第78話 海の形、世界の形
勇者が十二人ならクソスキルはバレない〜そして、オレは追放された〜の方からお読みください。
読者さんがいらっしゃらないと思って完結させたら、思いのほか読んでくださってたみたいなので、もうちょっと続けます。
海が、途方もなく広かった。
当たり前の事実だった。陸の上で知識として「海は広い」と知っているのと、実際にこうして激しく揺れる船の上に立って見渡すのとでは、文字通り天と地ほどの差があった。
これまでは、石畳の道が細く曲がりくねり、その両側に古びた石造りの家々が隙間なく連なっている──そんな箱庭のように窮屈な景色ばかりを見てきた。
ヴェルナの街もそうだった。
オレはなんとなく、この世界を中世のヨーロッパのような場所だと思い込んでいた。
地形も、建物も、文化のあり方も、どこかそこに似ていたからだ。
でも、こうして港を離れ外海に出てみると、そのちっぽけな認識は根底から覆された。
周囲に、島が一つも見当たらないのだ。
水平線が、視界の端から端までどこまでも真っ直ぐに伸びている。
左を見ても、右を見ても、前を見ても、海と空を分かつ境界線が一本の線となって、どこまでも果てしなく引かれている。
夕暮れの空が深い藍色へと沈みかけており、海面はその暗い空を反射して、まるで底なしの奈落のように黒く見えた。
激しく揺れる甲板の上に踏み留まりながら、オレはその圧倒的な水平線をじっと見つめていた。
この海には恐ろしい巨大海洋生物が潜んでいる。
その噂も、この圧倒的な大自然の暴力を前にすれば、現実味を帯びて感じられる。
島一つくらい浮かんでいてもいいはずなのに、周囲には本当に何もなかった。
ただただ、圧倒的な水の世界が広がっているだけだ。
もしこのまま波に流されて羅針盤を見失ったら、二度とどこにも辿り着けないのではないか。
頭で理屈として理解するのではなく、全身の肌に受ける不気味で冷たい海風が、オレにそう教えていた。
この広大な海は、最初から人間のために作られた場所ではないのだ。
「……でかいな」
オレは、畏怖を込めて独り言のようにぽつりと呟いた。
シャチの群れは、一切の疲労を見せることなく船を力強く引き続けていた。
迫り来る荒波を力任せに割りながら、ただ真っ直ぐに前へと進んでいく。
前方の水平線が、少しずつ近づいているような、あるいは全く近づいていないような、妙な錯覚に囚われる。
オレは、イルマ様から貰った新しい靴の感触を確かめるように、一歩力強く足を踏み出した。
埋め込まれた青白い石が、激しく跳ね返る波の飛沫と暗くなりゆく空の下で、かすかに美しく輝いていた。
強大な帝国が、向こうにある。
この底知れぬ冷たい海の向こう側に。
◇
帝国の海岸線が、見える。
山脈を迂回しているだけだから、それはそう。
最初からずっと見えていたが、やはりエレイナス山脈の一画だった。
天を突くように、白い頂が連なっていた。
オレは知識として知っていた。
高い山脈は、大陸の衝突でできる。
プレートが押し合って、地面が盛り上がって、長い時間をかけて山になる。
あの山脈は少なくとも、三回は衝突したのだろう、と思った。
一度の衝突でできる山脈じゃなかった。
何度も、何度も、気が遠くなるような時間をかけて、押されて、盛り上がって、あの高さになった。そういう山の形をしていた。
多分、一度だけの衝突で出来たのがカルディナ山脈。
そういう意味で、フィニス王国は最後に加入した国なのだろう。
オレはそんなことを考えながら、白い山脈を見ていた。
ヴォルフが隣に来た。
「お前の故郷か」
オレは聞いた。
「故郷……、か」
ヴォルフは山を見た。
「どっちから見ても同じだろ」
それだけだった。
感慨があるのか、ないのか、ヴォルフの顔からは読めなかった。
そう言っている間にも岸が、近づいてくる。
近づいてきて、オレは気づいた。
「いやいやいや」
オレは言った。
「そもそも帝国って、敵じゃん」
ヴォルフとリーフがオレを見た。
「このまま海岸に行ったら、狙い撃ちにされる」
海を凝視した。
落ちたら終わりだった。
この海では生き残れない。
水平線の向こうまで、島一つなかった。
船が転覆したら最後、どこにも辿り着けない。
