第95話 異邦人のようで、異邦人ではない
神宮寺玲が前のめりに突っかかった。
「そんなに凄まないで」
滑らかな黒髪の男が手を軽く上げた。
笑顔のままだが、目だけが笑っていない。
「同じ異邦人だと思ったんです。友好的にいきましょう。ステータスの羊皮紙を見せる前に、先に自己紹介してもいいですか」
玲が黙って頷いた。
すると、灰銀の髪を無造作に束ねた女が一歩前に出た。
黒スーツのまま、笑わない顔のまま。
「エルダ。金獅子、隊長。アタッカーだ」
それだけ言った。
金獅子の理由も説明も何もなかった。
銀色の鎧を着た屈強な男が一拍遅れて立ち上がった。
鎧が低く鳴った。胸に手を当てた。真剣な顔だった。
「……エドガーと申します。職業は勇者……ではなく、タンク。副隊長も務めております。よろしくお願いします」
一拍遅れてから、深く頭を下げた。
グレーのパーカーを着た男が立ったまま、滑らかに続けた。
「マルコです。参謀——まあ、頭を使う係ですね。なるほど、噂には聞いてましたぁ。つまり皆さんが」
笑いながら言った。
でも、目が笑っていなかった。
暗い金髪の男が窓の外から視線を戻した。
「ヴァーツラフ。斥候だ。犬が懐いた」
短く言って、また窓の外を見た。
昨日、差し入れの焼き菓子を持ってきた女。
花柄のワンピースを着た小柄な少女がエプロンの端を両手で持った。
少し俯いて、それから顔を上げた。
「……ブリアです。料理担当、で」
少し間があった。
「食べてください」
にこりと笑った。笑うと別人のように柔らかくなる顔だった。
舞が手を挙げた。
「水瀬舞です!踊り子やってます!よろしく!」
「止めろ」
玲の声が食堂に響いた。
舞は訝しむが、一応止まった。
「茶番は止せ」
玲は、自らを金獅子と名乗った五人を見た。
「とにかく羊皮紙だ。異邦人なら持っているんだろうな」
パーカーの男が笑顔のまま懐に手を入れた。
「そうですね。なるほど、では——」
折り畳まれた羊皮紙を取り出した。
マルコと名乗った男が、懐から羊皮紙を取り出した。
折り畳まれた、一見すると普通の羊皮紙だった。
だが、広げられた中身を見て、六人の息が止まった。
くねくねとした線が並んでいた。
文字のようで文字ではない。落書きのようで落書きでもない。
「ちゃんと、持っていますよ」
と言った。
口元は相変わらず滑らかに上がっている。
「でも」
エドガーが一拍遅れて、真面目な声で続けた。
「……互いに読めないから、意味ないですよね」
玲が羊皮紙を見た。
くねくねした線を見た。
——何も起きなかった。
脳髄を直接書き換えられるような、あの気持ちの悪い『自動翻訳』の感覚がない。
ただのインクの染みだった。
玲は顔を上げた。
村田が羊皮紙を見ていた。
眼鏡の奥の目が、微かに細くなった。
舞が羊皮紙を見ていた。呆けたように口が少し開いていた。
美咲が羊皮紙を見ていた。静かに、細く息を吸い込んだ。
剛が羊皮紙を見ていた。大きな手が、テーブルの上でピタリと止まった。
日向が羊皮紙を見ていた。俯いたまま、長い睫毛が揺れた。
六人の視線が、空中で交わった。
言葉はなかった。
あの感覚が、ない。
つまり、目の前の連中が差し出したものは、異邦人の『ステータス』などではない。
適当な落書きを書いた、ただの紙切れだった。
マルコが六人の硬直した顔を見回した。
口元が上がったまま、目だけが氷のように冷たくなった。
「へぇ」
エドガーが一拍遅れて、感心したように深く頷いた。
「……なるほど。そうだったんですか」
ヴァーツラフが短く言った。
「勉強になる。犬も納得してる」
隊長のエルダは黙っていた。
微動だにせず、静かな圧だけを放っていた。
ブリアが、場違いなほど優しく静かに笑った。
「あら。そうだったのね」
互いの腹を探り合う、ほんの数秒の無言の攻防。
玲の「お前たち異邦人なら持っているだろう」というカマかけに対し、彼らは偽物を提示した。
そして、それが偽物だと一瞬で見抜いた六人の反応を見て、マルコたちは本当の意味で、笑った。
「でも、聞いてください。中身はただの紙ですが、装備は本物ですよ」
マルコが事も無げに言った。
六人が、改めて目の前の五人を、——『金獅子』を見た。
玲が目を細めた。
確かに、ただの服ではない。何かが決定的に違う。
エドガーの鎧は遠目にはただの安っぽいコスプレに見える。
だが、近くで見ると素材の繊維が明らかに異質だ。
ヴァーツラフのアウトドアジャケットもおかしい。
この世界では絶対にあり得ない、精密な縫製と防水加工の痕跡がある。
舞も確認し、そして首を傾けた。
コスプレイヤー組は今、彼女しかいない。
そして服飾は、水瀬舞の得意とするところだ。
「本物っぽい……よね」
「確かに……ぽい……ですね」
美咲が静かに言った。
「それに普通の服とは、何か違います」
村田が神経質に眼鏡を押し上げた。
「そ、そうですかね。素材が……新しいだけでは。そ、そうですよ。ここは科学が発展してるんです! きっと、紡績工場なんかもあって」
フィニス王国は正に中世。
ヴァルシア王国の服は中世後半から近世。
帝国はもやは近代。ならば、ありそうではある。
「…………」
