玲や剛を連想させる。

 ここからのオレは、逃げモードだ。


「奏って? 日向もあの時居たろ。アルンの依頼、あれから見てないって」


 日向が、何かを深く考えている顔になった。

 彼女の中で、奏という人間の立ち位置を整理しているらしい。

 だが、今のオレには関係ない話だ。


「ってか!」


 オレは深く息を吐き、続けた。


「来るかっ!」

「やっぱり、オレはこうだな」


 遠くに立つエルダを正面に見据えた。

 そのまま、オレは斜めに走り抜ける。


 ——斜めに走ると、世界が変わる。


 これもレベル4の恩恵だろう。

 目に見えないステータスアップに二倍の速さ。

 重心が外に流れて、地面を蹴る角度が変わり、身体が勝手に曲がる。

 それはもう、オレの身体に染み付いた習慣みたいなものだ。

 カルネの森で、エヴァンやシオンを守るために何度も何度も繰り返した、泥臭い逃走の軌跡。


「来ないのか」

「下ネタは考えている方が下ネタだしっ」


 エルダが、低い姿勢で追ってきた。


 流石に速い。

 レベル5の剣士は伊達じゃない。

 普通なら確実に追いつかれる。

 

 でも、今回は違う。レベルは関係ない。


「セルノに聞いたぞ。お前たちのレベルはなだらかにしか上がらないって」


 右に曲がり、左に切り返し、また右へ。

 石畳の継ぎ目を踏んで跳ぶように、ジグザグと方向を変えながら、ただ逃げる。


 エルダが、無表情のまま刃を揺らしてついてくる。

 オレの変則的な逃走ルートに、ギリギリのところでついてくる。


「……なるほど」


 広場の端から、マルコの声が聞こえた。冷静に分析する声だ。


「溜めからの直進ダッシュは、あくまで瞬間の切り札でした。でも、こちらの斜行は彼にとっての『日常』だ」


 独り言のようだった。でも続きがあった。


「レベル4に逃走補正が乗り、かつ身体の髄まで馴染んでいる。一発の切り札に対処するより、この泥臭い動きを捕まえる方がずっと——」


 その言葉が言い終わるより早く。


 エルダが、オレの逃げ道の先へ、強引に回り込んだ。

 だが、甘い。

 強引に回り込もうとも、それは斜めだ。


 エルダのタイトなスーツを舐めるように、ぐるりと──


 オレの足が、ピタリと止まった。

 斜めへの加速が完全に消えた。


「こいつ!」


 グレーのパーカー被り野郎が、その方向を読んでいた。

 ふいに正面に立たれると、どこにも逃げられない。


 後退すればゼンマイは溜まるが、その前に剣が届く距離だ。


「なんかないか。なんかないか……」


 エルダの剣が、無造作に振り上がった。

 今度こそ、流石はレベル5。

 避けられない。


 ——だが剣が、止まった。


 冷たい白刃が、オレの額の数センチ手前で、微動だにせず静止していた。


 完全な沈黙。


 エルダが動かなかった。

 オレも、全身の毛穴が開くような恐怖に縫い付けられ、動けなかった。

 静かな声が、背後から飛んできた。


「マルコ」

「……すみません」


 マルコが、少しだけバツの悪そうな声で言った。


「珍しいスキルになると、つい」


 エルダが、ゆっくりと剣を下ろした。

 振り返らず、視線はまだオレの額に向けたままだった。


「余計なことをするな」

「重々承知しています」


 マルコは笑った。


「ただ、面白いものを見るとつい手が出てしまうんです。これは昔からの悪癖でして」


 オレは、肺に溜まっていた空気を一気に吐き出した。


「興がさめた」


 エルダが、チャキッと音を立てて剣を鞘に収めた。


 それだけだった。

 ただ、彼女の中での勝負が終わった。

 オレは荒い息を整えながら、ゆっくりと後ろに下がった。

 膝が少し笑っていた。死ぬかと思った。


「次だ」


 すると、エルダが言った。


「エドガー。行ってみろ」


 銀色の鎧の男が前に出た。

 栗色の短髪、がっしりした体格。遠目には本当に、昔のRPGの『勇者』にしか見えない。

 いや、そもそも彼は勇者の格好をしているのだ。

 マジッククローゼットで修復された異邦人の服を、それがただのコスプレ衣装だとは知らずに、本物の鎧だと信じて着ている生真面目な男。


 勿論、コスプレが本物になっているから、真面目で間違っていないのだが。


 玲が、オレの横を通り抜けて一歩踏み出した。


「次は、俺が行く」


 玲の低く響く声に、微塵の迷いもなかった。

