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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
第四章 神聖ドミナス帝国

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第96話 エレイナス山の中腹

 ベラードを出てから、半日が経った。


 都の影が南に薄れていく。エレイナス山脈が、正面に見え始めていた。

 遠い。でも確実に近づいている。

 灰色と白が混ざった山肌が、空の端に張り付いていた。


「栞は逃げたがってる……」


 駆が歩きながら言った。独り言のような声だった。


「凛から聞いた。絶対に逃げたいって思ってるって」


 誰も答えなかった。それで十分だった。


「エレイナス山の中央って」と誠司が言った。


「踏破不可で、諦めた場所だろ。確かそんな話を聞いた。行けるのか」

「西側はそこまでじゃねぇよ」


 ヴォルフが鼻を鳴らした。


「東と北は死ぬ。でも西から入れば、ルートがある。狭いけどな」

「狭いって、どのくらい」

「二人並んで歩けるくらいだ」


 誠司が微妙な顔をした。ヴォルフは「行けるって言ってんだろ」と続けた。


「リーフちゃん、次は何が食べたい?」


 蹴鞠がリーフを抱えながら、にこにこしながら聞いた。


「リーフはお肉」

「まぁ! 育ち盛りですもの。どんなお肉が好き?」

「なんでも。骨ごとかぶりつくやつ」

「あらあら、リーフはわんぱくなのね」

「うん。リーフは食べざかり」

「ってそこ!」


 駆が振り返った。


「さっきからうるせぇって! 見つかる度に囮で走らされるのはオレなんだぞ! 山に入る前に体力温存しろ!」


「でも駆様、リーフちゃんが可愛くて」


「関係ねぇ!」


 ヴォルフが鼻を鳴らした。誠司が苦笑いした。リーフはフリルの中から顔だけ出して、小さく首を傾けた。


 結局、蹴鞠が街外れの屋台で肉を買った。

 リーフが骨ごとかぶりついた。

 蹴鞠が「まぁ!」と言った。

 誠司が苦笑いした。

 ヴォルフが「俺の分は」と言って蹴鞠に睨まれた。

 リーフが半かけ、駆に差し出した。


「リーフはいいのか」


 リーフは小さく頷いた。

 オレは受け取ってかぶりついた。

 

