第91話 四連星は、灰色の悪魔を放り投げる
帝国南部、辺境伯領から少し北に行く。
帝国辺境都市ベラード。
ここから先は、ズュートマルク領ではなく、中央政府が管理している土地となる。
九条蹴鞠が、ユリウスが、言っていた通りだった。
煌びやかな街にへばりつくスラムがあった。
帝国の帳簿に決して載らない、透明な人間たちの吹き溜まりだ。
「見つからないようになさって」
「お前が一番目立ってるけどな」
「いちいち、うるさいですわね。パーカー風情が」
「いいだろ、パーカー」
薄暗い路地の隅、悪臭の染み付いた木箱。
オレは腰を下ろした。
向かいに腕を組むヴォルフ、隣に大斧を背負ったリーフ、そして少し離れたところに誠司と蹴鞠が立っている。
「確かに蹴鞠は有名人だな」
蹴鞠の顔は、既にスラムの底にまで大々的な噂として知れ渡っていた。
誠司も似たようなものだが、蹴鞠よりは顔が知られていない。。
蹴鞠は剣闘士には珍しい女である。
そもそも華がある。ヨトゥンとの戦いで魅せた。
「喜んでいいのか。男として辛いと言うべきか」
誠司は息を吐いて、苦笑いを浮かべた。
「そういえば誠司さん。本当に無事に済んだのかしら?」
「あ……当たり前だろ」
「ん? 何の話だ」
「決まってますわ。あのクソビ——」
「か、駆! そ、それよりもさ」
エインハラ宮殿の闘技場で、超有名になった蹴鞠。
スラムでも、身を潜めないと、簡単に見つかってしまう。
「試合見てたぞ。あのさ、駆のスキルって」
「オレの? 前に言ったと思うけど逃げ」
「あら、誠司さん。その話は」
「あ……そうだった。スマン、忘れてくれ」
オレは首を傾げて、肩をすくめた。
ヴォルフは無表情で、リーフも興味なさそうに二人を眺めていた。
「蹴鞠のことだって、カノープスで偶然仕入れた情報だし、誠司さんがそこにいたのは、マジでラッキーだったけど」
実際、運の要素しかない。
逆にカノープスを通らなければ、どうなっていたことか。
「栞と凜……も似たようにいかないかな」
「……あぁ、済まないな」
誠司がまた土下座をしそうになった。
オレは手で制して、大きく息を吐いた。
「土地勘すらない帝国の見知らぬ大都市。どうやって見つけるんだよ」
久しぶりにリュックに手を入れた。
あの羊皮紙は触らずに、別の羊皮紙に手を伸ばす。
半眼で見つめるも、それはただのゴミ屑だ。
日本語で書かれた詳細な地図。
「奏の直筆。凜と日向なら、喜んで受け取るか」
「奏……」
「そうだよ。ソスピロの裏の砦に捕らえられてたんじゃなかったのかよ」
奏の報告から、余裕で二週間くらい経っている。
とは言え、状況が変わり過ぎていた。
オレは地図をリュックに仕舞いこんで、頭を抱えた。
「オレの任務は、そこに忍び込んで、四人全員を助ける……だ。なんで誠司さんたちだけ別行動になってるんだよ」
すると蹴鞠は、扇子をバチンと閉じて、口を開いた。
「最初から、細かく分けて管理されていたんですの」
「ん……管理って、どういうことだ?」
「砦に着いた直後から、一人ずつ。別々の部屋に隔離されました。牢屋ではなく、無駄に豪華な部屋でしたけれどね」
オレは眉をひそめた。
「帝国は、わたくしたちの身に宿るスキルを把握したかったんでしょう。一箇所に固めておけば、知恵を絞って連携される。だから、分断して一人ずつ観察したんですわ」
そして——
オレはここで漸く知ることになる。
どうして、勇者たちが無事だったのか。
「スキルの把握……?」
「聞いてないのか……?」
「聞いてないって言うか。流れでこうなってただけだし」
「全く。どういうことかしら。奏は知っていたでしょうに」
二人の顔に影が落ちた。
加えて、奏に対して怒っている。
なんていうか……気まずい
「そういうのはいいから。今は二人の捜索だろ」
「確かに、そうでしたわね。 駆が忍び込んでくれたおかげで、わたくしでなく、誠司さんも、運よく外に出られましたし」
そして蹴鞠が続けた。
「ですが、凛と栞については——」
蹴鞠が、重々しく一拍置いた。
「コロッセオには来ておりませんの」
「全く分からないってことか……」
結局、重い……訳ではなかった。
「いや。凛についてだけは分かってる」
オレは弾かれたように顔を上げた。
「あの白金の女——ヴァルラから、直接教えてもらった」
オレはヴォルフを見た。
ヴォルフは特に表情を変えず、静かに頷きを促した。
「ヴァルラが?」