 玲とエドガーが向かい合った。


「お。剣士と剣士か」


 絵になる。

 赤と黒のメッシュ髪に、右腕が黒い鱗の装甲に変異し、掌から鋭い光刃を生成する男。対して、銀色の鎧に身を包んだ栗色の短髪の男。


 どっちが勇者か分からない。いや、どっちも『勇者』に見える。

 強いて言うなら、玲が今風の擦れた勇者で、エドガーが昔風の王道。


 エドガーが、無骨な両刃の剣を正眼に構えた。

 玲が光刃を生成した。ゲーミングデバイスのように発光する薄い光の剣が、朝の冷たい空気の中で鋭く輝いた。


 一瞬の静止。


 二人が同時に動いた。

 オレには、二つの光の軌跡しか見えなかった。


 ガガガガッ! と、金属と光が激しく交差する音が広場に響き渡る。

 玲の光刃がエドガーの剣を弾く。

 エドガーがそれを受け流す。

 玲が踏み込む。

 エドガーが一歩引いて刃を捌く。


 凄い、とオレは思った。凄いという語彙しか出てこなかった。


 玲の攻撃が圧倒的に速い。

『切り裂くが吉』、レベル4。

 光刃が空気を引き裂くたびに、周囲に熱い突風が起きる。

 でも、エドガーはそれを完全に捌き続けている。

 多分、『守り抜くが吉』、レベル5。

 どんな死角から来ても、どんな変則的な速さで来ても、彼の剣と盾が必ず間に合っている。


 だが、これはおかしい、とオレは思った。

 守りに特化したヤツが守り続けている。

 それは理屈としてわかる。でも、何かが変だ。


 玲の攻撃がさらに速くなった。

 光刃が両手に二本生成された。

 右から、左から、息をつかせぬ連撃を同時に叩き込む。

 エドガーが、剣一本と盾でそれを捌ききった。

 その直後、彼の一拍遅れた表情が動いた。


 ……感心したような、嬉しそうな顔だった。


 凄い、とオレはまた思った。

 玲が速い。エドガーが堅い。玲が鋭い。エドガーが揺るがない。玲が畳み掛ける。エドガーが受け続ける。


 これ、終わらないやつだ。

 オレが観客としてそれに気づいた時、戦っている玲自身はとっくに気づいていた。


 玲が、ピタリと動きを止めた。

 両手の光刃を消し、エドガーからスッと距離を取って、真っ直ぐに相手を見据えた。


「一つ、聞く」


 玲が言った。

 エドガーが、剣を下ろして次の言葉を待った。


「手を抜いているだろう」


 広場に沈黙が落ちた。


 エドガーの表情が、一拍遅れて動いた。

 驚いた顔だった。

 それから、困ったような顔になり、最後に、本当に少しだけ笑った。


「……そうですね」


 真面目で真摯な声だった。


「『守り抜くが吉』は、攻めるためのスキルではありません。それに私は貴方を傷つける為に戦っていない」

「だったら最初からそう言え」

「言ったら」


 エドガーが、一拍置いた。


「貴方は、本気で剣を振ってこなかったでしょう?」


 玲が黙った。

 それは、痛いほど正論だった。

 オレにも分かった。

 エドガーは、玲に本気を出させたかったのだ。

 後輩の異邦人の全力の剣筋を見たかった。

 ただそれだけのために、自分の身を削って守り続けた。


「……面白い奴だな、お前」


 玲が、フッと笑って言った。


「……そうですね」


 エドガーが、一拍遅れて嬉しそうに言った。


「ふむ。終わりだな」


 エルダの冷たい声が、二人の空気を切り裂いた。



 剛対ヴァーツラフの立ち合いは、一瞬で終わった。


 斥候のヴァーツラフが動く前に、広場の鳩が一斉にバサバサと飛び立った。

 遠くの路地で犬が怯えたように吠え、塀の上で欠伸をしていた猫が姿を消した。


「動物が、全部逃げたぞ」


 剛が重装甲を鳴らしながら警戒して言った。


「そう」


 ヴァーツラフが、薄い緑の目を細めて言った。


「俺がこれからお前を殴るって、伝えたからな」


 剛が『突き返すが吉』で盾を構え、あらゆる攻撃を弾き返し続けた。

 だが、ヴァーツラフは最初から深追いしなかった。

 剛の防御の隙と反射のタイミング、その『情報』が取れれば十分だという、徹底した斥候の動き方だった。


 舞対ブリアも、戦闘と呼べるものではなかった。


 ブリアは花柄のワンピースのまま、その場からほとんど動かなかった。

 舞の『踊るが吉』が広場の空気を変え、魔力を高めるたびに、ブリアが小さく首を傾けた。

 何かを熱心に聞いているような顔だった。


 舞が、気味が悪くなって踊る手を止めた。


「ねえ」


 舞が言った。


