第97話 エレイナス・クロニカ
エレイナス・クロニカ
エレイナスの中央の山につけられた名前だ。
その中腹に突き出た岩の建築物がある。
その門の前に五人が立った。
オレは門に近づいた。
「あ、この門!」
オレは思わず声を上げた。
「知ってる。国立西洋美術館で見たことある! えっと、門の上にめっちゃ中二病的な言葉が書いてるんだよっ」
そこで、自動翻訳が走った。
門に刻まれた文字が、頭の中に直接流れ込んでくる。
『ここに入る者は一切の希望を捨てよ』
「そうそうそう! これこれぇ! すっげぇ、完成度たけぇ……」
「駆。その言葉はあまりに物騒だぞ」
「物騒というより、監獄だものね。栞さん、こんなところに」
異世界には似たようなものが、偶にある。
これもその一つ。かも知れない。
だって、並行世界だ。
「大丈夫だよ。これはオブジェだから。 行ったことないの? 美術館」
「行ったよ。美咲と……じゃなくて、だな。押すなよ。絶対に押すなよ」
「誠司。その言葉はメタ男には」
そりゃ、押すでしょ。
「ほら。ちゃんとくっついて……」
ぎぃぃぃ。
「ひ……」
重々しい音を立てて、門が開いた。
オレは固まった。
むせ返るような腐臭が、冷たい風と共に吹き出してきた。
暗闇の中に、異形が折り重なっていた。
「コメディじゃないんだぞ。リアルだ、ここは」
「と言っても、行くしかありませんけどね」
「アンデッドか。 しかも……きついな」
ヴォルフも唸る。
ただのアンデッドじゃなかった。
骨と肉が腐り落ちたグールの大群が、飢えたよだれを垂らしながらひしめき合っている。
その後ろには、赤い目を光らせた巨大なワーグの群れ。
さらに奥には、青白い死の炎を纏ったスヴァントウルブズが、地獄の番犬のように牙を剥いて列をなしていた。
大群だった。
端が見えない。奥が見えない。ただ、無数の目が、こちらを見ていた。
すると、四人がアイコンタクトした。
オレにはその目が向けられなかった。
「え? なに?」
「てめぇは正面の敵は苦手だろうが」
ヴォルフが言った。
「た、確かに……」
リーフが無言で頷いた。
「そうなのか」
誠司が言った。
「そうでしたの?」
蹴鞠も言った。
「あ……うん。正面突破って苦手で。逃げるしかないし」
次の瞬間、誠司さんと蹴鞠がアイコンタクトした。
「ヴォルフ」
「リーフ」
二人が同時に名前を呼んだ。
「今後、駆のスキルについて、口にしないようにして」
ヴォルフが一瞬黙った。
「ちげぇねぇ」
リーフが素直にこくりと頷いた。
オレはそのやり取りを聞いていた。
「た……しかに」
オレは言った。
「オレのスキルがクソ雑魚ってバレたら……実際、クソ雑魚だし」
すると、四人が肩をすくめた。
「来たぞ。アンデッドだ」
アンデッドの波が、押し寄せる。
先陣を切って飛び出してきたのは、飢えたグールの群れだった。
「シッ!」
誠司が前に出た。
彼の持つ重厚な盾が、グールの鋭い爪を完璧に弾き返す。
ただ防ぐだけじゃない。パリィの要領で敵の体勢を崩し、そのガラ空きの首筋に短剣を正確に突き立てる。
無駄のない、流れるような美しい盾術だった。
だが、一体倒せば二体来る。
二体倒せば四体来る。砦の奥から、奥から、奥から、波のように押し寄せてくる。
「邪魔ですわ!」
蹴鞠が跳んだ。
羽のような身軽さで巨大なワーグの頭上を取り、落下と同時にドレスのフリルとパニエに超質量を乗せて振り下ろす。
ドンッ!