「ああ」と誠司が言った。
「二人きりの晩餐の席で、ごく自然に、さらっと言ってきたんだ。『マクシミリアン家の別邸にいる』と」
「んだと? マクシミリアン……選帝侯の家か」
ヴォルフが低い声で補足した。
「中央領を束ねる、ルカの家族の屋敷だな」
オレは少しの間、思考を巡らせて黙り込んだ。
「わざわざ居場所を教えた理由は?」
「さあな」
誠司は首を振った。
「終始ニコニコしてたけど、真意は全く読めなかった」
ヴォルフが、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「帝国は、異邦人が脱出できないとタカをくくってるんだろうな。だから、居場所を教えようが痛くも痒くもない」
それを聞いて、オレは少しだけ遠い目をした。
「……鳥籠の中で必死に動いてるのを、観察してるってわけか」
「そういうことだ」
「で、栞は?」
誠司と蹴鞠が、困ったように顔を見合わせた。
「それが、彼女の行方だけがまだ分からないんですの」
と蹴鞠が言った。
オレは、意を決して木箱から立ち上がった。
「じゃあ、順番だな。まずは凛を先に見つけて救出する。その後で、栞の正確な場所を聞き出す」
「……そういうことになりますわね」
「マクシミリアン家の別邸、場所は分かるのか?」
「案内する……」
誠司が頷いた。
◇
マクシミリアン家の別邸は、スラムから歩いて半刻ほどの場所にあった。
近づくにつれて、足元の石畳の質が劇的に変わっていく。
不揃いな割れ目がなくなり、雑草が完全に消え、馬車の車輪の轍すら綺麗に均されている。
両脇の建物の高さが上がり、窓枠には繊細な彫刻が施され、壁の色が白く明るく洗練されていく。
スラムの薄暗さと悪臭が、気づけばまるで別世界の遠い話のように感じられた。
「どっかで見たことあるような街……」
「プラハ……に似てますわね」
目当ての別邸は、優雅な通りの突き当たりにそびえ立っていた。
正面の重厚な門は黒鉄製で、複雑な蔦の意匠が細かく刻み込まれている。
周囲を囲む壁は眩しいほどの白い石造り。
本館は三階建てで、屋根の上部には尖った小さな塔が二本立っている。
「金持ち……だな」
「マクシミリアンは現皇帝だ」
「皇帝?! マジ?」
「馬鹿か。叫ぶな」
縦長に切り取られた窓からは、薄い高級なカーテン越しに、温かい燭台の光が微かに漏れていた。
門の左右には、完全武装した衛兵が一人ずつ、微動だにせず槍を持って立っている。
建物全体が、「これ以上近づくな」と無言の圧を放っているような、静かで重苦しい佇まいだった。
「そうは言っても……な」
オレは呆れたように言った。
「これでも、あくまで別邸ですのよ」
蹴鞠が事も無げに言った。
「本邸は、これの何倍も大きいはずですわ」
オレは、門を固める衛兵を遠目に警戒しながら、誠司に聞いた。
「凛が今、確実にここにいるかどうかの確認は取れてるのか?」
誠司が、少し表情を曇らせた。
「それが——」
「週に一度、決まった日にだけ外へ連れ出されたんですの」
蹴鞠が言葉を引き取った。
「わたくしたちと同じ条件だとしたら、週末にスキルの測定を行っているのでしょうね」
「また、スキルか……」
「どんなスキルが宿っているか、限界はどこまでか。一人ずつ順番に、モルモットのように」
「だから……」
誠司が辛そうに言った。
「他の二人が普段、正確にどこに幽閉されているか、正直俺たちにも分からないんだよ。俺があってたのは蹴鞠くらいだ」
「ええ。わたくしもですわ」
蹴鞠は重く頷いた。
「ですから、凛が今この瞬間、あの別邸の中にいるかどうか、確証はありませんの」
オレは、重い鉄の門を睨みつけた。
ヴォルフが、フッと鼻を鳴らした。
「あれだけガチガチに警備してるってことは、今は重要な『何か』が中にいるってことだろ」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
オレが何かを言う前に、ヴォルフは動き出していた。
「リーフ、行くぞ」
「うん」
「……は? なんでリーフ?」
オレは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「妹に似てるっつったろ」
ヴォルフは振り返りもせずに言った。
「帝国人っぽいんだよ。度胸が据わってる分、お前よりは怪しまれねぇ」
「それはそうだけど」
