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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
第四章 神聖ドミナス帝国

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第80話 宝石箱のような街。宝石のような本。

 いつもの爽やかすぎる朝だった。

 歪に切り取られた高い窓の向こうに、帝国の見知らぬ街並みが果てしなく広がっていた。


 中世ロマンなフィニス王国とも、自然豊かなヴァルシア王国とも違う。

 圧倒的な歴史の積み重ねによる美しさだった。

 重厚な石造りの建物が隙間なく密集し、煤けた瓦の屋根が生き物のように複雑に重なり合っている。

 天を刺すような鋭い尖塔の影、それとは対照的に滑らかな曲線を画くドーム状の屋根。

 それらの間を、細い路地が迷路の如く走り抜けている。

 夜明けの白い朝靄が、まだ眠りから覚めやらぬ街の輪郭を、幻想的に滲ませている。


 ──錬金術が生まれそうな街だ、と私は思った。


 魔法や固有のスキルが厳然と存在するこの世界だ。

 石造りの地下室や、屋根の死角に、神秘がひっそりと隠されていても不思議はない。

 この古い街並みが、長い歳月をかけて、大いなるものを醸造しているように見える。


 私は窓枠にそっと指先をあて、冷徹な目でその光景をただ眺めていた。

 身に纏っているのは、今日も部屋に用意されていた豪奢なドレスだ。

 黒のビロード地に、息を呑むほど細緻な、銀の刺繍が幾重にも波打って走っている。

 袖口には、白いレースが贅沢にあしらわれ、何層にも重ねられたスカートは床に重く、広く広がっていた。

 捕らえられた捕虜が、着るような代物ではない。


 ──でも。


 私はドレスの裾を少しだけ持ち上げ、指先で刺繍の細かさを確かめてみた。

 完璧だった。職人の執念が宿ったかのような超絶技巧。

 どこをどう見ても、一箇所の縫い目すら見当たらない。


 もし、自分が捕虜という忌々しい肩書を背負っていなければ。

 元の世界にいた頃の私なら、この異国情緒溢れる美しい街並みも、身に纏う高貴な衣装も、間違いなく喉から手が出るほど垂涎の的だったはずだ。


 それが、無性に腹立たしかった。


 敵の与えた欺瞞の優しさを、素直に喜びそうになっている自分自身が、何よりも一番腹立たしくて仕方がなかった。


 不意に、部屋の扉が静かにノックされた。


「黒瀬様、お客様がいらしています」


 廊下に控える見張りの、抑揚のない声だった。

 私は窓辺から静かに離れ、姿勢を正した。


「どうぞ」


 重厚な扉が内側へと開く。

 姿を現したのは、ルカだった。


 昨晩の舞踏会と全く変わらない、絵画のように柔和な笑みをその端正な顔に浮かべている。

 ただ、その手には大切そうに「何か」を抱えていた。

 大きな、重厚な本だった。

 ずっしりとした質量があるはずなのに、彼はそれを重そうに持つわけでもなく、割れやすい硝子細工でも扱うかのように、丁寧に両手で包み込んでいた。


「おはようございます、黒瀬様」

「……おはよう……ございます」


 私は、警戒を孕んだ声で短く応じた。

 ルカは静かな足取りで部屋へ入り、部屋中央のテーブルの上に、抱えていた本をそっと置いた。


「昨日お約束した、良い本です。お持ちいたしました」


 私は引き寄せられるようにテーブルへと近づき、その本を上から見下ろした。

 途端に、喉の奥で息を呑んだ。


 表紙。


 その佇まいを見ただけで、全身の血が微かに沸き立つのが分かった。

 最高級の革で装丁されている。

 だが、それは普通の獣の革ではなかった。

 深海のように深い紺色に染め抜かれた表面には、眩い金箔が複雑な植物の模様となって押し込まれている。

 本の四隅には、息を呑むほど大きな宝石が、まるで守護の印のようにあしらわれていた。

 サファイアの青、ルビーの赤、エメラルドの緑。

 それらが窓から差し込む朝の光を受けて、妖しく、眩い火花を散らして輝いている。


 既視感があった。


 私が知っているのは、時祷書だ。

 元の世界にいた頃、図書室の美術画集の片隅で見たことがあった。

 中世ヨーロッパの限られた王侯貴族だけが所持することを許された、濃密な祈祷のための私的な本。

 一ページ一ページに、気の遠くなるような時間をかけて細密画が描かれたという。

 それ自体が国家予算に匹敵するような宝石の本。

 その偽物。……いえ。本物か偽物かは関係ない。


 私の目の前にあるのは、こちらの世界の宝石本なのだ。


「触っても……いいですか?」

「ええ、どうぞ。そのために持ってきたのですから」


 私は躊躇しながらも、そっと手を伸ばし、紺色の表紙に指先を触れさせた。

 驚くほど滑らかだった。

 しっとりとした、肌に吸い付くような革の感触。

 私の知る、どんな物質とも異なっていた。


 私は細心の注意を払いながら、ゆっくりと重厚な表紙を開いた。


 一ページ目。

 そこには、私の想像を遥かに超える、鮮烈な色彩の細密画が描かれていた。

 純金とラピスラズリの青、そして鮮血のような赤で描かれた、天上の庭園を思わせる複雑な文様。

 大輪の花が咲き誇り、生き生きとした蔓が余白を埋める。

 その先には今にも羽ばたきそうな小さな鳥の姿がある。

 ページの端、わずか一ミリの隙間に至るまで。

 製作者の、執念のような意匠が、隙間なく描き込まれていた。


 私はさらにページをめくった。

 そこには、整然とした文字が並んでいた。

