第五十章 Lot 1
記事は、松尾の勤める週刊誌ではなく、複数のメディアが同時に扱う形で、慎重に世に出されることに
なった。猪飼の五年前からの経緯、懸野将基の死の真相、地下オークションというシステムの存在――そ
のすべてが、数週間にわたる連載として、少しずつ、しかし確実に、世間に明らかにされていった。 反
響は、猪飼の想像を、はるかに超えるものだった。 複数の政治家が、突然の辞任を発表した。ある大手
企業は、内部調査の末、経営陣の総退陣を余儀なくされた。裏社会の一部では、これまで水面下で保たれ
ていた勢力図が、急速に崩れ始めたという噂が流れた。 だが、その一方で、猪飼が最も知りたかった
「地下オークションの主催者」が逮捕されたというニュースは、ついに流れなかった。 稲本は、記事が
世に出る直前に、姿を消していた。眞弓もまた、連絡が取れなくなった。二人がどこへ消えたのか、猪飼
は知らない。 香蓮だけは、違った。 彼女は、記事が公開される数日前、自ら多湖のもとを訪れ、懸野の
死に関する自分の関与を、正式に告白した。逃げることもできたはずだった。だが、香蓮はそうしなかっ
た。 「猪飼さんが真実を選んだのなら、わたしも、逃げるわけにはいきません」 香蓮は、そう言い残
し、正式な取り調べを受けることになった。その先、彼女がどのような処遇を受けることになるのか、猪
飼にはまだわからない。だが、彼女が自らの意志で、その道を選んだという事実だけは、猪飼の中に、確
かな重みとして残った。 葉山は、記事が公開された日を境に、姿を消した。最後に交わした言葉――
「終わらせるつもりです。俺なりのやり方で」――の意味を、猪飼はまだ、正確には理解できていない。
すべての報道が一段落した頃、猪飼のもとに、一通の封筒が届いた。 差出人の記載はない。切手も、消
印もない。 猪飼は、その封筒を、しばらく手に取ったまま、動けずにいた。 やがて、覚悟を決め、封を
切った。 中から出てきたのは、一枚の便箋だった。文面は、かつて猪飼が受け取った、あの最初の招待
状と、驚くほどよく似た書式だった。 *次回オークションのお知らせ* *Lot 1――猪飼寛貴が地下オークシ
ョンを暴露した理由* 猪飼は、その一文を、何度も読み返した。 このシステムを終わらせたはずだった。
だが、誰も設計していないシステムに、終わりというものが、そもそも存在するのだろうか。 猪飼は、
便箋を、静かにデスクの上に置いた。 窓の外では、季節が、また一つ、静かに移り変わろうとしてい
た。猪飼は、その便箋を見つめながら、深く、長い息を吐いた。 戦いは、終わっていなかった。 だが、
少なくとも今、猪飼は、自分自身の意志で、次に何をすべきかを、自分の手で選ぶことができる。 それ
だけが、この長い物語の果てに、猪飼が確かに手に入れた、唯一のものだった。 猪飼は、便箋をもう一
度手に取り、静かに、しかし確かな足取りで、デスクの引き出しを開けた。 そこには、五年前から使い
続けている、あの古い取材ノートが、まだ静かに眠っていた。 猪飼は、新しいページを開いた。