エインハラの闘技場を沸かせた一撃が、ワーグを石床ごと粉砕した。
破裂したワーグの亡骸を踏み台にして、彼女は再び宙を舞う。
血肉に塗れながらも、その姿は死の舞踏会を踊るように華麗で凶悪だった。
「オラァッ!」
ヴォルフが吠えた。
元々身体能力の高い現地民。
野性的な闘争本能を完全に剥き出しにする。
迫り来るスヴァントウルブズの青白い炎を恐れず、真っ向から組み付いた。
丸太のような腕で死霊狼の首を締め上げ、そのまま別のアンデッドの群れへとボーリングの球のように投げつける。
「……吹き飛んじゃえ」
リーフが呟いた。
彼女の華奢な体からは想像もつかない巨大な大斧が、暗闇の中で銀色の円を広げた。
凄まじい遠心力。間合いに入ったグールもワーグも、文字通り真っ二つに両断され、宙を舞う。
無表情のまま、リーフは血の雨を降らせながら大斧を振るい続けた。
「多いな」
誠司の盾が軋んだ。
蹴鞠のドレスの裾が千切れた。
リーフの軽鎧に爪痕が走った。
ヴォルフの軍服が引き裂かれた。
「この程度か? 勇者様ってのは」
「まだまだですわ」
それでも、四人は躍動し、死者の波を力ずくで押し返していた。
オレが入る隙なんて微塵もない、完璧な大立ち回りだった。
だが、途中だった。
奥の暗闇が、うねるように動いた。
アンデッドの波が、怯えるように左右に割れる。
「ラミア」
奥から声が聞こえた。
上半身が熊、下半身が蛇という、悪夢を具現化したような異形が現れた。
「グリフォン」
また、聞こえた。
翼を持つ狼が、高い天井を蹴ってオレたちの頭上を飛んだ。
「スレイプニル」
子供のような声だった。少なくともこれらの化け物が喋ってるんじゃない。
六本足の狂った馬が、石床を粉々に砕きながら一直線に突進してきた。
誠司がラミアの剛腕に弾かれた。
リーフがスレイプニルの突進を受けて吹き飛んだ。
「なんだ……そいつらは」
ヴォルフが呻いた。
蹴鞠の体が、一瞬固まった。
ソスピロ山。あの夜の山道。自分たちを無惨に蹂躙した、あの化け物たち。
蹴鞠は、破れたドレスの裾を引きちぎり、構え直した。
「汚らわしい」
声が、地を這うように低かった。
「覚えてますわ。ソスピロ山ぶりですわね」
誠司も吹き飛ばされた体を起こした。
一瞬固まり、そして盾を強く握り直した。
ラミアの丸太のような熊の剛腕が、大気を震わせて振り下ろされる。
「やってやる!」
誠司さんが盾で受け止める。
だが、その凄まじい膂力に、両膝がメキリと音を立てて石床に沈み込んだ。
そこへ蛇の下半身が鞭のようにしなり、死角からカバーに入ろうとしたヴォルフの腹を打ち据える。
そして、壁際まで一直線に吹き飛ばした。
「ぐはッ……!」
スレイプニルが六本の脚で狂ったステップを踏む。
速すぎる。しかも、軌道が全く読めない。
リーフの大斧が空を切り、逆に馬の前蹴りを胸にモロに受けた。
彼女の小さな体がボロ布のように転がった。
頭上からはグリフォンが急降下してくる。
蹴鞠が跳躍して迎撃しようとするが、狼の頭を持つ怪鳥は空中で鋭く軌道を変えた。
すれ違いざまに巨大な爪で蹴鞠の華奢な肩を深く切り裂く。
「くぅっ……!」
血が舞った。
オレは立ち尽くしていた。
「強すぎる……!」
先ほどのただのアンデッドの群れとは、次元が違った。
個としての暴力の桁が外れている。
だが、四人の目は決して死んでいなかった。
「ヴォルフ!」
誠司が血を吐きながら叫んだ。
沈み込んだ膝をバネにして立ち上がり、盾の角度を絶妙にずらす。
ラミアの二撃目の剛腕を『受け流し』、化け物の体勢を大きく前へのめり込ませた。