「帰るわけにもいかないし、でも海岸に突っ込んだら」
「狙い撃ちされたら、リーフが斧で弾く」
横から、リーフが言った。
背中の大斧を軽く叩いている。
「大砲の弾をかよ! 無理だろ」
「無理じゃない。リーフならできる」
「大丈夫だろ」
ヴォルフが呆れたように割って入った。
「大丈夫って、なんで」
「旗を掲げるから」
オレは青褪めた。
旗。
帝国の旗を掲げる、ということか。
この期に及んで、——ヴォルフ、お前も裏切ったか。
オレはヴォルフを睨んだ。
ヴォルフは、不気味に笑っていた。
そして、肩眉を上げて続けた。
「異邦人が乗っている。そういう旗を掲げるから大丈夫だ」
「は?」
オレは止まった。
「……オレが乗ってる前提の安全って。いやいや」
「実際、そうだぞ」
ヴォルフはあっさり言った。
「俺たちは捕まりに来たわけじゃない、がな」
「じゃあ、なんでそんなこと言うんだよ」
「実際に旗はある。 ま、最終手段だ」
ヴォルフは続けた。
「っていうかよ」
海岸は迫って来る。
「こっちも同じだ。格差しかねぇから、田舎に着きゃ、何か来たくらいにしかならねぇ」
「格差?」
「帝国は広い。王都と田舎じゃ、情報の速さが全然違う。田舎の海岸に船が一隻着いたところで、すぐに上まで話が届くわけがない」
オレは改めて、海岸を見た。
確かに、人影がなかった。
砂浜が続いていた。小さな漁村が、遠くに見えた。
それだけだった。
「……田舎に着けば、何か来たくらいにしかならない」
オレは繰り返した。
「そういうことだ」
リーフが「本当に大丈夫?」と聞いた。
「俺が帝国軍人だったんだから信じろ」
「元、だろ」
「細かいことを言うな」
オレは息を吐いた。
無事に船が、砂浜に着いた。
ヴォルフがハンドサインを送った。
シャチが跳ねた。
鮮やかな、水飛沫が上がった。
「シャチ、ありがとう」
リーフが海に向かって短く言った。
シャチがそれに応えるように一度だけ高く鳴き、遠ざかっていった。
黒と白の無数の巨体が、波の向こうに消えた。
つまり、オレはあっさりと帝国側の砂浜に立った。
帝国に来てしまったから、目を凝らしてみた。
さっき見た漁村だった。
人の気配はあったが、誰も出てこなかった。
「運よく田舎についた……じゃなくて」
オレは言った。
ヴォルフが「何がだ」と言った。
「ビビらせやがって……」
オレは再び、ヴォルフを睨んだ。
彼は軽く伸びをしたついでに、鼻を鳴らした。
「俺が案内したんだから当然だ」
リーフが、砂浜に降り立ちながら言った。
「……でも」
オレとヴォルフがリーフを見た。
「ヴォルフのこと、少し信用した」
ヴォルフが「少し、か」と言った。
「帝国は信用しないけど」
「嬢ちゃんは、色々あるんだったな」
ヴォルフはリーフを見た。
リーフも何も言わなかった。
オレは、速水駆は、この瞬間に、なんと気が付いた。
「あ……」
「あ? 忘れ物とか言うなよ」
「駆、どうした?」
二人が怪訝な顔をして、オレを覗き込んだ。
悪い顔じゃなかったが。
「逆だって! なんで、リーフ来たんだよっ」
砂浜から、街道が見えた。
リーフは海風でギシギシになった髪を面倒くさそうに束ねた。
まだ、ティーンエージャーという顔立ちだった。
「母への復讐」
そう。ここまでの道中で気付くべきだった。
「オレは異邦人の救出に来たんだぞっ! リーフの目的とは」
彼女は巨大斧をズンと、地面に差して、肩をすくめた。
「その異邦人を罠に嵌めたヤツ、リーフが仕留める」
「それはそうなんだけど。 金を貰ってて、そこにはいないかもしれないだろ」
細い道を歩く。
土が踏み固められた道だった。
ガラス玉のような瞳が半分隠れる。
「いる、気がする」
「気がするって……」
「あの時、ロベールは逃げた」
オレの嫌な予感メーターがぐいっと上がった。
いや、違う。オレのは元々、こんなんだった。
危険が迫ると、逃げろと体が訴える。
彼女は、ソレを見透かしたように、言ってのけた。
「大丈夫だよ。ロベールは、駆ほど『吉』じゃない」
帝国編が始まる。
これから始まるのは、そういう戦いなのかもしれない。
誰が、本当の『吉』を持っているのか。




