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勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜  作者: 乙女座の一等星
第四章 神聖ドミナス帝国

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第89話 情報にない、異邦人の誰か

 支柱が、また一本折れた。

 地響きのような轟音と共に、巨大な石灰岩のブロックが崩れ落ちた。

 もうもうと上がる砂埃が、闘技場全体を白く覆い尽くす。

 千年の歴史を誇る石積みが、次々と無惨な音を立てて崩壊していく。


 来賓席のヴァルラは、静かにキセルを口から離した。

 紫煙が細く、空へ向かって伸びる。

 彼女は、闘技場の中を縦横無尽に駆け回る男を眺めていた。

 ヨトゥンを次々と弾き飛ばしていくパーカーの男を、ひどく楽しげに眺めていた。

 巨体が客席や壁に叩きつけられる。

 そのたびに、頑強な石造りの外壁に致命的な亀裂が入る。

 アーチが悲鳴を上げて軋み、美しい欄干が崩れ落ちていく。


 その視界の隅で、何かが素早く動いた。

 見覚えのある小柄な少女と、銀色の髪の盾役の男だった。

 彼らはパニックに陥った人波に上手く紛れ込みながら、闘技場の砂の上を走り、パーカーの男の元へと近づいていった。


 どうやら、あの三人は仲間らしい。


 そして次の瞬間。

 彼らの姿は信じられない速度で、崩れゆくエインハラ宮殿の外へ走った。

 さらに次の瞬間には、完全に消え去った。


 ヴァルラは、逃げゆく獲物たちをただ静かに見送った。

 追いすがるようと急ぐ素振りは全くない。

 キセルをもう一口、ゆっくりと吸い込む。

 それから、ふと気づいた。


 飼っていた犬、誠司がいなかった。

 すぐ傍にあったはずの彼の席を見たが、もぬけの殻だった。

 あの大混乱に乗じて、いつの間にか綺麗に消え失せていたのだ。

 ヴァルラは、艶やかな肩を軽くすくめた。

 隣の席に座るユリウスへ、流し目のような視線を向ける。


「ユリウスのお人形も、いなくなっちゃいましたねぇ」


 ユリウスは、押し黙っていた。

 腕を固く組んだまま、無惨に崩れていくコロッセオを厳しい目つきで睨みつけている。

 重力を完全に操っていたはずのあの男。

 自分の干渉を強引に振り切り、情報にないあり得ない速度で逃げおおせた。

 その事実だけは、屈辱と共に認めざるを得なかった。


「間違いないな」

「えぇ。もう一人いた」


 一介の異邦人相手に、自分が密かにむきになっていたことも。


「……まぁ、いいか」


 ユリウスは、自分に言い聞かせるように静かに言った。


「時間はいくらでもある」


 その背後で、ドサリと重い音がした。

 南部の覇者、辺境伯ランルフが、砂にまみれた床に力なく膝をついていた。

 ファラオめいた豪奢な出で立ちの男が、呆然と崩れ落ちるアーチを見上げている。

 手すりが落ち、石が砕け、砂煙が舞う。

 過去の偉人たちが、心血と莫大な資金を注いだ千年の芸術が、ただの瓦礫の山へと変わっていく。


「千年の歴史が……」


 呻くように呟いた。


「俺の、エインハラ宮殿が……!」


 それから、ランルフは弾かれたように立ち上がった。

 日に焼けた猛禽のような顔が、極度の怒りで赤黒く染まっていた。

 膝についた汚れも払わず、選帝侯の子たちへと猛然と向き直る。


「貴様らァッ!!」


 空気を震わせるような大音量で怒鳴りつけた。


「選帝侯の子風情が! 我が領地の至宝をここまで破壊して、このままで済むと思うなよ!!」


 ヴァルラは、怒り狂うランルフを一瞥し、キセルを一口吸った。

 煙が、ため息のように細く伸びる。

 面倒くさかった。

 彼女は、鷹揚に右手を翳した。

 闘技場に残っていた巨大なヨトゥンが、主の意思を受けて、ゆっくりとランルフの方へとその巨体を向き直った。


 ランルフは、目の前に迫る絶対的な暴力を前にして、一瞬、完全に固まった。

 それから——脱兎の如く、走って逃げた。



 冷たい路地の石壁に、深く背中を預けた。

 全員で荒い息を整える。

 コロッセオが崩壊する凄まじい轟音は、まだ遠くから地鳴りのように聞こえていた。崩れる石の音、人々の怒鳴り声。だが、距離が離れるにつれて、それらは帝国の街の日常的な喧騒に混ざって少しずつ薄れていった。