日向は黙って、観察していた。
マルコのパーカーを、射抜くように見ていた。
「……?」
グレーの胸元。その右側に、小さなロゴが刺繍されている。
見たことがある。間違いなく、見たことがあった。
「あれ……」
最初は、声にならなかった。
日向は隣に立つ玲の袖を、震える指で静かに引いた。
「どうした」
玲が異変に気付き、日向を見た。
そして、日向の視線を追った。
視線の先に会ったのはマルコの胸元だった。
「あの……ロゴ……」
胸元には、何処かで見たマークがあった。
玲の目が、一瞬止まった。
美咲が静かに口を開いた。
「この世界のモノじゃ……ない……」
マルコのパーカーを見たまま、事実を一つずつ置くように言った。
「そっか……マジッククローゼット」
村田も、大石も、口を開けた。
開いた口が塞がらなかった。
舞が眉を寄せて呟く。
「つまりあれは、かつての異邦人の装備ってこと?」
マルコが黙って聞いていた。口元は上がったままだ。
日向がそのまま続ける。
「ブランドのロゴ、十年前……くらいに流行ったものよね」
一拍置いた。
「どうして」
食堂が、しんと静まり返った。
朝の光だけが変わらず差し込んでいた。
日向が、震える声で言った。
「そんな……」
それ以外は、しばらく誰も言葉を発せなかった。
現代の服を修復し、大真面目に着込んでいる。
彼らの正体に、巨大な絶望感が這い上がってくる。
玲が、ゆっくりと腕を組んだ。
「つまり……異邦人じゃないと。そうだと思った」
「俺も……な」
剛が低い声で同意した。
「ま、まあ……そんなこともあるかも……?」
村田が震える手で眼鏡を押し上げた。
村田がこんな調子だった。
栞がいれば、もっと早くに気付けただろう。
皆、そう思った。
そして、日向はこう思った。奏はもっと早く、気付いていたのかも、と。
「帝国にその技術があって、十二人も召喚できるほどの魔法体系があるなら——」
「大昔に呼ばれた異邦人がいるってことじゃん!」
舞の場違いに明るい声が、食堂に反響した。
「でも、すっごい前でしょ。何年? 五百年とか? 原始人じゃん!」
マルコが笑った。
今度は目も確かに笑っていた。
「はは……原始人」
エドガーが一拍遅れて、「原始人って」と繰り返した。
困惑しているのか、それとも納得しているのか。
全く分からない、本当に真面目な顔だった。
すると、ヴァーツラフが笑う。
「鳥もそう言ってるよ。これは古い血だと」
スーツの女はただ、異邦人を観察していた。
その隣、ブリアが、クスクスと肩を揺らして笑った。
「原始人ですって」
「うーん。何百年を原始と呼ぶかは人それぞれですかね」
マルコが楽しげに繰り返した。
「でもまあ、否定はしませんよ。面白い解釈です」
エドガーも、真剣な顔で頷いた。
「マジッククローゼットがありますからね。確かに……そうですね。歴史的に見れば」
「俺たちの血の大元はそこだ」
ヴァーツラフが言った。
そして、漸く彼女がスッと動いた。
「話を聞いていないのか? 大した話じゃない。それだけの話だ」
エルダが、初めて重い口を開く。
そして、ハッキリと言った。
「我らが主ドミナスは、エレインの子だ」
地を這うような、静かな圧を伴った声だった。
「流石に、分かるよね」
ラトン系の薄黒い肌の男、マルコが頷いた。
五人、全員が頷いた。
「地母神エレインの使徒、異邦人たちなら、ね」
玲が眉をひそめた。
村田が眼鏡を押し上げた。
剛が、日向が俯いた。
舞だけが、首を傾けた。
「え、どういうこと?」
「舞殿。つ、つまり……これはですね……」
村田が動揺している中、美咲が静かに口を開いた。
「ドミナスは、エレインの子……。エレインが生み出した」
一つずつ、パズルのピースを繋げる。
帝国は召喚術に詳しい。それはフィニスの宰相バルドも言っていた。
そして、王国と帝国で大きく違うのは、宗教だった。
「大昔、その時に呼ばれた異邦人が……このドミナス帝国を作った……?」
食堂が再び静まり返った。
朝の光だけが変わらず差し込んでいた。
舞が、まだきょとんと首を傾けていた。
「……え、そういうこと?」
エルダが、音もなく立ち上がった。
「と、いうわけだ。我らが子孫ども」
黒スーツのまま、全く笑わない冷徹な顔のまま言った。
「由緒正しい私たちが、直々に遊んでやろうと言っているのだ」
舞が、学校の授業のように元気に手を挙げた。
「遊びってぇ、結局、戦うんでしょ?」
エルダは答えなかった。
答えないことが肯定だった。
「古来より伝わる、異邦の誇り高き流儀だ」
マルコが立った。滑らかな動きだった。
「一対一」
エドガーが一拍遅れて、横に並び立った。
「……そうですね。それが決闘の作法です」
ヴァーツラフが窓から視線を戻した。
ブリアが静かにエプロンを畳み、花柄のワンピース姿になった。
そしてエルダが、六人を見渡して宣告した。
「先鋒、次鋒、中堅、副将、大将——」
「隊長。向こうは六人で、こっちは五人。人数合いませんけど」
マルコが笑顔で指摘した。
エルダが、ピタリと口を閉じた。
奇妙な沈黙が流れた。
「細かいことは良いんだよ」
ヴァーツラフが、溜め息交じりに打ち切った。




