第104話 演説と裏切り者
イネスが部下を連れて戻ってきた。
再会のわちゃわちゃがひと段落し、日が傾き始めた頃だった。
彼女は巨大な石門、凱旋門のような大きなアーチの真下に立った。
先ほどの羊皮紙をバサリと広げると、周囲の空気が一変した。
ざわめきが、波を引くように消える。
手製の槍や鉄パイプを握った民兵も、石畳に跪いていた修道士たちも、自然と彼女を取り囲むように集まってくる。
「フィニス王国騎士団長、イネス・カルヴァリョの名において、女王陛下の御言葉を読み上げる!」
よく通る、凛とした声が響く。
誰かが小さく咳払いをしたのを最後に、広場は水を打ったように静まり返った。
「此度の帝国との戦いにおいて、我が正規軍は速やかに多くを救う必要があった。だが、どうしても手から溢れる地域もある。異邦人・速水駆は、我らの為に文字通り縦横無尽に戦ってくれた。全ては帝国の目を盗み、裏から戦線を支えるため――我々は速水駆に、指名手配犯という辛い重荷を背負わせていた」
オレは、無表情のまま羊皮紙を見つめていた。
(なるほど。オレの追放が作戦だったってことにするのか。どっちでもいいけど)
追放されたのも、森をうろついてたのも、カルネ村にいたのも、全部極秘作戦だった。
そういうことにして、政治的に処理するらしい。
「ここに改めて、速水駆を『勇者』と認定する。並びに、先の指名手配を完全に取り消し、その名誉を回復する!」
イネスがそう叫んだ瞬間、広場が爆発したような騒がしさに包まれた。
『あのグレーのパーカーのガキが、裏で動いてた極秘の勇者だったってのか!?』
『ざまあみろ、帝国の目ぇ掻い潜ってやってたんだな! よくやったぜ!』
『ネクトールも泡を吹いてんじゃねぇか?』
煤で顔を汚した民兵たちが武器を突き上げて歓声を上げ、エヴァンが「お前すげえな!」とオレの背中をバシバシと叩いた。
シオンがふっと息を吐き、フィオナが嬉しそうに笑う。
「続いて、カルネ在住の巡回修道士セルノを、正式な司祭として叙任する!」
その言葉に、今度はセルノが石像のように固まった。
それと同時に、周囲の宗教関係者たちから驚きと熱狂の混じった囁き声が漏れる。
『一介の巡回修道士が、飛び級で司祭に……!?』
『おお、地母神エレインの御心だ……! 大地の恵みあれ!』
『ラトン人の司祭の誕生だ!』
「セルノ」
オレが横から肘で小突く。
「……なんか言えって」
「言いませんよ。駆殿だってリアクションなかったじゃないですか」
セルノは前を見ながら言った。
オレは半眼で睨みつつ、息を吐いた。
「イネス騎士団長も嬉しいんじゃないか」
「それは……」
セルノの声は、少し震えていた。
後ろでイルマさんが眉毛を三ミリ動かし、フィオナが袖を引っ張るが、セルノは硬直したまま動かない。
「ラトン人の誇り……だろ?」
自分で言って、自分で耳を疑った。
そんな筈はないのだ。
カノープスでエレイン教は始まった。
「はい。じ、実はイネス様からも激励を頂きまして」
フィニス王国の、勇者宣言の時と映像が重なる。
場所もメンバーも違っているのに、既視感が生まれる。
──そして、祝祭の空気はそこまでだった。
イネスが羊皮紙を一枚、パチンと音を立ててめくった。
それだけで、広場に再び冷たい静寂が降りた。
「此度の戦いにおいて。一つ、重大な不手際があった」
オレは顔を上げた。
不手際。
その単語を聞いた瞬間、寒気を覚えた。
そもそも、勇者が誘拐されて、監禁されていた。
闘技場で見世物にされていた。
それから。
「速水駆とは対照的に──」
頭の中で一人の顔が浮かんだ。
村田雄大。
左手の疼きを抑えられなかった男。
パーカー男と言ってしまった男。正義の嘘をついた男。
(オレが追放されたのは、雄大が知らないでござるとか、嘘をついたからだし、オレと対照的に立ち去ったあいつ。こうなることを予期して……)
それほど、村田雄大の離脱タイミングは完璧だった。
オレが、速水駆が異邦人だという証明は完了した。
なら、どうして嘘を吐いたのか、となる。
オレは息を呑んだ。
