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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
第四章 神聖ドミナス帝国

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第79話 ゴシック少女は踊る。

 黒瀬凜は壁に掛けられた細身剣を見つめていた。


 あてがわれた部屋は、無駄に広かった。

 広くて、吐き気がするほど、綺麗だった。

 冷たい石造りの空間でありながら、壁には豪奢な織模様のタペストリーが張られている。

 部屋の隅では暖炉の火が赤々と爆ぜている。

 磨き上げられた窓には微風に揺れる薄絹のカーテンがかかっていた。

 沈み込むほどに柔らかいマットレス。

 天蓋付きのベッドからは、上質なリネンの香りがする。


 案内された先は、冷たい牢屋じゃなかった。


 ——それが、一番気持ち悪かった。



 私は窓枠に手をかけ、外を見た。

 幾何学模様に手入れされた完璧な中庭があった。

 白亜の噴水が優雅に水を弾き、季節外れの鮮やかな花々が咲き乱れている。


 鉄格子なんて、どこにもなかった。

 でも、ここからは一歩も出られない。

 分厚い樫の扉の外には、常に重い気配が張り付いている。

 見張りだ。試しに一度だけ扉を開けようとしたことがある。


 すると、すんなりと開いた。


 だが、豪奢な絨毯の敷かれた廊下には、完全に武装した帝国兵が二人立っていた。

 彼らは私を見ると、完璧な笑顔を張り付けて「お部屋にお戻りくださいませ」とだけ言った。

 殺意より何より、その訓練された笑顔が一番怖かった。


 栞がいなかった。

 蹴鞠がいなかった。

 誠司がいなかった。


 あの絶望的な山道の砦で分断されてから、誰の姿も見ていない。

 生きているのか、怪我はないのか。

 何もわからないまま、泥のように重い一週間が過ぎていた。



 最初の尋問は、翌日の午後だった。

 あの白金の髪の女——ヴァルラが来た。

 彼女はたった一人だった。

 土から湧き出たトロルも、無邪気で残酷なヴコルも連れていない。

 ただ静かに椅子に座り、従者が淹れた紅茶の香りを楽しみながら話しかけてきた。


「お名前は?」

「……黒瀬凜」

「あなたのスキルは、何かしらぁ?」


 私は、固く口を閉ざして答えなかった。

 栞に厳命されていたからだ。


「絶対に自分のスキルを名乗るな」と。


 ヴァルラは私が黙秘しても、全く気にしなかった。


「そう。まあ、いいわぁ。焦る必要なんてないもの」


 本当に、ただそれだけだった。

 優雅にお茶を飲み干し、静かに出て行った。

 鞭で打たれることも、脅されることもない。


 フィニス王国よりも、ヴァルシア王国よりも、暖かな軟禁。


 それが帝国の「尋問」だった。


 週末になると、城の広間で舞踏会が開かれた。

 私の部屋には、息が詰まるほどコルセットのきつい豪奢なドレスが用意された。

 私はそれを見つめ、無言で着るしかなかった。


 拒否権など最初から用意されていない。

 連れて行かれた大広間は、狂騒の渦だった。

 弦楽器の滑らかな音楽、眩いばかりのシャンデリアの光、着飾った帝国の貴族たちの乾いた笑い声。


 私は、壁際の一番暗い端に立っていた。


 誰とも踊らなかった。

 物珍しさからか、何人もの若い貴族が「踊りませんか」と声をかけてきた。

 私はその度に、ただ無言で首を横に振った。

 別の誰かが来ても、また首を振る。

 それが、週末のたびに延々と繰り返された。


 帝国のやり方だと思った。


 体を動かす、踊る。戦闘能力が測られる。


 真綿で首を絞められるような日々。

 ヴァルラが、一切焦っていないのも気になった。

 私も、表面上は焦りを見せなかった。


 ただ、内側から確実にすり減り、消耗していた。


 私の手には、愛用していた細身剣がある。

 ちゃんと、壁に掛けられている。

 それも、同じだ。


 手に取って戦えば、スキルが発動してしまう。


 そして、何よりも深く、私を絶望させていたものがあった。