 ヴォルフが路地の入り口に立ち、鋭い目で追手がいないかを確認する。リーフは、背の丈ほどもある大斧をよっこいしょと背中に戻した。

 駆は、路地の隙間から空を見上げた。

 抜けるように青かった。

 敵国の南端までわざわざやって来て、歴史的なコロッセオを半壊させ、巨大な化け物を何体も客席に叩き込んでやった。我ながら、一体何をやっているんだと可笑しくなった。


 その時だった。

 路地の奥の角から、慌ただしい足音と共に二つの人影が現れた。

 一人は、見覚えのある顔だった。

 常にキレイめカジュアルを着こなす、あの爽やかな盾役の男。

 もう一人は、土埃にまみれてもなお気丈に背筋を伸ばしている、ブロンドの巻き髪の少女。

 誠司と蹴鞠だった。


 誠司が、グレイのパーカーの駆を見た。

 駆も、突然現れた誠司と目が合った。

 視線が交差したのは、ほんの一瞬だった。


 誠司が、勢いよく跳躍した。

 流石は勇者。清く守るが吉、ナイトの跳躍。


 そして、そのまま。ナイトは地面に両手をついた。


「っ、助かりました! 本当に、死ぬかと思いました……!」

「ちょ!」


 駆は、思わず素っ頓狂な声を上げた。


「目立つから止めてってば!」

「でも、あの絶望的な状況で駆けつけてくれて——」

「止めてって! いいから立て!」


 誠司が恐縮しながら顔を上げる。

 駆は慌てて彼の手を引っ張り、無理やり立たせた。


 誠司は、真面目で悪いやつじゃないんだし。


 ただ、この異世界のエグい状況下でのいきなりの土下座は、心臓に悪すぎる。


 とはいえ。


 駆は、呆れながら視線を蹴鞠の方へ向けた。

 蹴鞠は、綺麗な唇をへの字に曲げていた。

 何か言いたそうな、もどかしそうな顔をして、きつく腕を組んでいる。


「い、一応、礼は言っておきます、わ」

「は? なんだ、その態度は。お前は、ちゃんと土下座をしろよ」


 駆が軽口を叩いた。

 蹴鞠の細い眉が、ピクリと跳ね上がった。


「はぁぁあ? どうしてわたくしにはそんなに厳しくて?」

「いやいや。 誠司はあんな素直に土下座してたじゃん。で?」

「あれとこれとは、話が——」

「そういうのいいから、蹴鞠。 フライング土下座だ」

「絶対にしませんわ!」

「その為の跳ねるが吉だろ」

「全っ然、違いますわよ」

「うるさい。見つかるぞ」


 路地の入り口から、ヴォルフが殺気を込めた低い声でたしなめた。

 駆と蹴鞠は、ビクッとして同時に口を噤んだ。

 遠くで、またエインハラ宮殿の石が崩れ落ちる重い音が響いた。



 街の外れにある、打ち捨てられた古い納屋だった。

 乾いた干し草の匂いが充満している。

 板壁の隙間からは午後の光が斜めに差し込み、埃がキラキラと舞っていた。外の喧騒は、壁一枚隔てただけでひどく遠く感じられた。


 五人が、干し草の上に重い腰を下ろした。

 張り詰めていた糸が切れたような、深い沈黙が降りた。

 互いの顔を見回し、まずは味方の確認だと言わんばかりに、ヴォルフが先に口を開いた。


「……ヴォルフだ」


 短く、ぶっきらぼうな自己紹介だった。

 それに続くように、リーフが立ち上がった。


「リーフです。よろしくお願いします」


 彼女は、誠司と蹴鞠に向かって深々と、礼儀正しく頭を下げた。

 ヴォルフは、そのリーフの姿をじっと見た。

 後ろ髪を無造作に結った、小柄な少女。帝国の人間ではない、アークラド系の細い骨格。

 そして何より、どんな絶望を前にしても決して逸らさない、あの真っ直ぐで純粋な瞳。


 ヴォルフは一瞬、何かを堪えるように押し黙った。

 それから、ふっと目元を和らげ、居住まいを正した。


「……改めて。ヴォルフ・ライネッケだ。よろしく頼む」


 先ほどよりも、声が明らかに柔らかく、温かみを持っていた。

 駆は、その態度の変化を見逃さず、横目でヴォルフをじとっと睨んだ。


「なんだよ、お前。目が完全に座ってただろ」

「あ? 俺は教育が行き届いてんだよ」

「どこがだよ。ってか、お前」


 リーフが妹に似てるだと?