「オラァッ!」
壁を蹴って復帰したヴォルフが、ガラ空きになったラミアの蛇の胴体に獣の如く食らいつく。
鋭い牙と爪で分厚い鱗を、力任せに引き裂く。
その一瞬の隙に、誠司がラミアの喉笛に短剣を深々と突き立てた。
「吹き飛べぇっ!!」
リーフが口元から血を流しながらも立ち上がり、大斧で馬ではなく足元の石床を粉砕した。
爆発のように飛び散る破片が、スレイプニルの六つの視界を奪う。
その一瞬の死角。華奢な体が独楽のように回転した。
凄まじい遠心力を乗せた大斧が、六本足の狂馬の首を綺麗に刎ね飛ばした。
そして蹴鞠。
彼女は肩から血を流しながらも、落下するグリフォンの遥か上空、闘技場の天井近くのアーチを蹴っていた。
「潰れなさい!」
超質量を宿したドレスが、空中で極限まで膨れ上がる。
隕石のような落下攻撃がグリフォンの背中に直撃した。
ドォォン!という落雷のような轟音と共に、石床ごと怪鳥の全身をミンチに変えた。
オレは息を呑んだ。
やった。倒した。
四人は肩で激しく息をし、血まみれになりながらも、その場に崩れ落ちた三体の異形を見下ろしていた。
だが。
——グジュッ、ゴォボッ。
ひどく嫌な音が、暗闇に響いた。
オレは目を疑った。
石床に散らばったラミアの血が、意思を持っているかのように逆流し始めたのだ。
刎ね飛ばされたスレイプニルの首が、見えない糸に引かれる。
胴体へと引き寄せられ、切断面がヌチャリと音を立てて癒着していく。
蹴鞠に叩き潰されたはずのグリフォンの肉片が、ボキボキと不気味な音を立てながら、元の骨格へと異常な速度で組み上がっていく。
「……嘘だろ」
オレは後ずさった。
数秒前まで確実な死体だった異形たちが、何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がる。
傷一つない、完全な状態で復活した。
元々、生きても、死んでも居なかったのかもしれないと思った。
ラミアが咆哮した。
スレイプニルが石床を蹴った。
グリフォンが翼を広げた。
誠司が絶望的な目で盾を構え直し、蹴鞠が荒い息を吐きながら悔しげに唇を噛んだ。
その時。
奥の暗闇から、ズルズル、グルグルというおぞましい音が聞こえた。
大蛇が十匹、ウロボロスのように絡み合い、巨大な肉の玉座を形作っていた。
その上に、小柄な人影が座っている。
浅黒い肌。黒髪。細身。目だけが、ひどく退屈そうに据わっていた。
「えーなんでぇ、こんなに来るの」
選帝侯、ヴコルだった。
台座のウロボロスをぽんぽんと叩きながら、あくびをするような間延びした声で言った。
「ユノのやつ……また、面倒くさがって」
誰も答えなかった。
戦いは続いた。
終わらなかった。
どれだけ倒しても、どれだけ押し返しても、アンデッドは来る。
キメラは来るのだ。
ウロボロスの台座の上で、ヴコルが退屈そうに頬杖をついていた。
しばらくして、ヴコルが口を開いた。
「もう飽きた」
あっさりした声だった。
「諦めて帰って」
「諦める?」
誠司さんが言った。息が上がっていた。でも声は平坦だった。
「何を言っている」
「何を言ってやがりますの」
蹴鞠が続けた。ドレスが半壊していた。でも目が死んでいなかった。
リーフが斧を握り直した。
「リーフたちはここで」
ヴォルフが、背後にいるオレの方を見た。
「駆、行ってこい。それまで持ちこたえる」
オレは目を剥いた。
「へ? オレ?」
オレ、何もしてなかったけど?
出来ることと言ったら、思いつくのは——