 私は、窓の外を見た。

 中庭の噴水が、月光を受けて冷たく光っている。

 楽器の演奏が頭から離れない。


 ——奏が逃げたのだ。


 あの鮮やかな瞬間を、私は特等席で見ていた。


 『音が届く範囲ならどうにかなる』


 彼はそう言ってリュートを鳴らし、敢えて列から遅れた。


 私のスキルは「突き刺すが吉」だった。

 私は前に出なければ、戦えない。

 だから、彼の去り際が見ていない。


 一体、どんな顔をして、私たちを見捨てたのか。


 ——その残酷な事実が、一番、心に深く堪えた。


「逃げる……力が、私にもあれば……。あのトロール行為を……。私は……」



 四度目の舞踏会だった。

 私はまた、壁際の端に立っていた。

 幾重にも重なるドレスの裾が重い。

 陽気な音楽が遠くのノイズのように聞こえる。

 無数の燭台の光が、網膜を焼くように眩しかった。


 また誰かが来るだろう。

 そうしたら、またいつも通りに首を振ればいい。

 虚ろな頭で、そう思っていた。


「——踊りませんか」


 声がした。

 また来た、と機械的に思った。

 断るために、顔を上げた。


 透明に光る、美しい金髪だった。

 背後の燭台の光を透過して、その髪はまるで赤く燃え盛っているように見えた。

 瞳は、吸い込まれそうなほどの薄い緋色。

 その奥底で、僅かに淡い光が瞬いている。

 肌は透き通るほど白かった。

 帝国の強い日光を、生まれてから一度も浴びたことがないのではないかと疑うほどに、病的なまでに白かった。


 彼は、絵画のように柔和な笑みを浮かべていた。

 白い手袋に包まれた手が、私に向かって静かに差し出されている。


 私は、いつものように首を振ろうとした。


 ——でも、できなかった。


 なぜか、できなかったのだ。

 胸の奥で、カチリと何かが止まったのだ。

 止まって、動かなくなったのだ。


 警戒心も、拒絶も、無力感も。——猜疑心さえも。


 私は、自分でも気づかないまま


 無意識に……手を伸ばし、彼の手を取っていた。


 その男が、ふわりと笑った。


「ありがとうございます」


 とても丁寧で、耳に心地よい声だった。

 私は何も言えなかった。言葉が、喉の奥で詰まって出なかった。

 遠かったはずの音楽が、ふいに近くなった。

 眩しすぎて痛かったはずの燭台の光が、少しだけ柔らかく、温かく感じられた。


 そんな気がした。


 私は、彼にリードされるまま踊り始めた。

 自分が今、敵国の中枢で何をしているのか。

 わからなかった。考えなくなった。

 ただ、ステップを踏み、踊っていた。

 滑らかな音楽が続く中、男が静かに口を開いた。


「一つ、お聞きしてもいいですか」

「……はい」


 自分でも驚くほど、素直な声が出た。

 今まで、どんな高位の貴族が来ても無言で首を振っていたのに。

 なぜかこの男の言葉には、抵抗なく「はい」と答えていた。


「スキルの『中身』についてではなく、スキルという概念そのものについて、少し考えてみませんか」


 私は、ステップを踏む足を一瞬だけ止めそうになった。

 なんとか持ち直したが、心臓の音が早くなる。


「勿論、ご不快ならすぐに別の話題にしますけれど」


 男は笑っていた。

 裏の意図を感じさせない、ひどく柔和な笑みだった。

 尋問官のような圧は微塵もない。

 私は頭をフル回転させて考えた。


 スキルの話。


 栞の言葉が脳裏をよぎる。——スキルを名乗るな。

 でも、「スキルという概念について考える」というのは、自分の手の内を明かすこととは明確に違う。


「あの……嫌……ではないです」


 私は、慎重に言葉を選んで言った。


「私自身の、個別の話でなければ」


 男が「もちろんです」と深く頷いた。


「わたしも、自身のスキルの話はいたしません。ただ純粋に、スキルとは一体何なのか、という哲学的なお話をしたいだけなのです」


 私は小さくうなずいた。

 うなずいてから、ふと気づいた。

 何もこんな際どい話題でなくても、別の話題を選べばよかったのだ。

 天気の話でも、出された食事の話でも、帝国の建築様式の話でも、何でもよかったはずだ。