 お前にそんな可愛い妹がいてたまるか


 ヴォルフの目が、スッと細くなった。


「なんだ、駆。絶対に心の声とやらで悪口言ってるだろ」

「言ってねぇし。ってk、可愛い妹がいるってなんだよ。お前みたいなゴリラに」

「俺の悪口は百歩譲って許してもな」


 ヴォルフは、地を這うような恐ろしい低音で凄んだ。


「イルゼの悪口だけは、いくらお前でも絶対に許さねぇぞ、駆」

「はぁ? イルゼ……って。 しかもリーフ似……。なんかムカつく! 可愛い妹がいる罪で、こっちこそ訴えてやる!」

「そんな罪あってたまるか!」

「オレの裁判所が、今決めたんだよっ!」


 納屋の中に、二人のしょうもない言い争いによる短い沈黙が落ちた。

 誠司は、目を白黒させながら駆とヴォルフを交互に見た。

 蹴鞠も、呆れたようにため息をついている。

 だが、誠司は確信した。

 彼らは決して悪い人間ではない。

 極限の死地を抜けた直後に、こんな息の合った馬鹿なやり取りができる連中が、信用できないはずがなかった。


「凄いですわね」

「……だな」


 蹴鞠は、干し草の上に座るリーフへ視線を戻した。

 小柄な少女だった。ひどく華奢で、戦いなど無縁に見える。

 だが、彼女の背中には、その体格とは全く釣り合わない、異様なほど巨大な戦斧が背負われている。


「あの……その、物騒な得物は」

「蹴鞠?」


 誠司が、慌てて小声で制止した。


「何ですの」

「やめろ。触れるな」

「でも、気になりますわ——」

「やめろって。絶対ヤバいから」


 言い争う二人の間に、駆が割って入った。


「こいつ、リーフはさ。ロベールってやつに復讐しにきたんだよ」


 蹴鞠の言葉が、ピタリと止まった。

 誠司も、息を呑んで止まった。


 リーフは、駆に紹介されて誇らしげに背筋をピンと伸ばした。


「あ、そうだった。駆」

「ん?」

「駆の逃げるが吉の方が、やっぱり上だった」


 オレは目を剥いた。

 何があったか、全然知らないけれど。

 オレの吉がなんかやっちゃったらしい。


「って、もしかして」

「リーフは、見事に成し遂げました!」


 えっへん、と擬音が聞こえそうなくらい胸を張って言った。

 誠司と蹴鞠は、思わず顔を見合わせた。


「マジ? そのロベールってやつを……」


 誠司と蹴鞠の顔色が変わる。

 ほんのちょっぴり、悔しそうではあったけれど。

 圧倒的な笑顔がそこに在った。


「マジですの?」

「マジかよ!」


 蹴鞠は、リーフをもう一度じっくりと観察した。

 さっきまでとは、全く見え方が違っていた。

 その背中に背負われた巨大な斧の説得力が、急激に増して見える。


「俺が見届け人だ。 リーフはちゃーんと仇をとったんだぜ」

「……そう。 あの男は他にも……」


 蹴鞠は、喉の奥を鳴らして言った。


「それは……とても見事ですわね」

「まさか、本当にその斧で」

「うん! リーフの得意のみね打ちで、お空の彼方へ吹き飛ばしちゃいました」


 にっこりと、花が咲くような無邪気な笑顔でリーフが答える。


「みね……」

「打ち……?」


 誠司と蹴鞠の脳裏に、あの巨大な斧の鈍い腹で殴り飛ばされるロベールの姿が浮かんだ。

 間違いなく、ただでは済んでいないだろう。

 誠司は顔を引きつらせながらも、小さく、だが力強く頷いた。


「いや。でっかい鈍器だろ」

「その場で、俺もまんまツッコんだ」


 納屋の隙間から差し込む光の中で、リーフはもう一度、嬉しそうににこりと笑った。

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