 その時だった。

 風が変わった。

 肉の香ばしい匂いの中に、冷たい空気が混ざった。鼻の奥が、ひりりとした。

 全員が顔を上げた。

 エレイナス山脈が、目の前にあった。



 そこは雪だった。

 とんでもない量の雪だった。

 エレイナス山脈に足を踏み入れた瞬間、世界が白くなった。

 風が横から来る。足元が沈む。息が白い。

 ヴォルフがイヌイットのような格好をしていた。毛皮を何枚も重ねて、顔の半分まで覆っている。それでも歯の根が合っていない。ガチガチと音が漏れていた。


「ヴォルフ、大げさだぞ」


 オレは言った。

 ヴォルフがオレを見た。オレのパーカーを見た。誠司の服を見た。蹴鞠のドレスを見た。


「……てめぇらがおかしいんだろ」

「何言ってんだよ」とオレは言った。

「リーフなんか軽鎧で——」


 リーフを見た。

 蹴鞠がリーフをぬいぐるみのようにぎゅっと抱きしめていた。

 リーフの頭が蹴鞠のドレスのフリルに埋まっている。


「たしかに、ほぼ蹴鞠のドレスの一部みたいになってるけど」

「小柄で可愛らしい。放っておけませんわ」


 蹴鞠は満足そうだった。

 リーフはフリルの中から顔だけ出した。


「リーフは大丈夫。ワルキュラ人は寒さに強い」


 力の抜けた声だった。

 ヴォルフがガチガチしながら言った。


「……羨ましい」


 五人は雪を踏みながら歩いた。

 ヴォルフだけがガチガチしていた。

 しばらくして、ヴォルフが口を開いた。歯の根を何とか噛み締めながら。


「マリアは恐ろしい、とだけ言われている」


 ヴォルフが言った。道を歩きながら、淡々と。


「何が恐ろしいのかは分からない。ただ、恐ろしい。それだけだ」

「具体的には」

「俺も知らない。帝国の兵ですら、そう言う」


 オレはそれを聞いて、余計に不安になった。


「ただ」とヴォルフが続けた。


「マリアには夫がいる」

「夫」

「ルイス。ヴァルシア王国の第一王子だ」


 オレは足を止めた。


「……ヴァルシアって、旧王国の?」

「ああ」


 蹴鞠が扇子を開いた。


「つまり」と蹴鞠は静かに言った。


「王国は本当に飲み込まれたということですわ」

「王位継承権を持つ第一王子が」と誠司が続けた。


「選帝侯家に婿入りした。それが意味することは——」


「いや」とオレは言った。


「王位継承者が婿に入ったからって、王国はなくならんだろ」


 蹴鞠が扇子を止めた。

 誠司が目を閉じた。


「……草生えますわね」

「駆」と誠司が言った。


「王位継承権ってのはな、王国の正統性そのものだ。それを持つ人間が帝国側に取り込まれたということは——」

「王国として機能する核がなくなった、ということです」と蹴鞠が続けた。「旗印がない。帰る場所がない。王国という概念が、帝国に吸収された」


「しかも」と誠司が言った。


「祝賀会に王族が誰一人来なかった。覚えてるか」

「……来てなかったのか?」

「理由が分かりましたわ」と蹴鞠が言った。


「来られなかったのではなく、来る王族が、もういなかったのです」


 オレはしばらく歩きながら考えた。

 エレイナスの山が遠くに見える。


「……そういうことか」


 二人が同時に息をついた。


「やっと分かったか」

「漸くお分かりになりましたのね」


「オレはてっきり」とオレは言った。


「王は異邦人の子孫で、悪役だと思ってた。でも、国ってそういう決め事があるのか」


 蹴鞠が扇子を持ったまま、黙った。

 誠司が視線を落とした。


「……それは確かに……ですわね」


 誠司も、何も言わなかった。

 エレイナスの山頂から来る風は、凍てつくほどに冷たかった。



 五人が山道を進んでいた。

 とんでもない量の雪だった。

 エレイナス山の中腹に足を踏み入れた瞬間、世界が白くなった。


 風が横から来る。足元が沈む。息が白い。


 最初に気づいたのは、ヴォルフだった。


「……空が」


 見上げた。

 晴れていたはずの空が、みるみる暗くなっていた。

 黒い雲が湧き出るように広がっていく。

 端から端まで、あっという間に空を覆った。


 雪が、あられに変わった。

 パチパチと顔に当たる。痛い。


「何だ」と誠司が顔を庇った。


 あられが、ひょうに変わった。

 拳ほどの氷塊が空から落ちてきた。

 ヴォルフが毛皮で頭を覆った。

 リーフが盾を構えた。

 蹴鞠がドレスのスカートを広げてリーフを庇った。


「何なんだ!」


 オレは叫んだ。

 その時、斜面の上に人影が立っていた。

 白を基調とした貴族ドレスの裾が、歩くたびにふわりと揺れる。


「え……誰? 偉い人?」


 銀糸で縫い取られた刺繍は、複雑な紋章を胸元に宿していた。

 袖口には稲妻を思わせる細い線が走っている。


「ヴォルフ」

「白い……? いや、まさか」


 白い髪。薄い虹彩。

 アルビノのような白さだった。


「拙は……何者でもない」

「何者でもないってよっ!」

「なわけあるか」


 色素を失った、幸薄な顔だった。

 小柄で、儚くて、今にも消えそうな見た目だった。


「何言ってますの!」

「闘技場にも来てただろ。アレは選帝侯の娘が一人」


 その手が空に向かって開いた瞬間。


 ——空が割れた。


 ドンッと強い衝撃が走った。


 突然の落雷だった。

 山の斜面に、轟音と閃光が突然落ちた。

 雪が蒸発し、岩が砕けた。


「異邦人……見つけた」


 幸薄な声で言った。

 蹴鞠がリーフを一度ぎゅっと抱きしめた。

 それからヴォルフに手渡した。


「リーフちゃんは、何があっても守るんですわよ」

「リーフは戦える」

「ここは止めとけ、リーフ」


 ヴォルフが言った。


「分かった。てめぇら異邦人に任せる」


 蹴鞠と誠司が構えた。


「ちょ。説明しろって」

「ユノ・ド・マテルナーレ」


 空がゴロゴロと唸る。

 雷が連続して落ちた。

 暴風が吹き、ひょうが横殴りになった。


「興味……あり」

「選帝侯の娘ですわよっ!」


 蹴鞠のドレスのフリルが千切れた。

 誠司の上着が焦げた。それでも二人は構えたままだった。


 オレは走った。


「スキル持ちだ……駆!」


 二人の声が背後から来た。


「あ……そか。言ってなかったな」


 オレは振り返らずに言った。


「オレは逃げタンク。これがオレの戦い方だ!」


 また空が割れた。

 猛吹雪が横から叩きつけた。オレの足が止まった。

 前が見えない。体が持っていかれそうになる。


「範囲攻撃、ずるくない? 逃げとか関係ないじゃん!」


 雪山、とても滑る。

 しかも斜面、ソスピロで経験済み。

 そして、後退。


 カチッ。

 カチッ。

 カチッ。


 オレはユノを正面に見据えながら、斜面を滑るように後退した。

 溜まっていく。溜まっていく。


 名付けて──


「ひだりため……みぎ……にゅうりょくっぅぅぅうううう!」


 ユノが手を上げた。


 蹴鞠と誠司に向けて、巨大な稲妻が落ちようとした。

 オレは反転した。雪を蹴った。爆発的な速度で、背後から。


 ユノが振り返った。

 すると稲妻が、消えた。

 吹きすさぶ吹雪が、止まった。


「やめます」


 ユノが言った。色素の薄い目がオレを見ていた。


「拙は運が悪いので」

「は?」


 オレは着地した。雪を踏んだ。

 ユノはオレを見たまま、静かに言った。


「噂で出てたもう一人。やはり闘技場の男」


 一拍置いた。


「拙は気持ち悪いと思います」

「初対面で悪口っ!」


 ユノは続けた。感情を乗せない声だった。


「拙は思います。そのヒョロガリ男と、けばけば女も」


 誠司が固まった。

 蹴鞠が扇子を握った。


「あの雨の日に腐った牛乳を被ったような男を見倣うべきだと」


 全員が黙った。

 ユノは切ない顔をしていた。


 悪意がなかった。


 ただ思ったことを言っただけの、幸薄な顔だった。


 それだけ言って、吹雪の中に消えていった。


 黒い雲が、嘘のように晴れた。

 青い空が広がった。


 雪山の白さが、陽の光を受けて眩しく輝いた。晴天のような景色だった。


 しばらく誰も口を開かなかったが。


「俺が……ヒョロガリ?」


 誠司が呟いた。


「……けばけばとは、失礼ですわね」


 蹴鞠が籠もった声で言った。


「腐った牛乳って何だよ! って、オレだけ二回悪口言われてる……」


 オレは叫んだ。

 空が見えて、街も見えた。

 帝国の栄華が広がっている。


「あの雪、雨、あられ、雷女っ。 運が悪いじゃなくて、ただ口が悪いんだろ!」

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