 でも、別の当たり障りのない話を選んでしまえば——この時間は、すぐに終わってしまうかもしれない。


 浅い話は、浅いところで簡単に途切れる。

 スキルという話題は、私自身も答えを知らない。

 知らないからこそ、答えが分からないからこそ、会話は長くなる。

 長くなれば、このままずっと——。


 私はそこで、思考を強引に打ち切った。


 やめろ。何を考えている。


 思考を止めたが、私の手は男の温かい手をしっかりと握り返したままだった。


「スキルというのは」と男が滑らかに言葉を紡ぐ。

「わたしはずっと、不思議でたまらないと思っているんです」

「不思議……ですか?」

「ええ。なぜ、神の与えたステータスという形をとる時、あのような『曖昧な言葉』になってしまうのか」


 私はステップを踏みながら、少しだけ息を呑んだ。

 踊りは、完璧なリズムで続いている。


「曖昧……」

「ええ。本来であれば、威力や範囲など、明確に数字で表せるはずのものが表せない。あるいは、もっと正確な言語で定義できるはずのものが、どうにもちぐはぐで、ぴったりとこない表現に丸め込まれてしまう。わたしにはそれが、昔からずっと引っかかっているんです」


 私は、男の顔を下から見上げた。

 柔和な笑みの形は、最初から全く変わっていない。

 でも、瞳の色が——少しだけ、違っていた。

 本気だった。

 貴族特有の退屈しのぎや、探りを入れる社交辞令ではなかった。

 本当に、心の底から世界の構造を不思議に思い、探求している研究者のような目だった。


「……私も、そう思います」


 胸の奥底にしまい込んでいた、私のスキルに対する焦燥と秘密が、ぽろりとまろび出そうになった。

 私は慌てて唇を強く引き結んだ。

 でも、ワルツの旋律は止まらず、二人の踊りも止まらない。

 腰に添えられた男の手が、ひどく温かかった。



 やがて、曲が終わった。

 広間を包んでいた音楽が、静かに波を引くように止まった。

 男が、すっと一歩引いた。

 そして、流れるような美しい所作で、深く一礼した。

 繋がれていた手が、離れた。


 私はそこで、はっきりと自覚した。

 私を包んでいたあの温かさが、完全に消え失せたことを。

 ただ物理的に手が離れた。それだけのことだ。

 それだけのことなのに、私の中の何かが、ひどく冷え込んで——


 私はその喪失感を、強引に「考えないこと」にして心の奥底へ押し込んだ。

 男がゆっくりと顔を上げた。

 あの柔和な笑みが、そこに戻っていた。


「わたしはルカと申します」


 喧騒の中で、その静かな声だけが鼓膜にすっと届いた。


 ル……カ……


 音が……喧騒が消えた。


「今度、あなたのお部屋にお邪魔してもよろしいですか?」


 私は男を——ルカを、見つめ返した。


「ぜひお見せしたい、良い本があるんです」


 本。

 スキルの探求でも、狡猾な尋問でもなかった。

 ただ、純粋に本を読ませたいという誘い。


 私は少し黙った。

 そういう手口かもしれない。だったら、断らなければならない。

 断る正当な理由を、必死に頭の中で探した。

 しかし、何一つ見つからなかった。


「……どうぞ」


 ルカが、ふっと破顔して笑った。

 さっきまでの端正な笑みと同じはずだった。

 でも、なぜか——

 最初に出会った時よりも、少しだけ人間らしく、温かいものに見えた。

 私はその理由についても、今は考えないことにした。


 オーケストラが息を吹き返し、また新しい音楽が始まった。

 さきほどとは違う、軽快なテンポの曲だった。

 私は、彼を残して元いた暗い壁際へと戻った。

 窓の外の中庭が、広間から漏れる燭台の光を受けて、暗く、だが確実に輝いていた。


 私の手は、突き刺すが吉。


 多分、戦える。でも、戦う理由を私は知らない。


 自分のスキルの意味も、居場所も、すっかりわからなくなっていた。


 だけど


 ——今夜だけは、ルカの手の温もりを思い出しながら、その絶望を忘れることができた。

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