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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
第四章 神聖ドミナス帝国

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第90話 世界の頂上の晩餐会

 干し草の乾いた匂いがする。

 打ち捨てられた納屋。

 そこに、奇妙な沈黙が生まれていた。


 壁一枚隔てた外はまだ騒がしかった。

 あの歴史的なコロッセオの半壊という前代未聞の事件で、帝国の街全体が蜂の巣をつついたように浮足立っている。

 だが、そんな喧騒をよそに。


 蹴鞠は、リーフの姿を穴の開くようにじっと見つめていた。


 先ほどの自己紹介が終わってから、ずっとだ。

 無造作に結われた後ろ髪。小柄な体躯。一見すると戦いとは無縁に見える、ひどく華奢な少女。

 だが、その背中には、彼女の身長とほとんど変わらない、禍々しくも巨大な戦斧が背負われている。


「……ロマンですわ」


 蹴鞠が、恍惚とした表情でぽつりと呟いた。


「小柄で可愛らしい少女に、巨大な斧。まさに王道のロマンですわ」


 リーフは、小首をこてんと傾げた。


「ロマン……?」

「ええ、そうですわ」


 蹴鞠は素早くリーフの隣へ移動した。

 そして、そのまま流れるような動作で、リーフの細い腕をガシッと取った。

 しっかりとホールドして、離さなかった。

 リーフは「えっ」と不思議そうな顔をしたが、特に振り払うこともなく、蹴鞠のなすがままにされていた。


 駆は、その異様な光景を見て目を丸くした。


「おい、蹴鞠。今、何て言った?」

「小柄で可愛らしい少女に、巨大な斧。そして盾。わたくしが待ち侘びていた異世界ロマンですわ」


 リーフの目が丸くなった。


「あーそれ。オレもリーフの前で同じこと言ったぞ」


 数秒の間があった。

 蹴鞠の団扇が開いた。


「あまりにも遅すぎますわね。室町から続く、栄えある九条家の伝統ですわ。当時から続く、室町ロマン」

「……」


 数秒の沈黙があった。


「嘘下手か!」

「やかましいですわ!」


 二人の漫才のようなやり取りに、緊張が解けたのか、誠司が小さく噴き出して笑った。

 ヴォルフが「遊んでる場合か」とばかりに、わざとらしく大きく咳払いをした。


「で。ここからどうする。いつまでもこんな納屋に隠れてるわけにはいかねぇぞ」


 蹴鞠は、なぜかリーフの腕を離さないまま

 リーフもそのままで、コスプレイヤーは真面目な顔に戻って口を開いた。


「一つ、隠れ場所の心当たりがありますわ」

「どこだ」

「わたくしとしては、非常に不本意な場所ですけれど」


 蹴鞠は、まるで汚物を口にするように顔を顰め、言いにくそうに告げた。


「スラムです」


 誰も笑わなかった。


「帝国に着いて、ユリウスの屋敷からエインハラ宮殿へ移動する馬車の中から、その異様な光景を目にしました。それから……ユリウス自身の口からも聞きました。この街は『歪』だと」


「歪、か」と駆が呟いた。


 ってか、ユリウスってあのチート野郎か


「ええ。スキルを持たない無力な者たちが容赦なく追いやられる、掃き溜めのような場所ですわ。多民族が、華やかな都市の外縁にへばりつくようにして暮らしている。帝国の戸籍や帳簿には決して載らない、透明な人間たちの集落です」