リーフが、文句も言わずに大斧を背中に回し、ヴォルフの隣にちょこんと並んだ。
小柄で薄い体躯と、感情の読めない真っ直ぐな目。
なるほど、確かに路地裏から迷い込んだ帝国の子供に見えなくもない。
「行ってくる」
二人は、何気ない、まるで道に迷った兄妹のように自然な足取りで門に近づいた。
衛兵の一人が鋭く槍を構えかけたが、すぐにスッと下ろした。
見上げたリーフの幼い顔を見たからだ。
ヴォルフは、片言混じりの下品な帝国語で何か気さくに話しかけた。
衛兵が、警戒を解いて笑った。
リーフが無表情のまま、言われた通りに小さくこくりと頷いた。
衛兵がまた大声で笑った。
遠く離れたオレたちには、会話の内容までは聞こえない。
誠司が腕を組んでハラハラしながら見守り、蹴鞠が広げた扇子で口元を隠して目を細めていた。
しばらくして、何事もなかったかのように二人が戻ってきた。
「いたぞ」
ヴォルフが短く言った。
「は? 今の何処にそんな話があった?」
「三階の東側の部屋だ。あそこだけ不自然に明かりがついてる」
流石は元・帝国兵……と。
「西側にも兵士がいた。でも、感じからして違う。ヴォルフの言う方に、軟禁されてる誰かがいる。 さっき、女の人も見えた」
流石は。
ヴォルフの妹に似た、エインヘリヤルだ。
オレは、別邸を真っ直ぐに見上げた。
三階の東側。縦長の窓の奥に、薄い光が確かに見えた。
問題はその間に、庭と塀があることだ。
塀を乗り越えて、庭を走り抜けて、壁をよじ登る。
肯定が多すぎて、流石に兵士に見つかってしまう。
「夜まで待つ……とかか? でも、夜がどうなってるか。凜がいるかも……」
誰も即答しなかった。
全員が、無言のまま別邸をじっと見上げた。
強固な白い石壁。突破不可能な鉄の門。そして、三階の東側の窓。
「そもそも、さ。鉄格子もないし、凜は。お前達だってあそこからなら飛び降りられるんじゃね?」
すると、だ。
妙な言葉が、蹴鞠と誠司から発せられた。
「お前とは違うんだよ」
「アナタとは違いますのよ」
オレは首を傾げた。
「ちげぇねぇ」
ヴォルフが、腕を組んだ。
リーフが、壁の高さを測るように見た。
誠司が、壁とオレを交互に見た。
蹴鞠が、壁を見て、それから——ニッコリと、オレを見た。
「え……なんか嫌な予感が」
全員の視線が、ほぼ同時に頷いた。
「三階だが、大丈夫だろ」
「そうですわね」
「ああ」
「そうだね」
恐ろしいほど息ぴったりに。
「では」と誠司が、不退転の決意を込めて言った。
「いくぞ」
スッ、と。
蹴鞠が、音もなくオレの隣に立った。
「……へ?」
ガシッ。
両脇を背後からホールドされた。
「ちょ、待てって! 蹴鞠!? 何をする気——」
誠司が、素早く壁際に駆け寄り、膝を落として両手を組み「完璧な足場」を作った。
そこにリーフを担いだヴォルフが飛び込んだ。
「……って、なんだ。ヴォルフとリーフがやっぱり乗り込むのか。確かに二人なら、帝国人の中に?」
だが、ヴォルフのとんだ角度がおかしい。
誠司が上に跳ね上げたのは分かる。
真上に飛んだ?
そこから真上に、リーフを投げても……
その瞬間、オレの脳が悲鳴を上げた。
蹴鞠が、ホールドしたオレを抱えたまま、誠司という足場を思い切り踏み抜いた。
更に
「ヴォルフも踏み台にした?」
流石は跳ねるが吉っ!
「リーフまで踏み台にっ?!」
蹴鞠のスカートの裾が、爆発的な音を立てて空気を引き裂いた。
「ジェットストリームアタックっ! ですのよっ!」
「そっちは踏み台にされたヤツの方ッ!」
——バァァァン!!
オレのツッコミも虚しく、暴力的な速度で遥か上空に、蹴鞠とオレは跳ね上がった。
そして空中、最高到達点に達した瞬間。
蹴鞠の持っていた扇子が、信じられないほど雑に、オレの背中へ向かって強烈に振られた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
灰色の悪魔はこりごりだぁぁぁあ!
と思ったのはほんの一瞬だった。
ゴンと鈍く、痛々しい着地音が響いた。
気付くと三階の窓の桟に、オレはセミのようにしがみついていた。
震える首を回して、下を見る。
誠司たちが、豆粒のように遠い。
「……え、ちょっと待って。オレ一人!?」
既に四人の姿はなかった。
「説明がなさすぎるっ!!」
路地の遥か遠くの方で、蹴鞠の扇子を畳む『パチン』という乾いた音だけが、非情に響き渡った。