 当然、私の知らない言語だ。読めない。

 しかし、その一文字一文字が驚くほど美しく均一に揃っている。

 だから、直感的に理解できた。


 一文字ずつ、誰かが生涯を削るような祈りが込めてられている。


 私がまた静かにページをめくった時、不意にその指がピタリと止まった。


 美しい挿絵があった。


 精緻なタッチで描かれた、明確な「人物画」だった。

 見慣れない服を纏った、その人物の立ち姿。


 ──いや、違う。


 私は目を細め、その挿絵を凝視した。

 見慣れないはずなのに、強烈な見覚えがあった。

 その服の形。ジーンズに、フードのついた上着。

 その人物の、どこか世界を斜めに見下ろすような独特の立ち姿。


 絵の傍らには、やはり読めない文字が添えられていた。

 しかし、その末尾にある数字だけは、私の知るアラビア数字そのものだった。

 日付。西暦を思わせる、明確な日付の羅列。


 慌てて次のページをめくる。

 そこにもまた、別の人物画があった。

 やはり、この世界の人間が着るはずのない、見覚えのある「現代」の服を着ていた。

 さらにめくる。また。次も、その次も──。


 私は弾かれたように顔を上げ、正面に立つ男を凝視した。

 ルカを見た。


「これは……」


 私の声が、微かに震えていた。


「かつてこの世界に召喚された、異邦人。あなたたちの記録です」


 ルカは、どこまでも静かに、穏やかに言った。

 その柔和な笑みは、最初から少しも崩れていない。


「帝国には、古い時代からあらゆる事象を詳細に記録する習慣があります。異邦人がこの大陸に現れるたびに、彼らの生きた証と姿を、こうして絵師たちに残させてきたのです」


 私は再び本へと視線を落とし、狂ったようにページをめくり続けた。

 異邦人が、いた。

 一人や二人ではない。何十人、何百人もの人間が、そこに描かれていた。

 それぞれが、全く違う服を着ていた。

 ブレザー、スーツ、あるいは違う時代の衣服。


「え……」


 この過酷な大陸には、私たちと同じ境遇の人間が、何度も、何度も訪れていたのだ。

 そして──帝国は、そのすべてを、ずっと陰から監視し、記録し続けていた。


「……これ、全員が異邦人なんですか」

「全員かは分かりません。 ですが、その大部分はそのように伝えられています」

「身に宿した、スキルも?」

「当時の帝国が、観測し、記録できた範囲においては」


 私は、ページをめくる手を止められなかった。

 一人一人の顔立ちが違った。着ている服が違った。

 彼らはみんな、間違いなくこの世界に、無理やり連れてこられた人間だった。


 そして──どうなった?


 あるページで、私の指が完全に凍りついた。

 そのページに描かれた人物は、満面の笑みを浮かべていた。

 精緻な絵の中で、元の世界にいた頃のような無邪気な顔で笑っている。

 私は、その顔から目を離せなくなり、しばらくの間じっと見つめ続けた。


「……この人たちは、元の世界に、帰れたんですか?」


 私は、祈るような気持ちで問いかけた。

 ルカは、ほんの少しだけ押し黙った。


「……記録が途絶えている者たちの行方は、探しようがありません。分かりません、としか言えないのです」


 ただ、それだけだった。

 私は耐えきれなくなり、重い本をバタンと閉じた。

 閉じた表紙に埋め込まれた宝石を見る。

 青と赤と緑が、変わらぬ朝の光を受けて冷酷に輝いていた。


 ルカが静かに歩み寄り、閉じられた本の上にそっと自分の手を触れさせた。

 長い指先を表紙の箔押しに置き、それから、ゆっくりと私の目線にその薄桃色の瞳を合わせた。


「──全部、読めましたか?」


 私は、即座に答えることができなかった。

 風が吹いたわけでもないのに、私の黒い髪が微かに揺れた気がした。


 読めないはずは、ないのだ。


 この世界に放り出されたあの瞬間から、私たちはなぜかこの世界の文字が読めた。

 言葉が完璧に通じた。誰と話しても意味が理解できた。

 誰が書いた古い書類であっても、すんなりと読めていたはずだった。


 なのに。


 なのに、なぜか、あの挿絵の横に添えられていた文字だけが──どうしても読めなかった。


 挿絵の形ははっきりと見えた。

 人物画の輪郭も分かった。日付の数字も正確に認識できた。

 それなのに、文字の並びだけが、私の意識からするりと滑り落ちて抜けていってしまう。

 意味が、どうしても脳に入ってこない。

 目で追っているはずなのに、文字の形がただの無意味な紋様として、脳に拒絶されている。


 そんなおぞましい感覚だった。


「……読めませんでした。文字が、すり抜けて」


 私が告げると、ルカは「そうですか」とだけ静かに言った。

 驚いた様子は、微塵もなかった。

 最初から、この反応が返ってくることを知っていた顔だった。私が読めずに困惑する瞬間を、彼はじっと待っていたのだ。


「なぜ、読めなかったのだと思いますか?」


 私は、ルカの顔を見つめ返した。

 相変わらずの柔和な笑み。

 でも、その青い瞳の奥だけは


 ──世界の深淵を覗き込むような、恐ろしいほどの真剣さに満ちていた。


 私は閉じた表紙の宝石を見つめ、必死に思考を巡らせた。


「……あの文字は、私たちとは違う、別の異邦人が書いたものだから……?」


 私が絞り出した仮説に、ルカは何も答えなかった。

 ただ、その口元の笑みが──ほんの少しだけ、深く、妖しくなった。


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