 ヴォルフは、腕を組んで黙って聞いていた。


「なるほどな。そういう無法地帯なら、見知らぬ顔が何人か増えても、誰も気に留めない。衛兵の巡回もなく、帝国のお触れが回るのも遅い」


 珍妙だが、あっという間に打ち解けた蹴鞠を見て、誠司は居住まいを正した。


「賢いな、蹴鞠」


 蹴鞠は、いつものように「当然ですわ」とふんぞり返ることはしなかった。

 ただ、僅かに唇を不快そうに結んだ。

 高貴な自分がスラムへ足を踏み入れることが、どうしても不本意だという顔のままだった。

 もちろん、リーフの腕はまだ離していない。


 リーフは相変わらず「なんで腕を掴まれてるんだろう」と不思議そうな顔をしていた。


「決まりだな」


 ヴォルフが、重い腰を上げて立ち上がった。


「案内を頼む」

「……分かりましたわ」


 蹴鞠は一瞬、覚悟を決めるように目を閉じた。

 そして立ち上がった。

 どんなに過酷な状況でも、これから泥水の中を歩くのだとしても、定規を当てたように美しく伸びていた。


 蹴鞠は、リーフの腕を引いてズンズンと歩き出した。

 リーフは「あ、はい」となすがままに、とことことついていった。



 帝都マグドミナの議場は、季節を問わずいつも底冷えがするほど寒い。


 それは、権威を示すために作られた石造りの天井があまりにも高すぎるせいだ。

 巨大な暖炉を三つ同時に焚き上げても、熱は無情にも上部へと逃げてしまう。

 部屋の中央には、重厚な円卓と七つの椅子が配置されている。

 その一つひとつに、この広大な大陸で最も重く、最も呪われた「選帝侯」の血を持つ若者たちが座っている。


 分厚い壁と廊下を一本隔てた大広間からは、陽気な笑い声が聞こえてくる。

 銀の食器が触れ合う音。極上のワイングラスが重なる音。


 彼らの親である「本物の」選帝侯たちが、優雅な晩餐を楽しんでいるのだ。

 彼ら親世代が酒を飲み交わしている間、子供たちに帝国の未来の舵取りという面倒な実務の「会議」を丸投げして。


 ヴァルラは、冷たい卓上で優雅に指を組み、ゆったりと息をついた。


「エインハラの件ですがぁ」


 前置きはそれだけだった。

 続きは、円卓を囲む全員がすでに報告を受けて知っている。

 千年を誇る闘技場の支柱が二本、跡形もなく消し飛んだ。

 観客席に巨大なヨトゥンが叩き込まれ、大勢の死傷者が出た。

 南部の覇者ランルフが激怒して怒鳴り散らした。


 そして何より——捕らえていた異邦人が、三人もまんまと姿を消した。


 現在、帝国の手中に残っている異邦人は、ユリウスの屋敷にいる栞。

 そしてガラスの向こうにいるルカの屋敷にいる凜。


 半分が欠けた。


「……情報にない、異常な異邦人だった」


 ユリウスが、苛立ちを隠せない様子で腕を組んで言った。

 彼の美しい銀色の髪が、燭台の炎を跳ね返して冷たく輝いている。

 彼は怒っているというより、自分の予測が外れたことが純粋に面白くないという顔をしていた。


「俺の最大重力下でああも自在に動かれるとは思わなかった。素直に認める」


 負けを「認める」と言ってのけるのが、ユリウスという男の強さだとヴァルラは密かに評価している。

 敗北を直視できない者は、次の盤面で活かせない。

 ただしユリウスの場合、素直に認めた上で、「じゃあ次はどう潰すか」と考えるだけ。


「まんまと逃げられちゃったんでしょうぅ?」


 ヴコルが、卓に頬杖をついたまま退屈そうに言った。

 子供が長ったらしい大人の説教を聞かされているような、間延びした声だ。


「すぐに追わなくていいんですかぁ? 強いおもちゃ、もったいない」

「異邦人に逃げ場などない」


 北領の重騎士、シグルドが冷徹に会話を断ち切った。

 彼がわずかに身じろぎするたび、分厚い鎧が重厚な金属音を立てる。


「逃げたところで、袋の鼠だ。我々には時間がある。焦って兵を動かす必要はない」

「そうですねぇ」


 ヴァルラが、甘い声で相槌を打つ。

 シグルドはちらりとヴァルラを睨むように見て、また前を向いた。 


 ユノは、円卓の端で空気のように静かに座っていた。

 彼女の病的なまでに白い髪が、燭台の光の中で透けて溶けてしまいそうだ。

 彼女はいつもそうして座り、最後に多数決で小さく頷くだけの存在だった。


「ヴァルシアの状況は」


 唐突に、マリアが透き通るような声で言った。

 その瞬間、議場の空気のトーンが一段階、重く変わった。

 ヴァルラだけがその微細な変化に気づいて、視線を少しだけ動かした。


 円卓の外。

 壁際の一番暗い椅子に、ルイスが座っている。

 彼は正式な選帝侯の子ではない。

 この会議における発言権もない。

 ただ、マリアが「彼をここに置く必要がある」と一言言えば、誰も異を唱えられない。

 それが、「ドミナス教の母」というマリアの持つ異常な権威の重さだった。


 ルイスは、彫像のように姿勢よく座っていた。

 帝国の地味な室内着を着せられていても、だ。

 ヴァルシア王国の王子として受けた洗練された教育。

 それと骨格の美しさは、隠しきれていなかった。


「フィニス王国の進軍が、現在も続いています」


 ルイスの声は平坦だった。

 一切の感情を乗せないという訓練を、彼はこの帝国でマリアの調教によって積んだ


 ヴァルラはそう推測している。


「旧領の都市は、ほぼすべてフィニス軍によって解放されました。民は彼らを救世主として歓迎している、と現地の工作員から報告が上がっています。……旧王族の動向や安否を問う声は、今のところ、ありません」


