第五章 出品リスト
稲本の声が、静かにホールへ響いた。マイクを通しているとは思えないほど、隅々まで届く声だった。
「本日はお集まりいただき、感謝いたします。ルールはご存知の通りです。出品物の詳細は、入札を希望される方にのみ、個別にご説明いたします。ここでは、番号と概要のみを読み上げます」
スクリーンの数字が切り替わっていく。猪飼は、その一つ一つに耳を澄ませた。
「Lot 1、ある地方都市における公共事業の入札に関する記録」
「Lot 4、著名人の未公開の資産移動記録」
「Lot 9、ある製薬会社の治験データに関する内部文書」
淡々と読み上げられる出品物の数々は、どれも聞いただけでは実感が湧かない、遠い世界の話のように思えた。だが猪飼は、周囲の空気が、番号が読み上げられるたびに微妙に張り詰めていくのを感じていた。誰かが、その一つ一つに、値段のつく現実を見ているのだ。
「Lot 17――某大手企業社長が隠している秘密」
その番号のとき、猪飼のすぐ前に座っていた男の肩が、わずかに動いた。猪飼は視線を動かさず、気配だけでそれを察知した。
出品リストは続いた。
「Lot 24、ある芸能事務所内での契約に関する非公開文書」
「Lot 29、地方選挙における票の動きに関する記録」
そして。
「Lot 31――十五年前の未解決事件に関する証拠」
その瞬間、ホール全体の空気が、明らかに変わった。
会話をしていた者はいなかったはずなのに、猪飼は確かに、周囲から小さなざわめきが上がるのを聞いた。誰かが息を呑む音。誰かが、隣の人間と目配せをする気配。年配の参加者の何人かが、体をわずかに前に傾けたのが見えた。
稲本の声だけは、変わらぬ調子でその番号を読み上げ、そのまま次へと進んでいった。まるで、そのざわめきに気づいていないかのように。あるいは、気づいていて、あえて無視しているかのように。
猪飼は、そのLot 31の何が特別なのか、まったく見当がつかなかった。ただ、ほかのどの番号とも違う反応がここにあったという事実だけは、はっきりと胸に刻み込んだ。
出品リストの読み上げは、さらに続いていく。
「Lot 42――現職政治家の過去」
その番号が読み上げられたとき、猪飼はふと、離れた席に座る、恰幅の良い初老の男に目を留めた。テレビや新聞で、その顔を見たことがある気がした。だが誰なのか、この時点では思い出せなかった。
男は、Lot 42という番号を聞いても、表情一つ変えなかった。ただ、隣に置いていた資料に、静かにペンを走らせただけだった。
その仕草に、猪飼は妙な既視感を覚えた。理由はわからない。ただ、その落ち着き払った所作の裏に、何か引っかかるものがある――そんな感覚だけが残った。
出品リストの読み上げは、Lot 50を過ぎたあたりで終わった。稲本が静かに一礼し、次の言葉を告げた。
「それでは、個別のご相談を承ります」
会場の緊張が、ようやく解けた。参加者たちが立ち上がり、それぞれの目当ての相手を探して動き始める。
猪飼は、まだ椅子から立ち上がれずにいた。頭の中では、Lot 31で会場がざわついた理由と、あの恰幅の良い男の落ち着き払った表情が、なぜか同じ場所で絡み合っていた。