「我らが勇者たちの中に、一人、帝国に寝返った裏切り者が出てしまった」
やっぱり、雄大だ。
スキル使いになる為に、あっさりと離脱したんだし──
そう確信しかけた、その時だった。
「――黒瀬、凜」
時が、止まった。
広場が、しんと静まり返った。
え……
『おい……黒瀬って、あの黒いドレスの嬢ちゃんか?』
『勇者が、帝国に寝返った……!?』
『ふざけるな! またあいつらの支配下に逆戻りさせる気か!?』
民兵たちの間に、一気に殺気と動揺が伝播していく。
労働者たちが憎悪を剥き出しにして怒号を上げた。
修道女たちは「主エレインよ、どうかお守りください……」と震える手で胸の前に十字を切った。
そんなことは……
オレは一瞬、自分の自動翻訳がバグを起こしたのかと思った。
弾かれたように顔を上げ、もう一度イネスを見る。
イネスは羊皮紙を持ったまま、まっすぐに前を見据えていた。
だが、その表情が――歪んでいた。
あの鉄面皮の騎士団長にしてはあり得ないほどの、苦渋に満ちた歪み方だった。
黒瀬凜。
帝国で捕まった。
しかも、帰還を拒んだという事実は、基本的にオレが聞いたこと。
話す人間くらい、ちゃんと考えていた。
第一、仲間たちの中で、そういうことにしよう、とした話だった。
(間違ってはない。 選帝侯の一人についたのは、正しい……けど)
伏せた情報が、明らかになっている。
オレは周囲の連中を見回した。
栞が血の気を失って固まっていた。
玲と剛も固まっていた。
蹴鞠が扇を持ったままピタリと動かない。
誠司と美咲が顔を見合わせていた。
そして、日向。
オレは日向を見た。日向も固まっていた。
だけど、日向の固まり方だけが、少し――
違う気がした。
ひどく怯えているように見えた。
それも帝国への恐怖とかじゃなく、何か、別のことを考えて。
舞が日向を見ていた。
日向から目を逸らさず、ただ黙っていた。
(いや。流石に。あんなに仲良さそうだったし? それに……)
オレにはわからなかった。
凜は「帰らない」と言ったのは間違いない。
帰らないと言ったから「裏切り」の扱いは間違っていない。
だから、オレはもう一度、イネスを見た。
「今後、このようなことがないよう──」
イネスはもう表情を戻していた。騎士団長の顔に戻っていた。
夕闇に紛れる一瞬前、確かに歪んでいたが、次の言葉が無かった。
帝国側から、通達があった、とか。
そう言ってくれたら、仕方ないと思えたのに。
◇
宣言が終わり、広場がざわざわと暴動一歩手前の熱を帯びて動き出した。
貴族への不信を叫ぶ民兵たちの怒号と、すがるような聖職者たちの祈りの声が混ざる。
凱旋門の下は再び混沌と沸騰し始めている。
エヴァンが、オレの腕を強く引っ張った。
「駆。良かったな」
「あ……あぁ」
「もしかして、黒瀬凜ってやつがお前のことを追放したのか?」
オレは咄嗟の言葉に、反応が遅れた。
「いや」
「カペーが勇者認定。裏切り者が分かった?」
「じゃなくて、黒瀬凜は……」
「じゃなくてって。お前が追放されたのは事実だろ?」
本当に、何もわからなかった。
『助けに来てくれて……正直、嬉しい』
オレは、黒瀬凜を知っている。
黒瀬凜と柊日向が、二人で眺めていたのを知っている。
でも、あの日。嬉しいと言った寂しい笑顔しか、
『——私は帰らない』
その時しか、オレと黒瀬凜は話をしていない。
否定しようにも、黒瀬凜を知らな過ぎた。
だからオレはもう一度、日向と舞が立っていた方へ視線をやった。
舞はまだ日向のそばにいる。
二人とも、口を閉ざしたまま黙っていた。
「エヴァン。シオン」
わからないまま。
狂騒と深い絶望が渦巻く広場の空。
血のような夕暮れに染まりきろうとしていた。
「前にも言ったろ。オレが追い出されたのは、オレが使えなかったからだ」
でも、
——栞は多分……、ううん。絶対に逃げたいって思ってるって
そう言った彼女は、裏切ってなんか、ない。
「そもそも、ヴォルフとか居るだろ。上の方針とか気にするなって」
如月栞は、よく分かんないけど、本当にギリギリだった。