 『今のところ』という言葉尻にだけ、ほんのわずかに血の通った重さがあった。

 マリアは、聖母のような慈愛の表情をピクリとも変えない。

 変えないが、白魚のような指先が卓の上で一度だけトントンと叩かれた。

 それに気づいたのはヴァルラだけだった。


「王族が一切姿を見せないという異常事態を、愚かな民はどう解釈していますか」


 マリアが、冷酷な質問を続けた。

 ルイスは、答える前に一拍だけ、呼吸を置いた。


「……死んだか、あるいは無様に帝国に囚われているか。そのどちらかだと思っているでしょう」

「では、どちらが私たちにとって都合がいいですか?」

「マリア様のご判断に従います」


 即答だった。

 一片の迷いもない、完璧なロボットのような返答。

 ヴァルラはそれを見て、少しだけ、本当にほんの少しだけ、このかつての王子が可哀想だと思った。

 いや、可哀想というより、その魂の形が「重い」のだ。

 マリアというただ一点のみに向かって歪められた心の重力だ。

 物理を操るユリウスのスキルよりも、よっぽど質が悪い。


 ルカは、相変わらず何も言わなかった。

 七つの椅子の中で最も若く美しい顔が、卓の上のどこか遠い一点をぼんやりと見つめている。

 会議の内容を必死に考えているのか、それとも全く聞いていないのか、外からは一切判別できない。


 『読み解くが吉』


 その恐るべき力が内側に向いて思考の深淵に潜っている時、彼は完全な沈黙の抜け殻に見える。

 ヴァルラはその特性を知っているからこそ、ルカには決して余計な言葉をかけない。

 繊細なガラスは、無闇に叩けば割れる。


 割る必要がない時に、好んでガラスを叩く者はいない。


「では」


 ヴァルラが、会議を終わらせるためにゆっくりと立ち上がった。


「エインハラ宮殿の後始末と民の不満の鎮圧は、引き続きランルフに押し付ける。逃げた異邦人の追跡は、一旦保留。ヴァルシアの監視はこれまで通り継続。異論はありますぅ?」


 七つの椅子が、それぞれの思惑の重さを引きずるように、静かに後ろへ引かれた。


 ルイスだけが、最後まで席を立たずに座っていた。

 マリアが手を差し出すと、漸く彼はその手を取り、立ち上がった。


 シグルドが立ち上がりながら、視線をルカの方へ流した。

 ルカはまだ立ち上がらず、ガラスの向こう側で、どこか遠い世界を見つめたままだった。


「……あの本を動かしたのは」


 シグルドが、誰に向けるでもない低い声を、冷え切った空気に落とした。


「必要だったんでしょぉ?」


 ヴァルラが、振り返りもせずに背中越しに答えた。


「捕らえた異邦人の娘のスキルと底を、正確に見極めるために。それはあなたも分かっているでしょう、シグルド。あたくしが聞きたいのは、その後の話です。ルカはちゃんと、あの本をマリアに返した。それも込みで、最初から計画のうちだったはずですよねぇ?」


 シグルドは黙った。否定はしなかった。


「そうだ」と、しばらくしてから認めた。


「だが」


 分厚い鎧が、不吉な予感を含んで低く鳴った。


「あの本は、我々の手で軽々に動かしていい代物じゃない」


 マリアが、議場の巨大な扉の前でピタリと立ち止まった。

 振り返らない。


 ただ、慈愛に満ちた、しかし絶対零度の声で静かに言った。


「主ドミナスは、無限の寛容な心で迷える人々を導いたとされています」


 誰も、その言葉に口を挟めなかった。


「……寛容は、とても大切なことですよ。あなたたちも、ゆめ忘れないように」


 それだけ言って、マリアは静かに扉の向こうへと出て行った。

 後に残されたユリウスが、苛立たしげに腕を組んだまま、高すぎる石造りの天井を睨みつけた。


「シグルド。北の方の『勇者』はどうなっている。いつまで放置するつもりだ」

「予定通りだ。あの金獅子のやつらが、これから対応する」


 それ以上の言葉は、誰からも発せられなかった。

 冷え切った議場に残ったのは、揺らめく燭台の火と、重苦しい沈黙だけだった。

 分厚い壁と廊下の向こうでは、まだ何も知らない親たちが、陽気にグラスを鳴らして笑い続けている。

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