第九章 値段のある秘密
帰宅した猪飼は、部屋の明かりもつけないまま、しばらくソファに座り込んでいた。頭の中で、この夜見たものを整理する必要があった。
デスクの上には、会場を出るときに桑原から手渡された一枚の紙があった。出品リストの控えだという。番号と、ごく短い概要だけが記された簡素なものだ。個々の詳細は、正式に興味を示した参加者にしか開示されない――そういう建前らしい。
猪飼は明かりをつけ、その紙を改めて読み込んだ。
Lot 1、Lot 4、Lot 9――番号順に並んだ出品物の羅列。金額の記載はない。だが、稲本の言葉を思い出せば、値段の付き方には、ある種の法則があるはずだった。
誰にも知られていない小さな秘密は、安い。
社会的立場を失うほどの秘密は、高い。
企業を倒産させられる秘密は、非常に高い。
国家レベルの秘密は――そもそも金では買えない。
猪飼はその法則を、控えの出品リストに当てはめてみた。Lot 1の公共事業の入札記録は、おそらく中程度の値がつく。Lot 9の治験データは、扱う企業の規模によっては高額になるだろう。そしてLot 42――懸野と思しき人物の過去は、政治家という立場上、かなりの高値がついているはずだ。
だが、Lot 31だけが、どうしてもこの法則に当てはまらなかった。
十五年前の未解決事件。それがどれほどの秘密であれ、会場全体があれほどざわつくほどの反応を引き起こす理由が、猪飼には見えてこなかった。金銭的な価値の高さだけでは、説明がつかない何かが、あの番号にはある気がした。
猪飼はリストの続きに目を移した。そして、ある一文で手が止まった。
Lot 47――ある人物の身辺に、近く生じる変化についての情報。
「近く生じる」
猪飼は、その言葉を何度も読み返した。
これまでのLotは、すべて過去の出来事に関するものだった。すでに起きた不正、すでに存在する秘密、すでに終わった事件。ところがLot 47の説明文だけは、明らかに時制が違う。
――まだ起きていないことを、なぜ出品できる。
猪飼の背筋に、冷たいものが走った。過去の秘密を売買することと、これから起きる出来事を売買することは、根本的に意味が違う。前者は情報の流通に過ぎない。だが後者は――。
未来を、誰かが決めている。
猪飼は思わずその言葉を、口の中で呟いていた。
もしオークションが本当に、まだ起きていない出来事の情報を出品できるのだとすれば、それは単に情報を先取りしているという意味ではないはずだった。誰かが、その「近く生じる変化」を、意図的に起こそうとしているということだ。
つまり、出品物とは、未来を予言したものではない。
未来を発注するための、注文書なのではないか。
その仮説にたどり着いた瞬間、猪飼は自分の手が、わずかに震えていることに気づいた。
もしそうだとすれば、懸野が落札した「ある人物の身辺調査記録」も、単なる過去の調査記録ではないかもしれない。誰かの、これから起きる何かに関わる記録なのかもしれない。
猪飼は控えのリストを鞄にしまい、しばらく暗い天井を見つめていた。
自分が足を踏み入れた場所が、想像していたよりもはるかに深く、そしてはるかに危険な場所であることを、猪飼はこの夜、ようやく理解し始めていた。