「戦わないの? 何してるの」

「……聞いてました」


 ブリアが静かに答えた。


「精霊が、あなたの踊りは珍しいって」


 舞の顔が、引き攣ったように固まった。


 その時、エルダが再び口を開いた。


「終わりだ」


 全員が動きを止めた。


「レベル5でなければ、話にならない。スキルの限界が分からなければ、その先の価値も分からない」


 広場が静かになった。

 エルダは続けた。感情がなかった。


 ただ冷酷な事実を並べる声だった。


「お前たちだって知りたいだろう。お前たち自身の、本当の力だ」


 誰も答えなかった。

 答えられなかった。


 オレも黙っていた。

 知りたいか、と言われたら——正直、知りたい。


『逃げるが吉』が、この先どこまで行くのか。

 レベル5になったら何がどう変わるのか。

 それは、オレ自身の生存本能からの、本当の欲求だった。


 いや、逃げるが吉ってなんだよっ!


 そして、腹が立った。


 その時。

 小さな音がした。


 珍しかった。

 栞が舌打ちをするのを、オレは初めて聞いた。


「結局」


 栞が、氷のように冷たい声で言った。


「前に拉致された時と、構図は同じね」

「栞、よせ」


 玲が低い声で制止した。

 静かだったが、明確に止めていた。

 だが、栞は止まらなかった。


「全ては盤上。帝国のシナリオ通りに、アタシたちが踊らされているだけ」


 栞が一拍置いた。


「気に入らないわね」


 冷たい風が、広場を吹き抜けた。

 エルダは何も言わない。否定もしない。

 ただ、感情のない目で栞を見ていた。


 オレは栞の横顔を見た。

 彼女は怒っていた。


 だが、感情的になって喚いているわけじゃない。

 ただ、世界の構造が全部見えているからこそ、自分たちが理不尽なチェス盤の上にいることが許せなくて、静かに怒っている。


 玲が、小さく息を吐いて言った。


「分かってる。俺も、死ぬほど気に入らない」


 その瞬間、マルコの顔からスッと表情が消えた。


 さっきまでの、面白がる分析の顔でも、目が笑っていない薄ら笑いでもなかった。ただ、完全な『無』だった。


「そんなこと言われてもね」


 地を這うような、低い声だった。

 金獅子の五人が、一斉に動いた。

 音もなく、呼吸を合わせるように全員が殺気を放って構えた。

 エルダが剣を抜く。エドガーが盾を構える。

 ヴァーツラフの周囲で、目に見えない獣たちの気配が膨れ上がる。

 ブリアだけが動かなかったが、その淡い緑の目が、底知れない色に変わっていた。


「栞。なんかヤバいぞ」


 オレは咄嗟に、栞の前に出ようとした。

 だが、栞が片手を出してオレを止めた。


 でも栞は、一歩も引かなかった。


「別に、末端の駒であるアナタたちを責めるつもりはないわ」


 栞が、金獅子の殺気の中で堂々と言い放った。


「情報が非対称すぎると言っているだけ」

「……あ?」


 マルコの声が、さらに一段低く、ドス黒くなった。


「アタシたちにも『メリット』がないと、この茶番は成立しないと言っているの」


 張り詰めた沈黙だった。

 オレは栞の横顔を見ていた。


(やっぱ、栞って……すごい)


 マルコの表情が、ゆっくりと戻ってきた。

 無から、何かへ。

 それはオレが初めて見る、ひどく歪んだ顔だった。

 オレにはその感情が読めなかった。


 エルダが、剣を構えたまま栞をじっと見ていた。

 長い、長い沈黙だった。

 それから、彼女は言った。


「いいだろう」


 短かった。


「シグルドに話を通す。お前たちを、選帝侯に会わせる」


 玲が小さく息を呑むのが聞こえた。

 剛が固まり、舞が自分の両手をきつく握りしめた。

 エルダは冷徹に続けた。


「その前に、お前たちが自分の『力のなさ』を心底理解する必要がある。それだけだ」


 栞は、何も言わなかったが、エルダは踵を返した。

 金獅子の五人が、足音一つ立てずにそれに続く。

 ブリアだけが、最後に一度振り返った。

 何かを透かして見るような目でオレを見て、それから消えた。


 広場に、オレたち七人だけが残された。

 オレは、静かに立つ栞の横顔を見上げた。


(栞には何か見えている……?)

127話で完結予定(下書き完了しました)

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